Family History:臆病者だった祖父が生きるか死ぬかの戦場に7年間いたストレスを思うと不憫だと思うし戦争を知らない世代が偉そうな事を言っていると後ろから飛び蹴りを食らわせたくなる
そういった次第で私は今、大分県大分市にいる。父方の祖父の生まれ故郷だ。1990年代に一度だけ、祖父を連れて帰郷したことがあったけど、あの頃は大分空港からホバークラフトで大分市まで移動したものだ。ホバークラフトは波が高いとすぐに欠航して、あの時も上陸作戦かと思うような揺れで私などは吐きそうになっていたけど、乗り物無敵の祖父はすましたものだった。何でも祖父の家系は大分県内某村の村長であったが、お人好しが災いして村民の借金の連帯保証人になり、村民が借金を返済せず逃亡し、結果、家は没落。おまけに戦争により長男は死亡。次男である祖父は家を継ぎたくなかったので戦後は神奈川県へ引っ越し、そこでアメリカ軍基地のトラック運転手や幼稚園バスの運転手をしていたようだ。そして死ぬまで神奈川県に住んでいた。結局、私が連れ帰った帰郷が祖父にとって最後の里帰りとなった。ちなみに私が聞いた祖父の最後のセリフは「ひろちゃんか、俺はもう駄目だ」だった。横に祖父の息子(私の父)が居たが、ガン無視だった。
「大分空港が国東半島の突端といった辺鄙な場所にあるのは田中角栄が悪い」と事実と違う妄想を持っていた祖父だった。アホか。いや、殆どの人は基本的な事実すら知らないのだ。成田空港建設反対運動で、警察も反対派も双方に死者が出るほど揉めに揉めてしまった以上、それ以後に日本で新たに空港を作るには、人の住んでいない所に作るしか無かったのだ。関空がなぜ莫大な金を使って海の上に空港を作ったのか?すべてはそういう事であるが、祖父はついぞ理解しなかったようだ。まあ、辺鄙な場所に作ってもその後、鉄道くらい通しても良さそうなものだとは思うけど。
そんな祖父が「うちの家系は某村の村長だった」と言っても、どこまで信用してよいのやら。
乗り物無敵、リバースギアが2,3段付いているような大きなトラックを運転するなど体型以外私とは似ても似つかぬ祖父であると思っていたが、祖父の何回忌かの法事の時、集まっていた親戚がポロッと言った事があった。
「あのおじいちゃんは臆病で、一人で寝るのが怖くて部屋の明かりを消したら襖を開けて部屋の向こうに明かりと人気(ひとけ)があると安心していたのよ」という事だった。
それを聞いて、おじいちゃんは私と似ていると思った。私の家系はお人好しで臆病なのだ。私は子供の頃から、祖父の語る生きるか死ぬかの戦場の話が怖かったのだ 。もし私が兵士として戦場に行ったら、何が起きるのか。もう生きては行けないと思った。臆病な、そして無知な祖父であったので、「国家というのは実体のない虚構であり、そして虚構は人類が便利に利用して協業を促すためにある。それがなぜ、虚構のために死ななければならないのか?現実と虚構の区別がついていないのか?」と歴史家ユヴァル・ノア・ハラリのような結論にたどり着く知恵も機会もなく東南アジアで7年間、通信隊としてフィリピンからインドネシアへ行き、死にそうな目に遭ってきた。それがもし自分だったら?本当に勘弁してほしい。毎日が死と隣り合わせの生活では、ストレスで頭がおかしくなってしまう。
そんな祖父の戦争話の最後は「だから日本は二度と戦争をしてはいけない」だった。これが臆病故に出た台詞であろうがなかろうがどうでもよい。祖父は実際に死にそうな目に遭ったし、兄は死んだのだ。
戦争で死にそうな目に遭ったこともない戦後生まれの政治家が憲法「改正」*1だとか日本語も知らない癖に偉そうな事を言っているのを見ると、背中から飛び蹴りを食らわせたくなる。だからといって永遠にアメリカの傘の下にいるわけにもいかなそうな状況なのも理解しているので、憲法「変更」議論はあって然るべきだ。しかし「人間は亀のように甲羅があるわけでもない、暴力に対して非常に脆弱な存在である。ゆえに「我々は互いの暴力に弱いから互いに傷つけないという合意が合理的目標として設定できる」これが外交の目的であり、あとはそれをどのように実現するかだけだ」という前提にすら立っていないアホを見ると、後ろから飛び蹴りを食らわせて車道に突き落としたくなる*2。
私が夕方、微熱が出ていて体の節々が痛いのに無理してドラッグストアへ自転車で走っていたら道路脇で自民党の女議員が政治演説をしていて「私は中学1年生の頃に聖徳太子のようになりたくて政治家を志しました」という糞の役にも立たないカラオケを一人でまくし立てていたので、ハラリもピンカーも読んだことのない自称政治家の田舎議員の脳ミソのレベルについて思うところがあった。別の日には幹線道路脇で「安倍ウィルスを倒せ」と書かれたプラカードを掲げた別の頭のおかしな人も見かけた。とりあえず政治問題を語りたい奴は聖徳太子女もウィルス男も全員バカだという事が分かった。民主主義万歳。民主主義よ栄えよ。
*1 改正とは「改めて正しくする」であり、その変更が良いのか悪いのか分からないのに「正しい」ことが前提になっており、おかしな話だ。JRでも「ダイヤ改正」などという。増税を「消費税改正」?「変更」ではだめな理由を述べよ。
*2 都会にしか住んだことのない皆様へ:田舎では政治演説は駅前ではなく幹線道路沿いで行われることが多い。
ピンカーに訊く
- 対象の非人間化について。例:「安倍ウィルスを倒せ」
二つ目の心理的障害は「道徳感覚」である。第二章で説明したように、人の道徳感覚というのはあまり道徳的ではなく、そのせいで非人間的になったり(「政治家は愚にもつかない生き物だ」)、懲罰的な攻撃へと向かったりしてしまう(「環境破壊の張本人に払わせる」)。
スティーブン・ピンカー著 21世紀の啓蒙より
2. バカばかりで民主制が機能していないように見えることについて:
そういう視点に立てば,民主制は何かとても難しいことが要求される仕組みではなく,最低限「人々を無秩序の混乱から守る」ことができそうな人に統治をまかせるものだということになる.これが極貧国で民主制が行き詰まりやすい理由なのだ.
