日本の住宅密集地にホーカーセンターを作れば老人の孤独死を防げる

Hiroki Kaneko
Jul 6, 2024

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Photo by Joshua Tsu on Unsplash

最近、Mediumの以下の記事にこのようなコメントをした。

そのコメントに “Clapped” がついたので、調子に乗ってこの考えをもう少し書いてみる。

私は2年前の2022年9月にシンガポールを訪れた。何をしたのかというと、別にセントーサ島の遊園地で楽しんだわけでも、高級ホテルに滞在してカジノでカネを落としたわけでもない(私は貧乏人なので)。友だちの家にホームステイしつつ、単にアパートを見て、ホーカーセンターに行って食事をしただけだった。

ホーカーセンターの歴史

ホーカーセンターというのはシンガポールの政府が小規模なレストランに提供している、フードコートのような施設のこと。テナント料が安いので、家族経営の小さな店でもなんとかやっていけるようだ。

ホーカーセンターに出店しているレストランは、元々は屋台のようなものだったが、汲み置きの水でお皿を洗っては不衛生だというので政府が上下水道が使える場所を用意したのがその始まりだったようだ。

その後、1980年代になると各地でショッピングモール付属のフードコートができ始め、ホーカーセンターは外食の主流から外れてしまう。年中夏のシンガポールで、フードコートはエアコンがあるから、暑いと思う人はフードコートへ行くよね。

しかし現在では、ホーカーセンターはシンガポールの食文化の重要な一部分であると皆が認識するようになり、後継者不足に悩む各レストランにも、若い後継者が来ているという。そのようなドキュメンタリー番組をチャンネルニュースアジア(シンガポールの英語ニュース局)で見た。

だいたいどこへ行っても人口が密集しているシンガポールだけど、大規模なアパートの1階にはホーカーセンターがあったり、その「団地」 — —シンガポールの公営住宅(HDB)は本当に日本の団地に似ているので、歩いているとここは日本なのか?と錯覚するほどだった — —のそばには、大抵、徒歩で行けるホーカーセンターがあった。

そこには本当に地元の人、アパートの住人つまりホーカーセンターから歩いていける範囲に住んでいる人たちが食べに来ていた。
日本で外食というと高くつきがちで、毎日は行けないのだけどホーカーセンターは割と安かったので、毎日来ている人もいるだろう。最近はさすがに物価高の影響で値上がりしているみたいだけど、上の写真、Unsplashで見つけた写真に写っている「ローミー178」で私が食べたときは、サメのナゲット付きローミーが$6かそこらだった。シンガポールでは、ちゃんとしたレストランで食事をすると税金が別途掛かるので、税金抜きで食べられるこうしたホーカーセンターは安くて美味しい食事ができる、観光客にとっても「穴場」だった。

エアコンがついていないことに関しては、大抵のホーカーセンターには天井に大きなシーリングファンがあり、その真下なら「汗が止まらない」という状態にはならない。

シーリングファンとは涼しいものだな、と感じたのは私にとっては新鮮な驚きで、天井の低い日本の住宅でシーリングファンなんてないし、病院などについているシーリングファンは大抵、遅い速度で回しているので風なんて来ない。あれ、早く回すと結構涼しいんです。知らなかった。

日本にもホーカーセンターがあればいいのに

日本で外食というとどうしても高くついてしまい、かといってコンビニエンスストアで冷たい弁当を買って、自宅に持ち帰って一人で食べるのも非常に味気ない。日本で外食とは「ハレの日の食事」であり、「気のおけない友人たちと居酒屋へ行く」といった用途で使われており、毎日の「普通の食事」ではない。居酒屋のような「酒場」が外食の主流になっているのは、これは日本の戦後から今まで、「男は仕事、女は家庭」というジェンダーロールに従ったまちづくりであり、例えば子供のいる共働き家庭の場合、子供の食事はどうするのか?という疑問に今の日本の町並みは応えられていない。

台湾人の劉さんが私に語ったことが今でも記憶に残っている。劉さんは共働き家庭の子供として育ったため、毎日お母さんから「今日の夕食」のお小遣いをもらい、それを使って近所のナイトマーケットの屋台で食事をしていたのだそうだ。日本でナイトマーケットというと、夏の終わりに神社に出る出店、そこで売られているのはワタアメやら、りんご飴なのだから毎日の食事にはならない。

