あるインタビューで当時の不登校を思い出した
私はこの人に会ったことがある。覚えていないけど。
私にとって、ごく身近なキーワードである、藤沢市の心療内科である三吉クリニック、不登校者の居場所であったカフェ・ドゥ・そーじゃん、全日制、定時制、通信制のある神奈川県立湘南高校、と繋がりがあり時代的に私の頃と重なっているので、たぶん私は駒﨑さんにどこかでお会いしたことがあるのではないかと思った。覚えていないけど。
“20世紀の精神異常者”
未だに言葉では説明することができない、数多くの理由により引きこもり(当時はこんな言葉は存在しなかった)となった私は親に連れられていろいろな病院をたらい回しになっていた。入院施設もある精神科病院でロールシャッハ・テストをやらされたり、何か一軒家の民家のような病院で「毎日ウチへ来て掃除をしろ」と医者に言われたり(当時はアホかこいつ、なんでお前の家でタダ働きしなきゃならないんだ、と感じたが、これが作業療法というやつなのかもしれない)、そのような病院を「合わない」と思っていた私は三吉クリニックへたどり着いた。そこで三吉先生に何を言われたのか全く覚えていないし先生の顔をも思い出せないけど、何故か処方されたのがツムラのなんとか湯という漢方薬であったという事と、「カフェ・ドゥ・そーじゃん」という奇妙な名前のところへ行くと良い、とお薦めされたことは覚えている。三吉クリニックは、その後数ヶ月は通ったが、じきに行かなくなってしまった(漢方薬で治るものかと思ったからだ)。
カフェ・ドゥ・そーじゃん
今もその関係性がよくわからないのだけど、三吉先生にすすめられた「カフェ・ドゥ・そーじゃん」は、喫茶ポトピという喫茶店というか地域の作業所の中にあった気がする。店の中が何か区切られているというふうでもなく、何か曖昧なその店内のせいで、そーじゃんとポトピの関係性が未だによくわからない。インタビューの文章を読むと、そーじゃんは2018年3月で解散したようだった。ポトピはまだあって、喫茶店の近くに一軒家の作業場もあるようだ。
当時、そこで思い出されるのは中年の女性だけなので、駒﨑さんがいたのかは思い出せない。ただその中年の女性に何事かを話したのと、店内にはエンヤのアルバム「ウォーターマーク」が流れており、その女性はこの歌をたいそう気に入っていた、ということだけは覚えている。私と母は、ここで何かコーヒーのようなものだけ飲んで帰ってきたと思う。それからそーじゃんというかポトピへ行ったことは無いが、たまにあの大鋸(だいぎり)の境川沿いの道を通りかかると「まだやってるのかな?」と気になることはある。
その当時、私が思っていたのは「なぜ自分がこんな所に?これは自分にはふさわしくない」であった。「こんな所」という名の変数には(学校|病院|作業場|居場所)などの文字列が代入される。「これは私にはふさわしくない」と思うことこそが、仏教でいう「苦」そのものであると知ったのは、それから30年後のことだった。なので、未だに不登校の文脈で語られる「学校には適応できなかったが、不登校者の居場所やオルタナティブスクールには適応できた」というハッピーエンドの物語には、あるコミュニティから別のコミュニティへ移っただけの、社会適応能力の高いエリート引きこもりの皆様の夢物語が書かれているだけで、そのようなことが可能なのは、例えば学校でいじめられた子が、別の学校ではいじめられなくなったので居心地が良いなどの場合だ。
