「キャリアを築けなかった」で叩かれるのは芸能系ばかり。序の口力士が挫折して地元で低賃金労働をしても叩かれないのは意味のないスポーツ礼賛があるせいだ
上記記事の要約:「声優を目指して上京したが芸能界(声優も芸能人だ)は運と才能に同時に恵まれないと芽が出ない。生活のための副職で体を壊し、貸した金も返ってこず故郷へ帰った」
体を壊したり借金を踏み倒されたことはかわいそうだと思う。それ以外は、まあよくある話で、残念でしたが仕方がないと思う。つまりこれはある人物の挫折の物語であり、それ以上でも以下でもない。こんな話、世間にいくらでも転がっているので、今更取り上げる記事でもないだろう。
そしてそのような夢追い人の挫折を叩くようなアホがいるという。しかしそいつらは夢の種類に対して叩く、叩かないを分けているように思えてならない。
自分のやりたいことをやって、何が悪いんだ?それが駄目だというのなら、自由恋愛も法律で禁止にして親が決めた相手とだけ結婚すればいい。そのような時代に戻りたいのか?自由恋愛だって離婚することもあるだろう。しかしそのようなリスクがあるからといって、「許嫁(いいなずけ)」の時代に戻りたいと思う人間がいると思うか?だったら彼のやった事だって、何が悪いんだ。
叩かれやすいのは:
- 俳優(声優含む)、タレント全般
- 歌手、バンド
このくらいか。芸能系だ。逆に「叩かれないレア職業」は何だろうか:
- アスリート(相撲、野球、サッカーなど)
こっちだって才能と運と同時に恵まれないと芽が出ない。スポーツ界は実力のみでのし上がれると思った方、不正解。テニス、ゴルフやフィギュアスケートなど、マンツーマンでコーチをつけるスポーツは月謝が高く、お金持ちのお坊ちゃんお嬢さんしか上手くなれません。そして誰も親は選べない。
同じじゃないのか?新弟子検査には合格したが、芽が出ずに相撲の道を断念して地元へ帰り、低賃金労働をしていますという人に対しては以下のような目は向けられない:
取材で話を聞いてから数日後、ミチオさんからメールが届いた。そこには次のようなことが書かれていた。 「YouTubeを見ていたら、生活保護を受けている元ヤクザの高齢男性が出てくる動画に対して『自業自得』『勝手気まま、好き放題にふるまってきて今さら他人の世話になるな』というコメントがたくさん寄せられていました。(こうした批判は)若いころに芸能に打ち込んで大成できなかった自分のような人間にも向けられるんでしょうね」
自身のことが記事になってバッシングされることを恐れたのか。元ヤクザとかつて声優を目指した人間とでは少し違うし、YouTubeやネットのコメント欄に書き込まれる意見が多数派であるかも定かではない。ただコロナ禍において、俳優の西田敏行さんが日本俳優連合の理事長として同業者たちの窮状を訴えたところ、SNS上で炎上したことを見ても、現在の日本社会においてゆがんだ自己責任論を振りかざす人が少なくないのは事実だろう。
この記者も紋切り型でダッセエ記事書くなあとは思う。この想像力の無さは、少年犯罪が起きると「心の闇」という曖昧な言葉で何かを説明した気になる手合だ(東洋経済という老人出版社がそう書けと命令しているのだろうが)。
「ゆがんだ自己責任論」?違う。
これは弱者を更に叩く醜悪な図であるが、そこにあるのは「ゆがんだ自己責任論」ではない。叩いている人間に聞いてみるといい。
この行動は「義憤」という。税金をどのように分配するかについては政治的に意見が分かれるところだが、政治的右派が気にするのは「義憤」であり、言い換えるなら「フリーライダー(ただ乗り者)への罰」だ。
「フリーライダーへの罰」はチンパンジーにも観察されることから、これがサルの本能であろうことが想像できる。「義憤=フリーライダーへの罰」は、集団で生活をする動物がお互いの協力を促進するために進化の過程で手に入れた感情と思われる。協力しなければ生きて行けないというのに、サボってもらっては困るのだ。
集団での協力という点から見れば、この記事のインタビューイは副職で体を壊すほどのハードワークをして、納税もしていたために何の問題も無いはずだ。
だが、病気で働けない人もいるだろうし、直接の収入にはならないけど人類全体の役に立つ研究をしている人もいるかもしれない。そのような人たちは「フリーライダー」だと呼ばれて、サルの本能によると救済の対象にはならない。人類600万年だが700万年だかの99%の期間は、生きるか死ぬかで生きてきたので集団の足を引っ張る人間は崖から突き落として殺していたのかもしれない。そして、一見何の役に立つのかわからない基礎研究が、後の世で人類全体の福祉に貢献するかもしれないという高度な予測など、サルの本能では予知できるわけもないのだ。したがってこの「義憤」は、本能の無駄な副作用である。
産業革命によって拡大したパイのおかげで、自分の夢を試してみても良いと思えるような時代になった。結構じゃないか。何の問題が?
つまり21世紀の「義憤」は、時代遅れの行動アルゴリズムに沿って行われた、百害あって一利なしの本能のクソカスであり、そのような口からクソを垂れる人間を崖から突き落として排除できないのだとしたら、せめて発言は削除しなければならない。
この本能が有効である前提は「富はゼロサムゲームである」という場合だけだ。つまり、狩りで手に入れた鹿の肉を、誰かがすべて奪ってしまったら自分の取り分はゼロだとかそういう場合のみだ。
貨幣経済において、富はゼロサムゲームではなく、無から生み出すことも可能だ。銀行から借金をする場合は、無から有を生み出すかのように、現在は存在しない金を貸し、未来にそれを返す。サルの本能にこのような魔法は通用しない。だからこの場合「自分の心の命ずるままに」行動したら間違いだ。
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。
“所得格差が広がる”?
問題は「格差」といって上ばかり見ることではなく、「下の底上げ」が十分にあり、誰でも住所と食料と医療と教育が受けられるのなら、「上」がどれだけ儲けて「格差」が広がろうがどうでもいい。問題の原因を履き違えている。「貧困問題」は「格差問題」ではない。
“そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。”?
貧困が人類のデフォルト状態なのだから、それが昨日今日はじまった現象のように言われてもそれは違うだろう。
問題なのは「人類が進化の先へ行って社会構造を自らの知恵で作り変え始めたのに脳ミソは部族社会の狩猟採集生活の頃から何も変わっていないことであり、チンパンジーと大して変わらない生活をしていた頃ならおおむね正解だった本能が、急激な社会の変化により役立たずになっている」ではないのか?
なので、「ゆがんだ自己責任論」など存在しない。そんな事を言うやつには
よおサル、この本を読め
ということになる。
存在しない「ゆがんだ自己責任論」だとか何とか、いつまで記事のネタにするつもりだ?その問題は「存在しない」で既に解決済みだ。