Hiroki Kaneko
12 min readAug 26, 2018

田所広成の反省記 業界の浮雲児が見た90年代エロゲの時代 F&C編 上巻

四半世紀も経つと当時のことを語りだす人がぼちぼち現れてくるので、あの時代を知る人にとっては興味深い時代になってきました。Mediumに書いているブロガーで言うと、ジャン=ルイ・ガセーがApple時代からBe社設立あたりまでを回顧してくれるとありがたいのだけど、スマホで高速に文字入力はできてもキーボードなんか触ったことがない小僧っコやiPod以降のAppleしか知らない標準的な地球人の皆さんも知らないでしょうからオッサン相手の望み薄な回顧など今後出るかどうかもわかりません。

それでこの電子書籍です。販売代行会社のピクシブというと皆さんはすぐ、ロリコンドルオタの元社長が会社を私物化して年端もいかないアイドルグループにセクハラし放題、というネガティブイメージが想像され、この企業に金を落とすことに気が引けるかと思いますが、田所が作品を発表したマーケットプレイスがピクシブ運営なのだから、いくら人倫に反する企業といえども、そこから買うしか方法が無かったのです。
標準的な地球人の皆さんは更に、田所って誰?と思われているかもしれませんが、彼がF&Cというエロゲー(ム)開発・販売会社に在籍していた時、彼の部下だった人物が後に「Pia♡キャロットへようこそ!!」というゲームを作り、そのゲームが秋葉原で実店舗としてメイドカフェのはしりになり、日本のポップカルチャーとして世界的に知られる事になった、その元の元である、と書けば本人もそのような自覚はないでしょうから説明としては間違っているかもしれませんが、標準的な地球人類向けの説明としてはこれが精一杯です。非標準的な地球人類向けに説明すると「メイドさんロックンロール」の人です。

それでこの本なのですが、ちょっと読むのが苦痛になる程文章が酷い。これが本当に半世紀以上、人生の長旅を経てきた重みを持つ人間の書く文章なのかと思いますし、この文章でゲームのシナリオなども書いていたのでしょうか?ちょっと信じられません。まるで一人で口述筆記をしたかのようですが、これがノンフィクション作家によるインタビュー形式の本であったのなら、もう少しましな構成になったでしょう。大きな文字でMS Wordに書き殴られた自伝ファイルをそのままPDFへ変換してお届け、スマートフォンで見るとEPUB形式ではないからA4紙のレイアウトのまま読まされる羽目になり、文字の拡大などしたら文章全体が見えなくなり、まるで虫眼鏡で新聞を読んでいるような気分になり、訴求対象である読者層が、そろそろ老眼が出てくるというのに、これでは辛い。著者はコンピューターを扱う仕事をしていたからといって、そういったユーザビリティやここ最近の技術動向を必ずしもキャッチアップ出来ていないのですから、悔しいです。ゲームのメモリマップは知っていてもEPUBは知らないのでしょう。HTMLでも良かったのですが。
この上下巻に合計1400円を払う価値があるのかと言われれば大声で「ない!」と申したいところですが、彼が何者かという事を当時から知っている一部の好事家、この頭痛がする文章を読み解きながらゲーム考古学を極めたいアカデミックな情熱を持った方、もしくはまた田所に投資すれば「メイドさんロックンロール」のような猥歌のひとつやふたつ作ってくれるのでは?と考えている人は買ったら良いと思います。

