TEDばかり見ていた:お薦めビデオと感想
TEDカンファレンスって知ってますか?皆でスティーブ・ジョブズのモノマネ大会をするところです。そんなくだらないところなのに、年会費10,000ドルも払わなきゃ会議には出席できないんですよ。本来なら、毎日パンの耳(59円)にバナナを乗せるか、ご飯になめ茸(110円)を掛けて食べている私のような貧乏人が見られるような会議ではないのですが、ありがたいことにYouTubeに内容が公開されているので、無料で見られます。今日は暇なのでTEDばかり見ていました。せっかくですから感想など書いておこうかと思います。
宇宙への夢と、子供の夢を削ぐクソ教師の話。「どうせできない」この一言が、いかに子供の創造性を削ぐのか?知ったふうな口をきく教師は、宇宙開発などやったことがないのに、「どうせできない」となぜいえるのか?私がその場所にいたら、教師の使命と真逆のことをしている、そんなクソ教師、背中から飛び蹴り食らわせてやる。
そんな教師の言うことは、「もっと勉強して良い学校へ入って良い会社へ入れ」だ。良い会社とは何か?「労せず儲かる所」が良い会社だという。仕事をしない閑職の公務員などがその典型例だろうか。しかし学校教育の目的とは給料泥棒を養成するためのものだろうか?「お前、働かずにだらけてどうする。もっと俺みたいに稼げ」「稼いでどうする」「稼いだら南の島で何もせずに暮らすんだ」「それなら今オレがしていることと同じだ」という欧米の小話を思い出す。
子供の頃の夢を仕事にするとは、なんと幸せな人だろうか。苦労もたくさんあるだろうけど、それを乗り越える価値がある。私のように、全てくだらねえな、と思ってしまった私はどうすればよいのだろうか。
上のビデオにも関係するけど、「学校教育は創造性を殺してしまっている」と主張する話。テストの成績は、それにより生徒の理解度を測るためのものであって最終目的ではない。現在の公教育は産業革命当時の要請で生まれたこと、それは産業にとって有用な科目のみが重用されるが、音楽や芸術は数学や科学と同じくらい重要である。そして学校の成績だけが今や知性だと思われている。これは大学側の都合のみで作られた価値観だ。世界中全ての学校教育が大学への長い道のりになってしまっている。そのせいで無数の天才的で創造性あふれる人たちが「自分には才能がない」と思っている。学校は彼らの才能を認めないどころか駄目だと烙印を押してしまう。
テストは重要で標準テストにも役割はあります。
でもテストが教育の中心になるべきではありません。
診断と補助に留めるべきです。
— — ケン・ロビンソン
アメリカ在住イギリス人である登壇者はアメリカの学校教育の問題点を指摘し、フィンランドの教育を褒める。そして同様に韓国、香港、シンガポールの教育を褒めるが、私の経験からすると香港人に教育について聞いたことはないが、韓国人とシンガポール人から自国の学校教育について聞いたことがある。日本で「受験戦争」なんて言っていた、あのバブルの頃が子供の遊びに見えるほどで、それこそ成績のために教育があるようなシステムに感じるのだけど、登壇者はどのような意図でこれらの教育を褒めたのだろうか?聞いた所によると香港でも、生活コストが極めて高い場所でもあるので、給料の高い職を得るために熾烈な受験競争があるという。
私の友人のシンガポール人は、国費留学生としてアメリカのトップ大学へ留学した、本来私とはとても釣り合わない頭の良い人間なのだけど、留学費用を支払う代わりにシンガポール教育省に5年間所属して、高校教師をしている。
ある日、自分が教えている授業中、生徒の一人が受験の重圧に耐えられずに統合失調症になり、頭がおかしくなった。それを見て彼は、学校教育は何のためにあるのだろうと考えてしまったそうだ。少なくとも生徒の頭をおかしくするためではないはずだ。そんな彼は5年間が過ぎたら、日本で陶芸の勉強をしたいと語っていた。閑話休題。
「死の谷」と呼ばれるデスバレーに、何十年かぶりに雨が降ったら辺り一面、花畑になった。デスバレーは死の谷などではなく、植物たちは条件が揃うのをひたすら待って開花した。子供たちも同じだ。教育とは、子供たちの才能が開花するための条件を整えてやることでは?と述べて終わった。
23年間、ゴールデンゲートブリッジの飛び降り自殺を止める仕事をしてきた登壇者が思い出を語る。自殺を思いとどまり、子供に彼の名前をつけたという元自殺志願者の話。説得できずに飛び降りてしまった人の話。
そして自殺志願者は飛び降りた瞬間「選択を間違えた。生きたい」と思うのだそうだ。しかし時既に遅く、海に落下し、99%は死ぬ。これは飛び降りたが奇跡的に助かった生存者の話。
鬱は遺伝と環境の2つの要因があり、まるで癌のようだと感じた。そしてケアされずに取り残されているのが貧困層の鬱だ。
上記2つの講演は同じ登壇者によるものだ。同性愛者である彼は、子供の頃からいじめられていたという苦難の半生を語る。しかし苦難を人生の糧として彼は成長してきた。これが本当に強い人間だ。
金が無いとふさぎ込んでいる人には金を与えればその人のうつ病は治るんだよ。ではそれは仮病なのかというとそうではない。
現代社会は孤独であり、これまで何百万年も部族単位で生きてきた人間の本性、帰属したいという心理的ニーズが満たされていないが故に鬱になることもあるという。それで自分が何の部族に属しているのかは自分が特に根拠もなく勝手に「マスクしない族」にいると思いこんで「マスクする族」を攻撃するんでしょう。アメリカの状況を見ればわかる。くだらねえ。非理性的、非理論的、な行為が部族の旗印になってしまうと、人間の本性はそこに帰属したいがゆえに自分はマスクしない族であると周囲にディスプレイをして部族の加護を求める誤動作をしてしまうのはどうしたらよいのか。