疎外感があり、コミュニティへの帰属意識が育たない私は、そのような器用な、そして大多数の人間がさも当たり前のように行っていることは到底無理だった、ので、これら1990年代初頭の病院、居場所行脚は無理だった。
インタビュアーの栗田隆子という人は私より何歳か年上だけど、出身地がごく近かったり、経歴などが途中まで私と似ていた為に、やはりどこかですれ違っていたのかもしれない。ネットで調べたら数冊の著書もあり、それはいいとしてもTwitterの超アクティブユーザーなので、私は苦手だと思う(私Twitter嫌いだし、設計上、とても議論できるプラットフォームではないと感じるし、偉そうに一言吐き捨てるだけのサービスなのに、それに気づきもしない鈍感な連中を嫌っています)。
24時間SNSに張り付いて糞の役にも立たない「たわごと」を読んだり書いたりしている連中はバカだと思う。
ああ、それにしても、駒崎さん。覚えていないが私は学校であったのかもしれないので「駒崎先生」と呼ぶべきかもしれないし、居場所の代表として会ったのかもしれない。当時、このような不登校者のための居場所を作ってくれる人たちはいたが、私は唯一、私の家族以外の、どのコミュニティにも属せなかった。
後年、福満しげゆきの「僕の小規模な失敗」という漫画を読んで、それには作者の3度の退学経験(全日制高校→定時制高校→夜間大学)が描かれており、つい自分と重ね合わせて泣いてしまった。なぜ私はこんなにも自己肯定感が低いのか。世の中の多くの人はこのような感情を克服した心の強い人ばかりなのか、それとも、たまたま生まれつき自己肯定感が強い正確に生まれついて、殆どの人はこのようなことで悩んだりしないだけなのか?よくわからない。
右派も左派も健忘症
駒﨑 70年代の大学闘争がアウトになったあと、どうも日本全体の倫理のレベルが下がった気がするんだよね。他人の状況がどうだろうと関係ない。自分のことじゃなくても、これは何とかしないといけないと思って動くようなことがなくなっていますよね。社会問題で、「こんなこと許せない」「これはひどい」という感覚がなくなってきて、感覚的なところで投げやりというか、70年代半ばから80年代以降、倫理や価値観が劣化しているんじゃないかと思います。正義なんか関係ない。人々が、やさしさとか自由を追求しなくなった。
昔はもっと野蛮な時代でしたが、お忘れでしょうか?「昔が良かった」というのは右派も左派も同じ健忘症患者のセリフですが、昔はもっと野蛮な時代でしたよ。私は駒﨑さんよりもっと年下だけど、私の子供の頃と比べても、現代ははるかに良くなった。些細なことで言えば、車の運転手のマナーは今よりずっとひどくて、すぐにクラクションを鳴らしたり、割り込んだり、飲酒運転におおらかだったので交通事故死亡者だって年間1万人くらいいたし(今は4000人程度)、家庭内暴力だって「家の問題」だとして警察は無視していた。借金取りの横暴だって「自己責任」として警察は介入しなかった。女性差別だって今よりひどく「女に学があってもろくなことにならない」と言われていた。親から子供への体罰も昔のほうがひどかった。同性愛者は「治すべき病気」と思われていた。学校だって、生徒に暴力を振るう先生がいた(新入生を背おいなげした新林小学校の伊藤先生元気?早くくたばってね)。駒﨑さんだってそれを見てきたでしょうに。今なら大問題だ。これが「倫理の劣化」なのでしょうか?むしろ「道徳が進化している」と捉えるべきでは?