田所が作曲家としてゲーム業界へ飛び込んだ1980年代の後半から物語は始まります。当時のビデオゲーム業界というのは、スペースインベーダーがゲームセンターで流行った1970年代末から、スーパーマリオブラザーズが家庭用ゲームコンソールであるファミコンで大ヒットした1980年代の中盤を経て、そこに金の匂いを嗅ぎつけた、金はあるけど知識がない異業種の人間たちが「なんかゲームを作れば儲かるらしいぞ」と小規模な開発会社に金を渡して適当なゲームを作らせては自爆し、なけなしの小遣いを叩いてゲームを買った少年たちに心の傷を負わせる光景がまだあった頃です。まるで2010年代のソシャゲブームを彷彿とさせる光景ですが、人間は何も変わっていないというよりも、カモにする相手が少年たちの小遣いからギャンブル依存症患者がパチンコの代わりに依存する対象に変わったというだけで、商売の道徳性としてはより下がったように思えますし、田所が後にエロゲ会社へ行くことになった理由の1つとして、クリスマスだか誕生日だかプレゼントで親にクソゲーをねだる子供を見て「子供を騙すのはやめよう、これからは大人を騙そう」と思ったそうです。
大手レコード会社系パブリッシャー(東芝EMIかな?←と書いたけど外れた。ポニーキャニオン )の下請けデベロッパーに入社した田所は、元・売れないバンドマンということで音楽制作から後にゲームの企画も任されるようになるが、その給料の安さから転職を考えます。もうすぐ二人目の子供も産まれそうだと(2018年現在、お子さんは30歳近いですね)。そこで求人雑誌に載っていたエロゲ開発会社が現F&Cであり、給料の高さにつられて入社。そこは短期間に多数のゲームを作って売るだけの「ゲーム工場」であった…。

上巻の山場は「沙織事件」でしょうか。その後のソフ倫設立やら、サイバー犯罪(?)にやたらと京都府警が出てくるきっかけになった事件なので、ゲーム考古学を目指す若き研究者は必ず知っておいてほしいのですけど、要は当時、京都の電器屋でエロゲーを万引きした中学生が補導したら、当時のエロゲーはモザイクなど掛かっていなかった為にわいせつ物頒布罪だかに抵触し、F&Cの社長と部長が三週間におよぶ留置所暮らしを送る羽目になり、結果としてソフ倫という自主規制団体ができることになったのです。なぜこれを「沙織事件」と呼ぶのかというと、そのエロゲーの名前が「沙織」だったからです。この本で、沙織を万引きした当時中学生、今オッサンにインタビューなど出来たら面白かったのですけど、そんなものはなくても、この頃の社内の様子を当事者として伝える文章は考古学的価値があります。

そして起訴された社長の執行猶予中はエロゲーなど出せないF&Cは経営難に陥り、そこで田所が企画したのは非エロゲーである「電撃ナース」だった…というところで上巻は終わり。

下巻の内容は、その後のF&Cでのゲーム開発から田所が同社を辞めるところまで。この頃から出版業界では「エロゲ雑誌」というものが雨後の筍のように創刊しており、本屋でエロゲなるものを知った読者がPCを購入して、以後2000年代前半まで続く業界の黄金期を迎えることになります。
成長する業界で働く、とか昇給とか年収アップというものがどういうものなのか私は全く知らないので、こういう経験をした人が羨ましい。本人はそんなに良い思いをしなかった、と言うのでしょうが、例えば本書で述べられている知り合いの業界人の羽振りの良さ、ビジュアルアーツの馬場社長が大阪のクラブで1本30万円のボトルを開けるだとか、菅野ひろゆきのフェラーリでレインボーブリッジを爆走、といったエピソードが開陳されるのは業界の成長ぶりを物語っているように感じました。そういう、これからどうなるのかという夢のある時代に身を置けた事は、純粋に羨ましいと思います。
2000年台後半からの撤退戦のようなエロゲ市場で何か作れと言われてももう紙芝居しかないと思っているところから新しいものが生まれるはずはなく、もし自分が2018年のエロゲ制作スタジオの責任者であったとして、何を作るか?もう新しいことに挑戦する他は座して死を待つのみなので、VRエロゲを作って売れずに消えて行くしかないように思います。
今にして思えば、1990年代は本当に楽しい時代だったのではないでしょうか。

オタク業界とひとくくりにされるエロゲ業界ですが、経営層に限って言えば前述の馬場社長ですとか、F&Cの社長もそうですけど「商売の種類は何でもいいからとにかく成功したい」と考えているような、山師のような人たちであることが伺えます。こういった人たちは今頃何をしているのでしょうか?彼らは別にエロゲを愛しているわけではないので、また違う金脈を探しているのかもしれません。