スティーブン・ピンカー著 21世紀の啓蒙より
私の物語
子供の頃は、祖父の話による戦争への恐怖、そしていつか自分が死ぬ運命であることへの恐怖に怯えていた私は、それはそれとして無知でバカゆえ楽しかった小学校時代を過ごしていたが、中学校へ入るとバラ色の人生が一変した。学校では生徒皆がお互いの空気読み合戦をしており、他人と同じように行動しようと必死であり、やれテストの成績とか、内申書とか、部活動とか、「エックス・ジャパンのブルー・ブラッドとはどういう意味でどういう綴りか」とクラスメイトが私に聞いたりしていた。1ミリも楽しくない話ばかりだった。いつだったか朝の登校中、私が「開かずの踏切」のせいで遅刻した時、教室へ着くと後ろの黒板にデカデカと「金子が遅刻した」と生徒の一人が書いていたので、バカばかりのバカな場所である学校には愛想が尽きた。樋口くん元気?アイ・ヘイト・ユー。
あのとき私にはバカを無視するという心の強さが無かった。強さとは、喧嘩が強いことではなく周囲を無視できる心の強さであり、私が自分自身の親なら、こんなヘボガキは精神修養のため3年ばかり寺にブチ込むところであるが、当時の私なら3日で逃げ出しただろう。
それから10年ほど引きこもり、暇なのでビデオゲームなどで遊び、暇なのでビデオゲームなどを作り、暇なので横浜や京都のカンファレンスで自作ゲームを発表し、PC雑誌に掲載され、それがきっかけで就職し、今度は「偶然、奇跡で私のようなゴミクズ人間でも就職できたが、このような奇跡は二度と起こらない」との恐怖から前職にしがみつき、16年ほど勤めてしまった。試験により自分の価値が数字で測られてしまう事への恐怖、自分が無価値であることが数字により誰の目にも明らかになってしまう事による恐怖から、逃げて逃げて、ごまかして、冷や汗をかき、嘘を吐き、まるで職場の中で自分だけが部外者のような気分で、車窓から見える自動車メーカー関連会社の工場の看板、あの「○○純正部品」というやつが気になり、つまり自分たちおよび自分たちが作るものだけが「純正」で私は「不純物」というわけだ。何が「純正」だ。大嫌いな言葉だ。
スーツを着ても自分だけが何かサラリーマンのコスプレのような気分で、飲み会などに行き、満員電車に毎日乗り、今まで生きてきたように思う。もしこれが、試験にゲーム感覚で取り組めるような性格に生まれていたら?私はもう少し金持ちだったろう。
そして私は今、一人で寝ることが怖かった祖父の故郷におり、一人で寝ている。風邪を引いた時に心細いが、怖くはない。幽霊などいないからだ。事業がうまく行かなかったらどうしよう、という不安はあるが、文無しになっても死ぬわけではない。繰り返すが祖父は戦争で死にそうな目に遭い、祖父の兄は戦争で死んだ。
これからどうなるのかは分からないけど、今月誕生日を迎え43年も生きてきて思うことは、周囲の人間は自分が恐怖するほどの大天才ではなく、有名大学卒のご立派な肩書であろうが物事の基本的なところも理解していないような奴がほとんど、ということだった。自分が恐れていたのは張子の虎というか、脳のバグというか、嘘、虚構、といった実体のないものだと理解をしてから心療内科通いも止められた。仮に私が80歳まで生きるとして、虚構を打ち破り現実を見るようになるまでに、すでに半分以上生きてきてしまった。こんなもの、中学校の授業でハラリもピンカーも課題図書にすればよい。そうすればここまで悩まなくても済んだものを。
毎日忙しいですね。