まさか私がPS5の在庫情報について中国在住者から尋ねられるとは思わなかった/生活環境の改善について私の母の物語

Hiroki Kaneko
Dec 27, 2020

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PS5が欲しい中国のビデオゲームフリーク

微信We Chat に久しぶりにメッセージが入った。ちなみに全部英語だ。
「やあ、PS5って知ってる?」

誰だっけこの人…と過去ログを見ると、ああ、厦門在住の、あの青年か。以前うちに泊まったことがある…。

「知ってるよ」
「PS5は今、中国ではとても手に入りにくいんだ。日本ではどうなっているのか。幾らで売られているのか」

Webで調べる。
「¥39,980と¥49,980だ」
「日本では買えるのか」

どうも彼はPS5を欲しがっているらしい。そんなに熱心なゲームフリークだったのか。
と私が思うのには意味がある。この日本という、世界的ゲームコンソールを作っている会社が2社(任天堂とSONY)あるという特殊な状況で暮らしていると忘れてしまうが、ビデオゲームといえばPCで遊ぶのがグローバルスタンダードであり、中国で日本のゲームコンソールが正式に売られるようになったのは21世紀になってからであった筈だ。それまで中国のゲームフリークというのは、まだIBM PC部門を買収する前のLenovoのPCでWindowsを動かし、そこでPCゲームを(キーボードとマウスで!)遊んでいたのだろう。私から見ればゲームは専用コントローラーで遊ぶものであり、キーボードは文字を打つもの、マウスはポインティングするもの、としてしか認識していない。さぞや不便だろう…と思ったら、今や日本の家電量販店には「ゲーム専用キーボード」やらマウスやらが売られている。その他、ゲーム専用の、スポーツカーのシートのような椅子やら、PCゲーム業界というのは私が知らないところで活況を呈しているらしい。

そのような状況だから、中国でゲームコンソールを持っている人というのは「金持ちの子供か、相当なゲームフリーク」であると、別の中国人ゲストから聞いたことがある。

「Webで調べたけど、抽選販売みたいだ」
「IPアドレスを教えてくれ」
「What’s the IP address?」
「例えばwww.xxx.comみたいなやつだよ」
「(それはURLでは…抽選販売サイトを知りたいのか)」
「いいけど、日本に住所がない人は応募できないと思う」
「なんてことだ!私は日本在住の友達はヒロしかいないんだ!」
「残念だけど、PS5の中国発売を待ったほうが良いと思う。それにしても、PS5は中国で作っているのに中国のゲームフリークは手に入れられないというもどかしさには同情する」
「え?PS5は日本製じゃないの?」
「東莞市(深圳の隣)で作ってるんじゃないの?」
「でも私のPS4にはMade in Japanて書いてあるぞ」
「(更にWebで調べる)ええと、生産工場はマレーシア、中国、日本にあるようです」

私、ビデオゲームから離れて15年くらい経つので最近の状況をよく知りません。PlayStationは2までしか知りません。なぜ皆、最新のゲーム機、最新のゲームで遊びたいのか理解できなくなってしまった。私は20歳そこそこの頃から「ゲームソフトやハードは発売から1年ぐらい待てば値段が下がるから、1年後に遊ぼう」と「上手な買い物ルール」を発見して以来、そのようにして、遂にはゲームも遊ばなくなってしまった。だからまだ、ビデオゲームでも何でも良いけど、何かに熱中できる人は幸せだと思っている。私はなにかに熱中できるだろうか?