その後のエロゲ業界といえば、90年代中盤になってメディアがCD-ROMになり、声が付いただとか、16色しか使えずにひたすらタイル技術のみが進化していった所に急にフルカラーを使えるようになったとか、その程度の技術の進歩の恩恵は受けておいますがエロゲに関して言えばそれだけで、別にインターネットを利用したネットゲームになるわけでもなく、USB接続のリモコンオナホールとゲームが連動したところで見向きもされず、元来保守的なオタク消費者が何か新しいものを求めているわけではなく、何か奇抜なことをしても受け入れられず、嗜好がますます固定化された結果「たまきん事件」に象徴されるような一部の声の大きいだけの頭のおかしい消費者がマジョリティであるように認識され、エロゲが売れない→訴求対象の嗜好と合っていないのでは?→似たようなゲームの量産→飽きられる→エロゲが売れない、という負のスパイラルに陥り、以来低迷を続けている、少なくとも部外者からはそう感じます。

ひとつのメディアの黎明期というのは、何が受けるのかよく分かっていないのだからとにかく色々な作品が生まれます。それが「ゲーム工場」と揶揄されるような環境で作られても、ゴミの中に宝石があれば多くのゴミは宝石を生むために仕方がなかったとも言えますが、消費者の嗜好が固定された時、造り手側がそれに縛られてしまっては、造り手側としても楽しくない、魅力のない世界でしょう。元々ゲーム産業自体が、ヒットしても次回作もヒットするとは限らない自転車操業であり、市場が縮小し続け、クリエイターとしても、あれをやるな、これをやるなと言われて作りたいものが作れない業界に留まる理由もありません。
またスマートフォン時代にうまく対応できなかったというのも業界の凋落の要因として大きいかと思います。できたのはFateぐらいでしょうか。このゲームとかアニメ、元々エロゲ(Hentai video game)だったんだけどアンタ知っているか?とオタクのドイツ人に私が質問した所、当然知っていたのであれは例外中の例外としても、そもそもスマートフォン向けのマーケットプレイスにエロゲを公開できないので消費者の目に触れる機会がなく、iOSは絶対に無理そう、AndroidならGoogle Playではなく野良アプリとして自前マーケットプレイスで細々と営業するなどの方法はありますが、それが好評だという話は聞こえてきませんし、PCゲームダウンロード販売にしても、Steamでエロゲが好評、という話も聞いたことがないし、パッケージ販売と大差ない値段でDMMにてダウンロード販売を続けていたエルフもいつの間にか消えてなくなるといった次第で、PCゲームとしての遊ばれ方の波にも乗れていないエロゲは、先日Windowsと心中したランスシリーズのように消費者の世代交代、プラットフォーム移行が、FGOのように出来なければ消えてなくなるだけです。

すっかり本の感想ではなくなってしまいましたが、今エロゲを語るなら、なぜ市場は現状のような壊滅状態になっているのかという話を抜きには語ることができず、そもそもゲーム専用機が主流の日本においてPCゲームは今も昔もニッチなので成長にも限界があり、また世界を見渡せばゲーム専用機が手軽にゲームを楽しむための機械であると認識されているのは日本とアメリカとヨーロッパぐらいなもので、例えば中国では「PCゲームの方がカジュアル、ゲーム専用機は金持ちの息子でしかもゲーオタしか持っていない」状態であり、そのような国や地域の方が、地球上の陸地面積から言えば主流派なのです。

では新たなフロンティアを求めてエロゲ業界は海外市場を視野にいれるべきだったのかと言うと、そもそもこのようなジャンルのゲーム市場が認められ、一部から支持を得ていたのは日本市場だけであり、国外はというと、僅かな好事家が通販やら違法コピーやらで遊んでおりイギリスで「レイプレイ」がフェミニズム的な観点から問題になったとかベトナムではエロゲが男子大学生の嗜みになっているとか、とかく性に関する道徳観は科学的根拠のない宗教なので、法律という名の宗教もISOのような国際規格の無い遅れた分野ですので、畢竟、各国で対応はまちまちであり、故に国外の市場を開拓するわけにも行かず、日本の局地的な市場として終わりつつあるエロゲは性というグローバル化できない部分を抜いた形でアニメやメイドカフェや、その他のオタジャンルに希釈されて現在も消費され続けているような気がします。

著者はF&C編、上下巻の続編としてストーンヘッズ編も作ると言っていますが、当時を知る他者との対談形式にして、それをSiriなり何なりで文字起こししたものをEPUB形式に変換して公開していただきたいと思っています。

追伸。これを見ればいいんじゃないか。

Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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