2024年時点で私はこのように感じた
記事を書いては消しを繰り返していたので何も投稿できないまま大晦日になってしまった。
文章を途中まで書いていると、「こんなくだらない事は書かなくてもいいんじゃないか?」とか「自分はバカでございます、と周囲に言いふらしてどうなるのだ?」と思ってしまい、記事を投稿できずにいた。
私は幸運なことに今のところ大きな病気もせず、体重は太ったり痩せたりを繰り返し、大きな成功はしていないが大失敗もしていないと感じる。スマートウォッチのおかげで毎日体を動かす習慣も、もう何年も続いている。
配られたカードで勝負するしかないのさ
— — スヌーピー
犬コロの箴言である。
金持ちの子どもは、単に金持ちの親から生まれたという理由だけで金持ちであり、頭が良い親から生まれた子は知能は遺伝するため、頭が良い。
そのどちらでもない私は配られたカードがノーペアに近いと感じており、ここで不平等とかいう使い古された言葉を言うつもりはないが、偶に通り魔になったり保険会社のトップを撃ち殺したりする奴に同情するつもりはまったくない。スッキリするだろうが、そんなことをしても何も変わらないからだ。
ビーグル犬がこのような知恵を発揮する言葉を普段から考えているかどうかは知らないが、たぶん考えていないだろう。だからこそ共感というか同情のようなものを最近は感じてならない。自分に与えられた能力のみで生き、それがだめなら死ぬしかないような残酷な自然の掟がある。
サルはアフリカから自然の筏に乗って偶然、南米大陸に流れ着いたというのだ。ではそのような「成功者」の影で、何匹のサルが自分の意志ではなく偶然に自然の筏に乗ったが、食べ物や水がなくなったり、海に放り出されて死んだのか?生命はそのようなことを何千万年もやってきたのだと想像すると、自分の知らない、語られなかった物語がいったいどのくらいあるのか?めまいがしそうだ。状況というのは自分ではどうすることもできず、そこで自分の才覚や機転で絶体絶命の危機を乗り切るのは映画の世界だけだ。つまり、いくら金持ちだろうが頭が良かろうが、自分以外の周囲の状況によっては、それが何の手助けにもならないのだ。
だから最近は、ありのままで良いし、それは恥じるべきでもなければ自慢すべきことでもない。そのような理解が他者への尊重と、自分自身への尊重にも繋がるのではないかと最近はそのように思った。皆さんよいお年を。