「ところで日本のCOVID-19の状況はどうだ」
「良くないねえ」

https://xiamen.tokyo/2018/01/10/aboutxiamen/

私はまだ中国へ行ったことがない。厦門から海峡を挟んだ台湾へは3回も行ったことがあるのに。厦門は何か、観光都市といった感じではないので、他の中国の大都市、例えば北京、上海と比べて「行きたい」という感じではないけど、台湾行きと飛行時間がそう変わらないのなら、一度行っても良いのではないか、という気がした。

Family Story; In case of my mom 私の母の場合

私が思ったのは、中国在住の人たちの多くが豊かになって良かった、ということだ。以前私の家へ来た、成都在住の女性のお母さんは四川省の山の中で生まれ、仕事を求めて成都へ来て、それは苦労したのだそうだ。そのお母さんから見れば今の中国は、食料、医療、教育と昔とは比べ物にならないくらい豊かになったと実感しているだろう。
私の母親だってそうだ。山形と秋田の境目にある鉱山町で生まれ、田舎に仕事はないので高校を卒業するとすぐに兄を頼って上京(神奈川だけど)してきた。就職できるツテなど無く、兄の家で寝泊まりできなければ、いきなりホームレスになっていたところだ。
その後、駅前の本屋の店員休憩所に寝泊まりしながら数年働き、貯金をしてアパートへ引っ越した。アパートといっても台所トイレ共同風呂なしの、ひどいところだったそうだ。

https://www.townnews.co.jp/0603/2018/06/01/434150.html

それに比べれば今の生活は自宅に風呂もトイレもある。風呂はボタン1つで湧くし、トイレはシャワー付きだ。暑くても寒くてもエアコンがあり、50インチの大画面テレビに接続したAmazon Fire Stick TVから、昔の映画を見ている。病気になれば病院へ行ける。食べ物なら、スーパーマーケットへ行けば食べ物が驚くほどの安さで売られているので、卵かけご飯だって毎日食べられる。ハードオフなどリサイクルショップへ行けば、キレイな服の中古品が数百円で売られているので、私の母は衣装持ちだ。これが、年金しか収入のない貧乏な老婆の生活だ。いい暮らしじゃないか。
100年前なら、世界一の金持ちだってエアコンや、インターネット経由で映画が見放題サービスやら、シャワートイレは持っていなかった。5000年前なら、エジプト王だってピラミッドは持っていたが暑ければ家来がうちわで扇いだだけだろうし、歯が痛ければ、麻酔の注射などなくペンチで引っこ抜くしか無かった。古代の王様よりも現代の貧乏人の方が生活の質は上だと思う。

世界は良い方向へ向かっているので、希望を捨てずに生きよう

2020年は海外旅行などできない年になってしまったが、来年か再来年になれば、また旅行できるようになるだろう。多くの人が海外旅行をして、その土地の人たちの生活を知れば相互理解に繋がり、世界はより平和になるだろう。

私が子供の頃の中国人のイメージといえば、漫画「Dr.スランプ」の摘(つん)さん一家ぐらいしか知らなかった。あとはテレビで報道される、中国残留日本人孤児の育ての親についての話を聞くぐらいだった。私が子供の頃というのは、それくらい「戦後」が色濃く残る時代だった。
一方その頃、中国人から見た日本人のイメージといえば、カンフー映画で主役に倒される「親兄弟を殺した悪い日本兵」のイメージだったろう。それが今やどうだ。中国の若い世代は日本のアニメやらビデオゲームやらのポップカルチャーに親しみ、去年までは頻繁に日本を訪れてくれた。私はといえば、数百人単位の中国人観光客を家に泊めてきた。見違えるような相互理解の進展だ。昔は高価だったバナナや卵を毎日食べられるようになったのと同じくらいの進歩だ。
相互理解の進展という社会にとって良い作用があるなら、航空業界が排出している「産業全体の3%に相当するCO2」は、払わなければならない対価のようなものだ。3%分は他の産業の脱炭素化で賄えば良い。あとは飛行機もだんだん燃費が良くなっている、というか燃費の悪い旧ソ連のツポレフとかイリューシンなどの機体を、航空会社が採用するわけがない。

今年は酷い年だった。しかし2021年は今年より良くなるだろう。COVID-19ワクチンの開発などが、その予想の確度を上げている。
50年、100年単位で見れば世界は劇的に良くなっている。希望を捨てずに頑張ろうと思った。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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