Amazon Kindle Unlimitedで「まんだら屋の良太」全53巻+「良太」全2巻が読める!いや、読まなくてもいいけど今読むとオッサンの目から見た’80年代史のようで…

Hiroki Kaneko
13 min readNov 30, 2019

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Kindleマンガはクズだらけ

Amazon Kindle Unlimitedで読める漫画といえばAmazonのおバカAIがお薦めしてくる「異世界AV撮影隊」とか「おもらしまんが」などといった、どうしようもない素人が「作品をAmazonに置いておけばどこかのバカが間違って読んだ回数だけ金が入るだろう」とか「将来漫画家になりたいから履歴書代わりに作品をAmazonに作品をおいておこう」というような非常に低い志で描いたどうしようもないゴミクズ漫画ばかりで、時間の無駄なので無料どころか金を貰っても読みたくないのだけど、たまに目を引く、おかしな作品がある。1979~1989年に描かれた「まんだら屋の良太」全53巻も、そのような作品のうちの一つだ。

この漫画が「異世界AV…」とどちらが下らないのかというと悩んでしまうが、描かれてから30~40年経った今は、当時の風俗や社会常識を知るための資料になるように感じたので、そういえば1980年代ってどんなだっけかな、と思い出しながら大変興味深く読めた。しかし全53巻なので、暇で暇で死んでしまう人以外にはお薦めしない(あとKindleって漫画を読むと1日でバッテリーが消耗してしまうのは新たな発見だった)。

畑中 純(はたなか じゅん、1950年3月20日 — 2012年6月13日)は、日本の漫画家。男性。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。漫画家としてだけでなく、版画家としても活動した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%91%E4%B8%AD%E7%B4%94

作者の畑中純は2012年に62歳で亡くなったようだ。後世まで語り継がれるような名作、では決して無いのだけど今読むと当時の風俗を振り返ることができるようで、別の資料的価値が出てくると感じた。

この”劇画”はフィクションであり…

単行本の最初に断り書きがある。「この劇画はフィクションであり、実際の…」
劇画?

「劇画」という名称は辰巳ヨシヒロの考案によるものであり、劇画工房の誕生以降の劇画ブームによって世間一般に名称が定着した。

劇画とは、それまでの漫画から一線を画した漫画表現の手法であり、青年向け漫画を子供向けの漫画と異化・区別させるために作られたジャンルでもある。従来の漫画はあくまで子供向けであり、辰巳らは自分たちの作品がそのような評価を受けることを極端に嫌っていた。貸本劇画の読者層は労働者階級の若者であり、また劇画工房のメンバーも同じような階層の若者であった。作風としてはハリウッド映画やハードボイルド小説の影響が大きい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E7%94%BB

要は子供向けではない、という意味らしい。絵柄は関係ないらしい。知らなかった。現実ではありえない漫画の大げさな表現を嫌ったのが劇画なのだと。そして「そんなに映画が好きなら映画を見ればいいじゃないか。なぜ漫画なのだ」というのはあなたのスマートフォンにネット経由で映画が無限に降ってくる21世紀を生きる人間のセリフであり、当時は映画といえば映画館で上映されるものであり、見逃したらテレビの深夜放送で再放送しないか待つしかなかった、という時代がつい最近まであったことを忘れている。漫画は映画の安価な代用品であったのだ。だから「映画っぽい漫画」の需要は一定数あっただろう。今は無いと思われる。

いまGoogleで辰巳ヨシヒロの漫画じゃなかった劇画、めんどくさいな、「絵」を見たけど、すごく上手だった。翻って畑中の絵は、下手というより稚拙で、現在ではとてもプロとして通用するようなものではない(本人は既に故人なので好き放題書くけど)。まんだら屋の良太の連載は10年続いたが、悪いけど上手にはなっていない。1990年代に描かれた続編「良太」も絵は相変わらずだし、21世紀初頭の「月子まんだら」でも相変わらずどころか下手になってないかと思った。連載当初は絵をどのように描いたら良いのか分からず、極めて漫画的にデフォルメした良太の顔と、一回こっきり出てくるヒロインの、その当時の女優だかアイドルだかの写真を似せて描いただけのキャラクターの表情が動かないこと…。