学校の状況もひどくなっているでしょう。
そうですか?校内暴力のピークは80年代だったような。生徒も「ツッパリ」のような頭の悪い奴らがいなくなったじゃない。こんなものは、校内暴力に関する研究を見ればすぐにわかることでしょう。
駒﨑 僕も、もう関わらなくなってたんだけど、実は、この3月(2018年)で終わりなんです。作業所になった91年から数えても、27年間、続いてきたんですが、だんだん来る人がいなくなってきてね。来る人も、発達障害とか統合失調とか診断名がついて、昔とちがってきた感じになってきたのもあると思います。
山下 よくわからない問題だったのが、医療の問題におさめられてしまってきたところもあるんでしょうね。
栗田 その枠だけが生きのびる術になって、それ以外の枠が衰退していったのかもしれないですね……。つまり結局、医療だけが残っている。
駒﨑 医療で命名されると、みんなが納得しちゃうでしょう。そこで、ホッとしちゃう。この人はこういう病気なんだってことでね。
山下 ほんとうは、そのわからなさから考え合っていかないといけないんだけど、判断を専門家にあずけてしまいますよね。
栗田 それと倫理の劣化はつながっている気がします。倫理といっていいのかわからないけど。
駒﨑 命、かもね。
栗田 命の劣化ですか……。しんどいと、いま生きるだけで精いっぱいになってしまって、目の前のことしか考えられなくなっているかもしれないと思います。だから、他者のことも見えないし、未来のことも考えられない。それは、今となっては私個人にも責任があるように思います。活動とかできない子どもの最先端だったから……。
今まで社会から無視され阻害されてきた人たちに何らかの病名が付いたことで、それらの人々が社会にとって可視化され、どうにかしてこの問題に取り組まなければという流れになってきた、という可能性は?
私がいるソフトウェア業界で四半世紀前に流行った「デザインパターン」は、今までちょっと頭の良い人間が思いつきで設計していたパターンに名前をつけることで、そのアイディアが素早く他人に伝わり、良い結果をもたらした。
名前をつけることでアイディアが可視化され、それに対する賞賛や反論や、さまざまなことができてアイディアは前に進むのではないか?
右派も左派も、昔の悪い面は全て都合よく忘れた上でノスタルジーゆえに「昔は良かった」と根拠もなく言うのだから、どちらも同じくらい馬鹿でしょうもないな、と思う。しかもそれが、インタビューイは日本のエリート養成機関たる最高学府(東京大学とかいうところ)を出た人間であり、それに同意する聞き手2人は大学院で高等教育を受けた人間なのだから驚きだし、その言葉の矛盾を感じ取る程度には私の知恵は発達したように思う。これが彼らの言う「脱学校」なのかどうかは知らない。
命は劣化していない。栄養事情も医療事情もここ数十年で、世界レベルで劇的に向上している。この命という意味が道徳的な意味だったとしても、世界の暴力は減り続けているので劣化していない。それは今ある問題を無視するものではないけど、大局的には人類は物質面でも精神面でも向上し続けている。エビデンスがある。
まとまらない記事
私は自分と周囲について、未だによく分からない。分からないが、読書などを通じて最大の疑問であった「なぜ今の社会はこのように(自分に都合の悪いように)なっているのか」が、おぼろげながら分かるようになってきた。それは文字が読めたからであり、それは学校教育の賜物だ。だから教育は否定しないがそれを学校という施設で画一的にすることに対しては「何百年前の話だよ」と感じる。
だからといって「タブレットで問題が出るだけの電子教科書」で問題が解決すると考えているほど私は馬鹿ではない。文科省の偉い人が、コンピューターがなにかも知らないくせに「プログラミング教育の目的は子供の抽象思考を養うためだ」なんて言ったそうだけど、オッサン算数って知ってる?あとコード書いたことないでしょ?サイバー担当大臣がパソコン使えない国だからな(私はプログラミングの義務教育化には反対です。抽象思考の育成なら算数で十分)。
技術音痴の人間が、AIがどうのとか的はずれな事を言うのと同様に、中途半端に知っている連中が、テクノロジーが全てを解決するかのようにのたまうのも、技術を深く理解していないからこその誤解だと思うし、とても幼稚な無邪気さだと感じる。