劉さん。台北霞海城隍廟にて

日本の食環境に欠けていると思われる「普通の外食」とは何か?条件を書いた:

  1. 住んでいる場所から徒歩で行けること
  2. 一食の予算が安く済むこと
  3. その場で食べられること。もちろん持ち帰りもできる

なので、アパートの1階にホーカーセンターを作ることは理にかなっている。日本の新築マンションときたら、1階は誰も使わない豪華なラウンジなどがあり、あんなもの、何に使うのでしょうね?住民からしたら、1階にはコンビニエンスストアやクリーニング店が入ってくれた方がありがたいはずだ。多くの人は「アパートの1階は泥棒に入られやすい」と言って敬遠しているなら尚更だ。アパートの1階には商業施設が入るべきだ。しかも、なるべく生活に密着した店が入るべきだ。

アパートの近くにホーカーセンターがあれば(想像)

一人暮らしの老人が、食事をするためにホーカーセンターへ来る。近所で彼(彼女)を知る人も来ているので、ご近所さんが「やあ**さん、元気?」といった会話が生まれる。何か悩みがあれば、そこで彼(彼女)に悩みがあればそこで話しかけてきた人に悩みを打ち明けることもできるだろうし、一人で問題を抱え込まず、第三者が問題を知るきっかけにもなる。何日もその人をホーカーセンターで見かけなければ「最近**さんは見かけないけど元気かな」とご近所さんは心配になり、訪ねることもできるだろう。これが「地域コミュニティの構成員によるお互いの見守り」というものだ。

日がな1日、そこにいたって誰からも追い出されない。日本には公園以外、1日中そこにいても追い出されない場所がないため、「地域住民のたまり場」が存在しない。存在しなければ、「地域コミュニティの構成員によるお互いの見守り」ができるわけもない。
毎日冷たい弁当をコンビニで買って、自宅で温めて食べるよりよほど健全だろう。

テーブル同士が離れたレストランでは「見守り」としての機能を果たしにくい。そこには長テーブルの、フードコートのように見知らぬ人同士が肩を並べて食事ができる構造でなければならない。

日本の戦後の住宅不足を解消させるために各地で大規模なアパート群が立ったのは、これはシンガポールと同じだ。しかし何が違ったのか?日本では「住むための箱」を作って終わりで、地域コミュニティを維持するようなデザインはまったくなかった。「地域コミュニティのための場所」というと、日本では「公民館」となるだろうが、あんな、なにもない建物など不要だ。そこは生活に密着した場所でなければならず、そこに毎日通うモチベーション(きっかけ)が必要であり、それはすなわち食べることだろう。しかも値段が安くなければ毎日通えない。

ローミー178で食べたローミー。複数の太さの麺がとろみのあるスープの中に入っている

後はその事業をどのようにして黒字にするかだが、シンガポールのホーカーセンターはなぜ黒字になるのだろうか?テナント料が安い、というのがその大きな理由だろう。そこは自治体や政府が補助金を出してテナント料を低く抑える努力をしなければならない。テナントも、マクドナルドなどの大手チェーン店には助成金を出さない、あるいはテナントとして認めず、家族経営などの小規模事業者に対して手厚い補助金を出せば、小規模事業者にとってもありがたい政策になる。

日本の会社の社員食堂は会社が補助金を出しているため、割安で食事ができる(味には期待できない)。しかし、シンガポールのホーカーセンターは競争の原理が働いており、おいしい店がちゃんと生き残るような仕組みになっており、しかも安い。

日本の自治体はこのような事業にこそ予算を出すべきではないのか?コロナ禍以後、食事の配達サービスが流行ったが、あれは手数料が高すぎる。自分でレストランへ行く場合のだいたい1.6倍くらいになり、毎日の食事としてはコストが高すぎる。シンガポールではGrabという配達サービスが流行っていたが、それと並行してホーカーセンターにも人は入っていた。

日本で政策を立案する立場にある人は、なぜこのような施策をしないのか?単にアイディアがないだけだろう?早くやるんだ。今すぐ。

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Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。