無限ループの17歳。最近の漫画はストーリーが無いと思ったが、昔から無かった

漫画の舞台は小倉の外れにある九鬼谷温泉という架空の温泉地。昔の温泉地というのは猥雑な場所であったようで、町おこしによりすっかりキレイになってしまった熱海もちょっと外れると秘宝館というセックスミュージアムがあるように、温泉→裸、宿→寝る(性的な意味で)と連想されるからか周辺の娯楽も酒場からストリップ劇場といったものばかり。近所にはヤクザの事務所があり、性と暴力にまみれた場所という感じで描かれている。その温泉地にあるまんだら屋という旅館の一人息子、良太と別の旅館の一人娘、月子を中心に、性に開放的な九鬼谷温泉の住民、普通に住んで普通に殺し合いをしているヤクザ連中(殺人が起きても住民は気にもとめず)、高校がある小倉市街、ヤクザが麻薬の密輸をしている門司港など、現実(小倉駅前などは描かれた1980年代とあまり変わっていない。小倉城があり、隣に市役所があり、旦過市場でまだクジラ肉を売っているので外国人を連れて観光できない)と作者の「小倉の思い出」が良い具合に混ざっており、今と変わったもの、変わらないものをみるのが楽しい。1989年に一旦連載は終了。90年代の中頃に続編として「良太」全2巻、2008年に「月子まんだら」全1巻が出ているが、物語の中の時間は進んでいない。

高校生はこんな事を言わない。バブル後のセリフっぽい(良太1巻より)。要するに良太は’80年代の高校生ではなく、作者(オッサン)の代弁者なのだ。

時間の止まった温泉街の’80年代

ヤクザ同士が戦争して、見た感じ何十人も死んでるんだけど、次の話になると何事もなかったかのようにその事件には一切触れない。こないだヤクザ者と女が火の付いたボートで船出して心中してたのに、この漫画の主要キャラクター達にとっては、特にどうでも良い出来事だったらしい。主役の良太と月子は17歳という設定だが、特に進級するでも卒業するでもなく、曖昧に描かれた高校生活(登下校の様子ばかりで授業の場面は殆どない)の1年を10回ループするだけ。主人公が年を取らない漫画は他にも沢山あり、更にありがちなのが最終回手前になると急に卒業したりする展開だけど、「まんだら屋の良太」に限ってはそれもなく、最終回手前でヤクザ同士の大戦争があり何十人も死んだが次の日には完全無視して良太と月子が温泉に浸かりながら月子曰く「私、九鬼谷温泉も良ちゃんも好き」で終わる。え?それで終わりか。セックスぐらいしろよ。続編の「良太」も特にオチもなく、連載にブランクがあっても設定やら何やらの説明など一切無い。「月子まんだら」も同様(温泉地に作ったウォータースライダーを二人で滑りながら終わった)。 *1

*1 その後、描き下ろしの外伝があった。女性記者が地方出版社である九鬼谷通信社を立て直そうとして終わるところまで。立て直すも何も、連載の途中で潰れたとか、そういうエピソードがありましたっけ?

2000年代の「萌え漫画」みたいなものが、別に物語も無いと思っていたら昔の漫画だって物語らしきものは皆無だった。卯月 妙子の漫画「人間仮免中」で60代のオッサンが「まんだら屋の良太は名作ですね〜」と言っていたが、今30歳そこそこの人間が30年後、60歳になって当時を振り返り「らき☆すたは名作ですね〜」と言う日が来るのだろうか?たぶん来るのだろう。

卯月妙子「人間仮免中」より。

月子結婚してくれ!

描くのに10年間掛かった漫画を一気に読んでいくと、1980年代のおさらいのようで楽しくもあり。私は’80年代に生きてはいたけど子供だったので、あの時代が過去の時代と比べてどうであったのか?とは考えられなかった。この漫画のエピソードでは、大規模開発による土地の収用問題で地域コミュニティが二分され崩壊するといったのは、成田空港問題を出すまでもなくそれまでに多数あったでしょうし、土地バブル長者の話や、造船、鉄鋼業界の凋落といった北九州の抱える構造的な問題、チェルノブイリ原発事故を受けて月子や住民が反原発厨になったり、最後の方には光GENJIがどうとかいう話があり、風呂に入っている人が「キナシがさー(とんねるずの木梨憲武の事と思われる)」と言っていたり、月子が書き初めに「平成元年」と書くあたりで、ああ、この漫画はもうすぐ終わるのだな、と少し寂しくなった。
長期連載漫画のヒロインの事を好きになるというのはよくある話なのでしょうが、長らくこの漫画を読んでいると、畑中純の絵をしてだんだん月子が可愛く思えてくるのだから不思議だ。

続編「良太」は’90年代中頃に描かれたようだが、コギャルだの援助交際だのといったセリフが出てきて、物語の小道具として携帯電話も少しだけ出てくるのだけどやはり九鬼谷温泉の時間は止まったままで、21世紀になってから描かれた「月子まんだら」にはインターネットで良太がエロサイトでも見ているのかと思ったらそんな展開にはならなかった。(メールが届く、みたいなセリフはある)

