ゲストと一緒に箱根へ
ドイツ出身のノーベルトは3回目の来日で、前回がコロナ前の2019年だから私と会うのは5年ぶりだった。この5年間で世界はすっかり変わってしまい、ヨーロッパからシベリア経由でアジアへ向かう最短距離の飛行機はなくなってしまったし、航空券だって高くなった。物価だって高くなったが、日本へ行く場合は円安なのが唯一の救いか。
彼と一緒に日本へ来た女性は日本が初めてだったので、以前ノーベルトと一緒に行った箱根へまた連れて行ってくれ、ということになった。箱根は私の家から近いので、私としてはあまり面白い目的地ではなかった。前回は一緒に沖縄の離島へ行ったりしていたから、今回もどこか遠くへ行こう!と提案したが、彼らの日程上、それは無理だった。
私が箱根について不満に思っていることはこんなところだ:
・ホテルの値段が高い
・レストランの値段が高い、数が少ない、美味しくもない
・箱根湯本から芦ノ湖へ行く道路が2本しかないので、すぐに渋滞する
・箱根登山鉄道も最近まで止まっていたので、山の上まで行くにはバスしかない
要するに、当たり前だけど山地なので交通の便が良い場所ではないのだ。
しかし旅行当時、既に盛りを過ぎた桜の開花は、箱根の山の上ではまだ開花中だったのでちょうどよかった。
ノーベルトと、連れの女性と3人でまずは小田原まで行き、ドトールコーヒーで朝食を食べた。何か話したか?気候変動と日本の対応、みたいな話をした。私の意見としては、気候変動に対処するために今こそ「カーボンフリー」発電である原子力発電を使うべきだが、日本の状況では難しい。それは福島第一原子力発電所事故があったので、日本人は「原発は危険である」と恐れているためだ(そういえばドイツも原発の全廃が決まったけど、これは私の意見では「気候変動に対処する」目的としては逆効果な気がする。ロシアの天然ガスには頼れないので)。そんな話をした。
ノーベルトと会うのはこれで3度目だった。最初は、彼が大学を卒業して数ヶ月暇ができたのでバックパッカーとして日本へ来たときに知り合った。この旅で彼は日本中を旅行して、各地のユースホステルで出会った旅行者たちとすっかり仲良くなったため、それ以来、日本に夢中になったようだった。
二度目の来日では、「ヨーロッパでは見られない南の島でサンゴ礁を見よう」と私が提案して、一緒に沖縄へ行った。渡嘉敷島へは那覇の泊港から日帰りでいったので、滞在時間は正味2,3時間、といった慌ただしい旅行だったが、美しい砂浜やサンゴ、ウミガメも見ることができた。「天国のようだ」と彼は言ったが、観光客相手の旅館ぐらいしか産業がない/病気になっても病院がないので那覇からヘリコプターで病院へ搬送することしかできない離島が、果たして天国なのか?と思った。それは気楽な旅行者がきれいなビーチを見て出るセリフのような気がしたが、別に彼を責めたいわけではなかった。そこまで知った上のセリフではなく、それは単純に「きれいな海ですね」と言っただけだったからだ。
今は焼失してしまった首里城へ行ったのも良い思い出になった。
帰国後、彼は日本語検定試験も受けつつ、ドイツ企業の日本駐在員の仕事を探していたところ、コロナ禍になってしまった。日本へ行ける見込みもないんじゃ日本語の勉強も止めてしまっただろう…彼も年を取って、仕事も忙しくなるし、もしかしたら結婚するかもしれないし、そうなったら何週間も旅行をしている場合ではなくなるだろうな、と思っていた。
その後、彼は勤めていた会社を辞め、大学院で生産管理の修士号を取得、また別の会社で生産管理のマネージャーとして就職したらしかった。すごい人だ。ドイツの公立大学はほとんどお金はかからないとはいえ、生活費は当然、自費で賄わければならないからだ。勉強のために、まずはお金をためてそれから学校へ戻るというのは私には到底真似のできないことだと感じた。「キャリアアップのために大学へ戻る」というのは、私にとってなにか別の星の話のように聞こえた。
「生産管理マネージャーなんて、実際に働いてくれる人にお願いして、成果物ができるまで自分はコーヒーでも飲んで待っているだけだよ」と彼はうそぶいてみせたが、そんなに楽な仕事ではないだろう。
箱根の日帰り旅行というのは、周遊券を買ってすべての公共交通機関を駆使して箱根を一周するというもので、本来なら箱根のホテルで一泊するものだが彼らは私の家に泊まっている以上、日帰りにするしかない。かなり慌ただしい旅行でもあったし、箱根へ行くたびに思うのだけど、芦ノ湖から箱根湯本駅まで戻るバスは必ず満員で座れないだろうな、と思うと憂鬱だった。
箱根は食事をする場所がない、というのが私の感想だ。ほとんどの観光客は自分たちが泊まっているホテルのレストランで食事をしているのではないか?そういったところは値段が高いから避けたかったので、小田原駅のコンビニでサンドイッチでも買って、私たちは訪れた強羅公園のベンチに腰を下ろしてサンドイッチを食べていた。
この日の箱根は、なぜかフランス人とロシア人でいっぱいだった。なにか、団体旅行でもあったのだろうか。いつもならたくさんいる中国人観光客はこの日に限っては少なかった。
そんな、ヨーロッパ人たちを満載したボートに乗って芦ノ湖の反対側まで行き、箱根神社を見た後は憂鬱な満員バスに乗り、箱根湯本駅まで立って帰った。
ノーベルトはまた日本へ来てくれるだろうか?その時に私は、日本は、世界は、どうなっているだろうか、と考えた。