ハラリがウクライナ情勢について寄稿したことで、ハラリを少しだけ好きになった

Hiroki Kaneko
Mar 13, 2022

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Photo by Dimitry Anikin on Unsplash

ツイッター、マジで嫌い

ツイッター、マジで嫌い。「140文字で表現できない事柄について、推敲せずに脊椎反射で、誰でも、いつでも、どこでも投稿できる」という仕組みは「喧嘩を助長」こそすれ、そこから何か建設的な議論が出てくることはないと感じている。これは設計ミスだ。だけど一部の人間をフォローするのにツイッターが必要なことがあり、無視はできない。
その人間はあまりブログとかは滅多に書いてくれずに、自分が気になった記事をツイートするだけだ。しかしその記事には読むべき価値があるので、仕方なくツイッターのアカウントを作るしかなくなる。

その人とは、スティーブン・ピンカー(Steven Pinker, ハーバード大教授)である。 彼はツイッターの上では、どこの誰であるか、実名で責任を持って発言をしている。というか、どこの誰だかわからねえアカウントの言う事をなぜ多くの人は信用しているのか?だから偽ニュースだの何だの問題になるのではないのか?匿名者が何か言ってきたら、二言目に「で、お前誰?」と言うべきだろう。匿名である、ということは自分の発言に責任を持たない、ということであるから、そのような奴の言うことに聞く耳を持たないのは当然だ。「ボット(bot)」だの「工作員」だの呼ばれるアカウントに対しては、対処は簡単だ。「お前誰だよ」と問えば良い。

そしてピンカーはインテリの大学教授なので、The Guardianなどの英文高級紙には当然、目を通している(イギリス紙なので電子版をiPadで読んでいるのかも)。そこで「サピエンス全史」でおなじみのユヴァル・ノア・ハラリが、昨今のウクライナ情勢について寄稿していることを彼のツイート経由で知った。

「ウラジーミル・プーチンが既にこの戦争に敗れた理由」と題されたコラムを、とりあえず機械翻訳で読んでみた。「サピエンス全史」で共通するテーマである「人類は虚構(fiction)の物語を共有することで発展してきた」に沿った解釈によると、ロシア軍がウクライナの都市を破壊し、人命を奪うごとに「ウクライナの抵抗の物語」というものがウクライナ人のナショナリズムを構築し、もしウクライナでロシアの傀儡政権が誕生しようが多くの人は何世代にも渡って「抵抗の物語」を持ち続けるだろうということ。皮肉にもロシア人の直近の3世代が「レニングラード包囲戦」でナチス・ドイツに対する抵抗の物語で育っていたが、「プーチンはいま、(ウクライナで)同様の物語を提供しつつあるが、その中で彼はヒトラー役を演じている」とある。
> He is now producing similar stories, but casting himself in the role of Hitler.

「残念ながら、この戦争は長続きする可能性があります(Unfortunately, this war is likely to be long-lasting.)」そこが最大の問題だ。それで一体どれだけの人命が失われるのか。家を破壊され、家族も死に、最後に自分が、こないだまでロシア軍にグロズヌイを徹底的に破壊され、スパイ容疑をかけられたら拷問され虐殺されていた筈のチェチェン人が「ロシア兵」として登場し、「チェチェンと同様のロシア周辺国」であるウクライナで殺されることを想像すると、恐ろしくて眠れなくなる(チェチェン共和国はロシア連邦内、ですが)。

「サピエンス全史」以外は「SFファンの妄想」みたいな本ばかり書いていたハラリでもあったし、「ホモ・デウス」では「人間は自らを改造し不死になり、神になる」と書いた箇所のピンカーからの返答は「無理。熱力学第二法則に反する」だったので、ピンカーはハラリのことをバカにしているのかと思っていたけど、そうでもなかったのか…。私は良いコラムだと思った。

もう一つ。「戦争が犯罪になった経緯」

ハサウェイとシャピロの話は「21世紀の啓蒙」でピンカーが引用していたので、内容を理解できた。

いずれにせよ、私たちは先週、征服しない規範には非常に影響力があり強力な執行者がいることを学びました。問題は、「私たちはもう国際秩序を持っているのか」ということではありません。問題は、「この命令に違反した者に容認できない罰を課すことなく、この命令の恩恵をどのように享受できるか」ということです。

「戦争は違法である」と定義したところで、破るやつがいたら何の意味もない、という話ではない。それは上記2人の「駐車違反から殺人まで、法が破られる時は破られる。しかしだからといって法がなくてもよいかというとそうではなく、やはりあったほうが良い」のコメントの更にもう一歩先の「理由」を理解させてくれるもので、注目すべきは「法を破った者にどのような罰を与えるか」ではなく「法を遵守すればその恩恵をどのように享受できるか」であり、そのためにロシア経済への罰 — 追放、つまり「繁栄を享受するグループからの追放」が罰なのだという。

日本が1931年に満州に侵入した時、「すぐに、追放が好ましい対応として浮上しました」とある。ちなみに「満州鉄道を爆破された」という「偽ニュース」をでっちあげて日本が満州を統治する口実を作ったのは「ゼレンスキー親ナチ政権からウクライナ国民を解放する」というロシアの「偽ニュース」にとてもよく似ている。

ところが今は2022年で、世界はかつて無いほど相互依存している。1931年とは状況が違いすぎる。インターネットがあるし、どの国だろうが世界と切り離されたら生きて行けない。
何日か前にロシアの街頭インタビュー的なもので市民が「ロシアは広いから経済的に切り離されてもなんとかやっていけるだろう」とかなんとか言っていたが「うちのダーチャ(別荘)の庭は広いから家族が食っていける分の野菜を育てられる」という話ではない。それでは自給自足の生活しかできず、あなたの服から、車から、スマホから、医薬品から、仕事まで全部失うのだけど文明生活は送りたくないの?という話だ。

だから「繁栄を享受するグループからの追放」には効果がある。しかし効果が出るのは年単位の時間が必要であり、「自分の家が今すぐにでも爆撃されそうだ」と心配しているウクライナ在住者にとっては何の慰めにもならない。

この問題の根本原因は何か?といえば、ハラリ風に言えば「国という虚構の物語を、現実を生きる人間の苦しみよりも優先させるべきだ」と勘違いした人間が何かの間違いで権力を持ってしまったからであり、民主主義がどうとか権威主義がどうとかいう以前に「政府に文句を言う自由」が保証されなければ今後は何度でもこのような事態は起き続ける、ということを感じた。

そして話は最初の「ツイッターが嫌い」に戻るが、一日中ツイッターに張り付いているオタクだかジャーナリストだか知らない、正体不明人たちが今頃はウクライナ情勢について「にわか軍事評論家」になっているのだろうなと想像するとゲロが出そうだ。今もこうして死者が出ているというのに、自分はミサイルが飛んでこない安全な場所から、まるで「新橋の飲み屋でプロ野球監督の采配ミスをあげつらうオッサン」のように戦争を語る。当然だ。戦争において、個人ができることなど何もない。「火炎瓶で戦車に対抗する」市民を見ると、胸が張り裂ける思いがする。だからこそ人の生き死にを「酒のつまみ」にする奴が大嫌いだ。ツイッターは読まない。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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