ああ、月子がコギャル言葉を…こないだYMOとか言ってた癖に(良太1巻より)
月子可愛くないですか?最初は文学少女で地方誌出版社「九鬼谷通信社」に出入りしているみたいな設定だったけど後半はそんな設定無くなった。(良太1巻より)

ポリコレ目線で色々ダメだ。でもそんな「常識」がつい最近まであったことに驚く

・良太だけでなく九鬼谷温泉の住人は、「女は(バカなので)男に従うべきだ。一度女だけで国を動かしてみろ(どうせできっこない)」と考えているフシがある
・ジェンダーに凝り固まる。「社会的に見た男らしさ、女らしさ」に拘っている(例:良太「男の道はきびしいのう」←誰も男の道など定義していないし自分で勝手に厳しくしているだけだ)
・同性愛は「変態」であり、「治すべき病気」であると考えている
・強姦されても、それは「男女間のプライベートな事」であり、殺されでもしない限り警察は動かない(殺されてからじゃ遅いんだよ)

別に自分がポリコレ警察になりたくて列挙したわけじゃないし「だからこの漫画はけしからん」と言いたいわけでもない。たった30年で社会道徳がこれだけ進歩した事を喜ばしく思っているのだ。社会の進歩を祝して今夜はパーティーを開こう。若い皆さん、昔は野蛮な時代だったんですよ。道路だけを見ても当時、道を走る車のドライバーは無理な割り込み、スピード違反、すぐクラクションを鳴らす、飲酒運転で通行人を轢き殺すなど。年寄りの私だって、現代の方が過ごしやすいに決まっている。30年、40年掛かって社会はこれだけ洗練されたのだ。私が家族同士でもう親戚づきあいのように親しくしている台湾人夫婦の子供、R君(7歳)はとても聡明な子供で、ルービックキューブを使わせたら6面すぐに揃えられる(私は途中で挫折する)のだけど、そんな彼が日本へ来て「台湾より日本の方が交通マナーが良い」と言っていたが、大丈夫。君のような洗練された若い世代が大人になって多数派になる頃には台湾もマナーが良くなっているから。野蛮な奴は順番に墓の中に入っていくだけだ。人類万歳!人類の進歩万歳!

なので「昔のほうが良かった」などという奴らは過去の野蛮な記憶が一切消える記憶障害だ。閑話休題。

長井勝一が亡くなった頃に描いたガロへのトリビュート。「良太」2巻より

文章も下手だった

「月子まんだら」の後書きに、畑中純が連載当時の思い出を振り返るエッセイが載っていた。この人、絵も下手なら文章もまったく魅力的ではないので、自身のエッセイ的漫画「1970年代記―「まんだら屋の良太」誕生まで」を買おうかどうしようか悩むところだ。2000年代後半の作者は、自分の人生の残り時間を勘案して、社会状況とかどうでもいいから生きていこう、というような意味のことが書かれてあり、その文章を書いた4年後に亡くなった。
要は、野蛮な時代に生まれ、本人も時代に沿うようにあまり聡明でもなく、かといってプロになれるほど絵が上手いわけでもないが漫画が好きだという情念だけで走りきった’80年代のような漫画でした。こういう、一時代はずっと連載していたけど、その後はめっきり寡作になってしまう作家って、その後どうやって食ってるんですかね?Wikipediaによれば、私立大学のマンガ学科教授、みたいに書かれていますけど、私が漫画家を志す学生だったら「先生の絵はヘッタクソだし話もオッサン特有の時代がかった芸術論を良太の親戚の小説家に代弁させたり(例:「私小説は終わった」等)、そういうのもう流行らないんですよ。『表現者たるもの思想がなければ』とか思ってたんでしょ?高度経済成長期には写真家だろうが漫画家だろうが、皆がそんな青臭い中二病に毒されてたみたいですね。そんな小難しい事言ったフリしてインテリ気取ったって大した事言ってないし、描いてませんから。ところで高卒でも大学教授ってなれるんですね」などと言う。
全53巻を5巻ぐらいにまとめた傑作選でもあればとっつきやすいのですが。
でも、まあ、名作です。月子がかわいいから。萌え漫画だって好きなキャラがいたら話なんか無くてもいいだろう。だからこれは’80年代の萌え漫画だと感じた。

追伸

戦後日本人の精神性を研究している方へ。この漫画は良い資料です。何のかざりも気取りもないところが、良い資料になるでしょう。

追追伸

これがもし連載半年で終了となり、単行本も数冊出て終わったら、後世に名は残らなかったでしょう。10年も続いてしまったから、結果として後の時代に読み返すと、その次代を写す鏡のようになって…という「副作用」が出ただけで。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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