フジサワ名店ビルがなくなり、無個性なビルに無個性な奴らが喜ぶ街になる
JRなり小田急線なり、藤沢駅で降りると、いきなり古いビルが目の前にあってぎょっとする。入ってみると、高度経済成長期の雰囲気があり、地下食料品売り場などは、更に昔の「闇市」のようだ。更にこのビル群を迷宮のように見せているのは、上から見ると3つのビルが“ロ”の字のようにくっついているので、今自分がどのビルにいるのか全くわからなくなることがある。名店ビル、ダイヤモンドビル、そしてプライムビル。それぞれに私の思い出が詰まっているのに、いつかは知らないが無くなるという。寂しいことだ。
記事を読むと、17階建ての複合施設になるという。そんなもの、誰が頼んだ?どうせまた、ユニクロやらスターバックスやら、周辺に何店舗もある無個性な店が入り、オフィス階やホテル階は関係者以外入れず、「17階もあるが一体何が入っているのか全くわからない」つまらないビルになるだけだろう。そしてそんなものを喜ぶのは地元住民ではなく、最近越してきた、イナカのガッコじゃ秀才だとおだてられたので無事にそこそこの給料が出る仕事にありつけ、適当に結婚などし、「湘南で暮らしたい」とかふざけたことを抜かしてやってきた新参者が周辺のマンションを、目玉の飛び出るような値段で購入して、休日はこれまた無個性なショッピングモールの駐車場に入るために、ご自慢の高級車で渋滞の列に何時間も並ぶことが楽しみの奴らが喜ぶだけだろう。今の私の心理は「ことさらにアメリカ人であることを誇示するために共和党へ投票する移民3世(非白人)」のようなものだ。
藤沢市民のソウルフードといえば名店ビル地下の「古久家」のラーメンでもあろう。私が子供の頃、親兄弟と一緒に食べたラーメンは、まだそこにあるというのに。
プライムビルは飲食店ビルであり、上へ行くほど高級店になるので7階の「鎌倉山」へは、ついぞ訪問せずに終わってしまいそうだ。その下の「銀座アスター」は高級中華料理店で、子供の頃に家族で一度だけ行ったことがある。そのメニューの高さに私は、一番安いラーメンしか頼むことができなかった。子供とはいえ、自分の家が金持ちか、そうでないかぐらいはわかるものだ。そしてその下、お好み焼き系の店で、生まれてはじめてもんじゃ焼きを食べた。その店はもうない。
隣の名店ビルとの境目には楽器店があった。1990年代にもなるとDTMというのでコンピューターを使った作曲が一般的になり、私はその店に飾っていたMac Classicやら、ピザボックスのような筐体のCentrisやらを、いいなあ、と思いながらいじっていたものだった。そこで楽器を眺めたり、楽譜を眺めるのも好きだった。
名店ビルの上にはゲームセンターがあり、1ゲーム50円という安さで何度も行った気がするが、タバコ臭くて、暗くて、なにか怖いなと思わせる場所だった。昔はダンスホール兼バーだったらしく、吹き抜けの螺旋階段などはその名残である、というようなことを父から聞いた。
上階には貸しスタジオもあった。私の姉はそこでバレエ教室へ通っていたし、小さな催し物スペースでは古本市のようなものも開催されて、何か、英和辞書のようなものを買ったと記憶している。
複数フロアに入っていた有隣堂は神奈川県の書店・文具店チェーンであり、私にとって本屋といえばまず有隣堂のことだった。文具フロアで、かわいいデザインの便箋を眺めたり、ガラスケースの中の、ちょっと高い万年筆を眺めたりするのが楽しかった。
1階には、まだあるがコーヒーショップ海でソフトクリームを食べたり、あと今はミスタードーナツになっている旧・不二家の中二階のレストランなどはくつろげるスペースだったのに。
電器店も入っていた。そこでカセットテープやビデオテープ(なにそれ?)を買ったり、セガ・マスターシステムはいつになったら我が家に来るのだろうか、と思っていた。
名店ビルの上層階の窓から見える富士山は、私の中では葛飾北斎の「富嶽三十六景」よりもこちらの方が好きだった。
それが、私の思い出は私の心の中に生き続けるのだとしても、丸ごとなくなってしまうとは!そこで働いている人たちはどうするんだ?地下の八百屋で働いている私の叔父(この間、テレビ番組「はじめてのおつかい」にだしぬけに出ていて驚いた)は、どうすればいいんだ?
「素敵な湘南ライフ」を送りたい、イナカの小金持ちの皆様は辻堂のテラスモールでも行ってろよ。何がいいんだか知らないけど。フジサワ名店ビルは私の人生の一部なのに?なくなるの?なんで!
名店ビルに捧げるポエム
ああ、お金持ちの皆さん。あなた達には、市の西のほうに、おあつらえ向きのショッピングモールがあります。素敵なクルマでいってらっしゃい。日曜日になると、1800万円くらいはしそうな、ポルシェ・カイエンやら、メルセデス・Gクラスで、何時間もかけて辻堂駅の周りをショッピングモールの駐車場へ渋滞の列に並んでいらっしゃる。モールの中には、スターバックスや、ユニクロや、どこにでもある店がひしめいてあなたの財布をお待ちしております。あちらへ行ってらっしゃい。綺麗で、無個性で、何の歴史もない楽園が、何の歴史も持たない皆様の素敵な週末を楽しいものにするでしょう。
ただし…ただし、でございますよ。あなた様が新しく引っ越された、この海沿いの街の駅前にある、あの古びたビルにだけは近寄らないようお願い申し上げます。あそこは地元の老人達の憩いの場なのです。一生のうちで一度も古久家の「じゃんぼらーめん」を完食できなかった老人たちが、慣れ親しんだ味を求めて来ているのです。その横の通路、廊下だというのに茶碗やら、乾物やら、冷凍の「ニューヨークチーズケーキ」やらを売っている老夫婦、あの夫婦は元々、私の家の近くで陶器店を営んでいた夫婦なのです。それが茶碗は売れないというので、ああして乾物やら、みかんやらを売っているのです。皆、学はないが明るく良い人たちなのです。あなたは山以外なにもない故郷の学校じゃ一番だと呼ばれたのかもしれませんが、私達には私達の幸せがあります。あのビル自体が散歩道なのです。それが、ビルを新しく立替えてしまったら、家賃が上がり、もうあの老夫婦は曖昧な店を出せなくなります。オフィス階や、ホテル階には立入禁止となり、散歩もできなくなります。それが私達の幸せなのですか?
あなたは、あなたの努力で財を成したのかもしれませんし、それをどう使おうが構いません。しかし私達にも生活があり、楽しみがあるのです。そこに上だの下だのはありません。私達はこの、古ぼけた、迷路のようなビルで、ゴキブリが這っていても見て見ぬ振りをしてラーメンを食べるのが大好きなのです。今では駅ビルに入っているリトル・マーメイドで初めて「白パン」なるものを食べて感動した人間がいるのです。親の経済状況に配慮して、一番安いラーメンだけを食べて帰る子供もいるのです。
私達には、もうスターバックスやらユニクロやらは、これ以上必要ないのです。必要なのは、散歩場所、曖昧な陶器店、やたら安い八百屋、思い出、それだけです。夏になったら適当なハワイアンが流れるそのビルで、楽しく過ごしています。構わないでください。山奥へお帰りください!