斎藤 そうです。クラスジャパンなんて、ひどいですよね。「原田メソッド」とか言ってますが、あれはワタミでも使われている方法論だそうで、いわばブラック企業の社員教育の方法論を不登校にあてはめようという、おそろしいたくらみです。
*4 クラスジャパンプロジェクト:「学校・企業・地域が一丸となって不登校の小中学生の学校復帰を支援する」と謳って、角川ドワンゴ学園の役員などが中心となって立ち上げたプロジェクト。批判を受けて「学校復帰」の文言は消えた。会長は原田隆史さん(元中学校教員)で、ネットクラスを通じて「原田メソッド」にもとづいて「自立教育」を体得させるとしている。
http://futoko50.sblo.jp/article/183942046.html
というか、ウェブサービスをC++で実装するような時代遅れのゲーム屋脳のヘイトスピーチ動画を削除しない糞会社のドワンゴの言うことをなぜ皆信用するのか?脳みそメモリリークしてるんじゃないの?ドワンゴの好きなC++によるとnewで確保したメモリ領域はdeleteしないと消えないよ。C++11以降は知らない。
私は単なる引きこもり(当時そのような言葉もなかった)で、暇つぶしにビデオゲームに熱中していただけの穀潰しだったが、その御蔭でコンピューターに興味を持ち、独学でコーディングを覚えた結果、就職もできたし「手に職」も得た。だから私にとっての学校は、読み書き計算などの初等教育を除けば、すべて自習だ。学校教育の目的が「ソビエト連邦の国旗のような<カマ>と<トンカチ>が主要産業であった時代に、農場や工場でそこそこ言うことを聞くマニュアル・レイバー」を養成することが「産業界の要請」であった時代は、それがうまくできていたような気がする。
しかし、今どきはあまりにも技術の進歩が早いので、学校のカリキュラムがついて行け無いのでは。少なくとも現場の先生では教えられないのでは。
だからといって私は不登校を勧めるわけではない。学校でいじめられて、死ぬしか無いと思っている子には「そんな糞みたいな所、金輪際行かなくていいよ」と言ってあげるが、学校へ行かなければ行かないで、私のように30年以上後を引くし、最近はさすがに見なくなったが、数年前まで「学校へ登校しようとするが、家を出てすぐに忘れ物に気づいたり、なぜか海底を歩いているように体の動きが遅くなっていつまで経っても学校へたどり着けない」という夢にうなされることになる。この同じ夢を100回ぐらい見た。
上記の「不登校50年証言プロジェクト」でたびたび話題に登る記事がある。
山下 朝日新聞の夕刊1面トップに「30代まで尾引く登校拒否症」という記事(*2)が出たじゃない。あの記事に対して、同じ朝日新聞の「論壇」に僕が反論を書いたんです(1988年10月24日)。
*2 登校拒否は早期に治療しないと30代まで尾を引き無気力症になる、カウンセリングだけではなく複数の療法が必要という稲村博さん(精神科医/1935―1996)らの研究グループの見解が朝日新聞(1988年9月16日)夕刊1面に掲載された。http://futoko50.sblo.jp/article/181969996.html
私、40代ですが尾を引きまくっていますし、自分が不登校者であると1日たりとも忘れたことはありません。「無気力症」というのはDSM-5に書かれた正式な病名なのかどうかは知らないけど、精神科医にあるまじきでたらめな病名だ。そして私はここ4日は床に臥せっていた。
これが治療して治る「病気」なら治したかったが、少なくとも私に限った話では、これは私の生来の気質に関わる部分であるので(親兄弟を見ていると半分くらいは遺伝なのだと分かる)、恐らく治らない。
では当時、何らかの「治療」をすれば「病気」が治ったのか?と考えるに、それは無理だっただろうと感じる。生まれ持った性質は薬では治らないし、これは病気ではないからだ。
世間的に「高学歴」とされている方々が、大したことを言わない/まったく的外れのことをいうのが「脱学校」なのだろうか?不登校者の似非インテリのコミュニティにもにも入れない自分だった。エリート不登校者が通う東京シューレ。私とは違う好学の徒がそのうち学校へ復帰するための一時避難所だった。学校やコミュニティに属するということが全くわからない人生だった。
結局、こういった人たちは最近の研究やら、研究者が書いた一般向けの本やらビデオやらを見ていないから、脳ミソが若い頃のままで止まってるんでしょ?知識や知見をアップデートできない人たちは、果たして「頭が良い」と言えるのか?