私は私の人生に納得しなければならないし、答えも出さないまま早めに人生のステージから降りた奴らへ嫉妬を覚える:追悼、常野雄次郎

Hiroki Kaneko
7 min readAug 14, 2020

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Photo by Ivan Aleksic on Unsplash

“そっち側”のお前らが言うことではない

いじめられてまで、担任の先生の管理主義嫌いなのに無理してまで学校に行かなくてもいいんだよ。自分の心の安全を確保するのは「子どもの生きる権利」なんだよ。安心して休んでいいんだよ。「長い夏休み」なんだよ。
教育評論家、法政大教授・尾木直樹(尾木ママ)

いじめられて死ぬよりマシなので、そんなひどい体験をさせられるのに管理者が改善してやれないクソ組織である学校なぞ行かなくても良い。
だがそれは「死ぬより生きている方がマシ」というマシであり、その後の人生には様々な困難、心の傷が待ち構えている。私は今年43歳だが、未だに「中3の夏休み」が続行中であると感じている。自分でこの体験をどうにかして納得しない限りは、長い夏休みは終わらない。

しかし、まあ、この「緊急メッセージ」をしているお歴々は大学教授、脳科学者など自分たちがそのシステムに上手に乗っかって甘い汁を吸い続けている奴らなので、私としてはまったく同意できない。「お前らが言うな」と反発を覚える。それに前提としているのが「いじめられて学校へいけなくなってしまった子供へのメッセージ」ばかりで、実際不登校の理由というのは人それぞれでもあろうから、そこに画一的に「いじめられて自殺を考えている子どもたちへのメッセージ」をしたところで、不登校者全員は救われない。

私がなぜ学校へ行かなくなったのかは、未だによくわからない。原因についてはブロクなどにも色々書いたが、自分で読み返してみると書くたびに違うことを言っているので、原因は1つだけではなく多数あるのだろうと思った。

ところで、この間、久しぶりに興が乗って東京シューレ関係からネットサーフィン(こんな言葉は既に使われないが)をしていたら、昔彼のブログをよく読んでいた常野雄次郎が2018年に亡くなっていたと知り、驚いた。すわ、自殺かと思ったが、ネットで探しても死亡記事など見つからず、有志による追悼サイトの中で、ある人が「亡くなる1年前に会ったが、酒量と煙草の量が増え」というようなことを書いていたので、恐らくは酒の害だと推測する。

彼のブログは2000年代中頃によく更新され、不登校に関する各種の考察などを仕事をサボって、もとい、帰宅してから読み漁った記憶がある。その後の彼のブログは「50年前の左翼」っぽくなっていって、アナタ全共闘世代ではなくて本当に私と同年代なのだろうか?と思った。アメリカとイギリスに留学したインテリの答えが、皇居の前で日の丸を燃やすという何の意味もない行動なのだろうか?(単なる布を燃やして「私はこの布が象徴するところの虚構の物語を信じず、別の虚構を信じる」と言ったところで、どちらも現実ではないじゃないか)いまどきサルトル?等と感じ、はやく不登校への考察の記事を書けよ、と思っていたら次第に記事の更新も無くなり「あの人は今」と思っていたら、訃報に接したと。

上記の共著は読んだことがないけど、著者本人による、まあ長ったらしい解説は最後まで読んだ。彼の好きな映画を引き合いに出して、非常にペダンチックで彼の言わんとする所の半分も理解できたとは思えないけど、そのインテリ様の学識から導き出した結論というのが全共闘世代と少しも変わらないのだとしたら、上記インタビューの中で「タイムマシーンがないのでわかりませんが」と言っていたが頭の中はきっちりタイムマシーンで半世紀前に行っていたようですが。その後半世紀はどこへ行った?

「反学校」と叫ぶやつに限って名門大学を卒業していたりする。それを叫ぶ資格があるのは、私のような者だけだ。それ以外のお歴々、茂木健一郎も上野千鶴子も「お前らが言うな」。「周囲に合わせていじめられっ子を黙殺して自殺に追い込んでも自分が加害者であるとは微塵も感じず自分が有名大学を出れば、文化人づらして新宿の飲み屋でしょうもないコスプレイヤーのいい肉を揉みしだくことだってできるんだぜ、Aha!」と言え。

偉そうなことを言って早めに人生のステージから降りた奴らを私は尊敬しない。それが病気だろうが自殺だろうが同じことだ。

学校システムの問題点を一言で言うと

教育それ自体は重要であるが子供ひとりひとり性格が違うのに画一的な教育をしようとする今のシステムには問題がある。それが今まではリソース面から画一的な教育をさせるしかなかったが、今後は教育を受ける多様な方法を作り出さなければならない」と言えば一言で済む問題なのに、なぜインテリぶって屁理屈をこねた挙げ句、結論が、なぜこれなのか?

常野 健常者中心主義、家父長制、資本主義をつぶす、あるいは学校をなくす。それを革命と言いましたが、そういうことを言うと、多くの人は、それは無理だと思うじゃないですか。

なぜそうなる?健常者中心主義と家父長制はどうか知らんが、資本主義を潰す?それによって資金が回って学校へ行けるようになった人が大勢いるのに?学校をなくす?親のお金で留学までして、自分自身がその恩恵を何より受けている癖に何言ってるの?

常野 親が中産階級で高学歴だったので、文化資本的には高かったと思います。むしろ、多くの学校に行っている子よりもポテンシャルとしては高かったかもしれません。

遅れてきた全共闘世代に50年前の左翼用語で言ってやる。「自分が自分の努力ではなく単なる誕生ガチャによってプチ=ブルの下に生まれ、そのまま行けば人生楽勝コースだったのに自らの弱さから酒に逃げて命を縮めたことに対してあの世で自己批判しろ」。

合掌🙏

追伸

石川:日本の学校は封建的倫理に支配されてきましたからね。だから、学校へ行かないことは道徳的に悪になってしまう。欧米であれば、学校というのは、行ったほうが出世するから得で、行かないのは損、という感覚が第一。つまり、損得の問題です。ところが、日本では、行く人は尊くて徳のある人で、尊徳になってしまっている。学校には二宮尊徳像がありますしね(笑)。欧米と日本では、学校の成立基盤がちがうわけです。学校の役割は、農民社会を工業社会につくり替えること、近代市民を養成して近代社会をつくることで、その時代の資本の要請に従うものです。欧米では倫理は教会が教えるもので、学校で教えるものではない。行かないと損するけれど、人間性は関わらない。

30年前の自分に、このことを教えてやりたい。

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Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。