マキシミリアン・ドゥードこそが西村キヌを正しく評価する

Hiroki Kaneko
Aug 14, 2021

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Photo by Matt & Chris Pua on Unsplash

ユーチューバーと言われても、私、YouTubeではアメリカ人YouTuberばかりを見ているので、日本人でどのような人がいるのかは全く知らない。おすすめに流れてくるようなものは、これまた見ていないテレビのバラエティー番組の劣化コピーのようなものをやっていて、ひたすらお笑い芸人のフォーマットに沿った話し方、企画、編集に辟易した。

私はビデオゲームで遊ばなくなって久しいので、皆が未だにゲームとか言っているので驚く。いや、世代交代したのか。未だに格闘ゲーム世界大会とかやってるらしい。

ということは、日本の格ゲープレイヤー達はYouTubeでマキシミリアン・ドゥードの動画を見てるのか?知らんけど。私、あの人の汚い英語とか声質が好きなので、ついつい見てしまう。

7:30からご覧ください

上記の回は、カプコンでストリートファイターシリーズのディレクターをしている人のTwitterを話題にしており、そこでストリートファイターIIIの原画が公開されている、という内容だった。

7:30頃に、西村キヌ作の春麗の絵を見て、マックスはこんなことを言っていた:

She is one of the greatest artists that capcom has ever had I would argue that like bangus and you know Akiman are like some of the capcom gods but i think for me personally I think Kinu Nishimura and her depictions of street fighter and capcom characters are like the greatest shit the way she draws capcom characters just is on some next level shit that she’s like the true deity of capcom characters…

彼女はカプコンの最も偉大なアーティストの一人とも言えるだろう。ベンガスやあきまんなどはカプコンの神絵師でもあろうが私個人的に思うのは西村キヌと彼女が描写したストリートファイターなどのカプコンキャラクターは、今までカプコンで描かれたキャラクターを次のレベルに押し上げた。彼女こそカプコンキャラクターの女神であると…(拙訳。`god`を神絵師と訳したところは自画自賛できる。英語的にはlegend<godくらいの順位だろう)

わかってんじゃねーか、このアメリカ人、と思った。
あとスタジオの後ろにファンタシースターオンラインのパッケージとか、ゲームキューブ用のキーボードコントローラーが出てきたり、たまにバーチャロンのTシャツを着てくるところもセガ愛があって好感が持てる。

上記のマックスによるコメントは、上のツイートの右側の絵に対する感想です。

あの絵の何がすごいって、2021年の今見ても全く古臭さを感じない。マックスの動画の中にあるストリートファイターのアニメ映画(1994年)が、’90年代のアニメの、あの刺さりそうな顎とえぐれ過ぎな頬が古臭くてもう見てられない*感じなのに対して、あれは時代に流されない絵なのだからこれが本当のmasterpiece(傑作)だろう。

*餓狼伝説と混同しているかもしれない

股間に目が行く

カプコンの、西村キヌよりちょっと前の時代のデザイナー達と一緒に仕事をしていたというあるデザイナーは、当時あの春麗さんの絵を見て「エッロー!」と連発して絶賛していたことを思い出した。あの絵の何がエロいかって、あのポーズと構図なら春麗さんの逞しい太ももから股間に、自動的に目が誘導されるに決まっているからだ。
絵として見れば、あのポーズ、例えば上半身が少し斜めになっていることと、手を後ろに伸ばしていることから、これは春麗さんがストレッチをしているのだな、ということがわかる。もしこの絵のポーズが、上半身を真っ直ぐに描いたとしたら、絵としては格段につまらなくなるだろう。
ストレッチをしているが、目線はこちらを向いている。ということは、春麗さんは自分が見られているとわかっていてこのポーズを取っているのだ。そして例の、逞しい太ももが異様に立体的に描かれている。盛り上がった恥骨筋がちょうど、矢印のように見えて→ ←股間に視線が誘導されるというわけだ。しかし股間は例の変形チャイナドレスのエプロン部分がはだけ、その奥のアンダーウェア的な部分が見えそうで見えないようになっている。しかしこちらが変なことをしたら蹴り飛ばされそうな表情・雰囲気でもある。これが格ゲー界の女王・春麗さんの風格というものだ。セクシーさ、意地悪そうな感じ、それが全部伝わってくる絵だ。なぜ「さん」付けで書いてしまったのかはよくわからない。ああそうだ、西村キヌの絵の魅力というのは春麗さんの太腿でもケツでもなくて、その意地悪そうな表情にあるのだった。

翻って私にとっての西村キヌというのは、アーケードゲーム専門誌・ゲーメストの読者投稿イラストの審査員として出てくる、ブスな春麗の自画像でお馴染みの人、ぐらいだった。ストリートファイターIIIの絵が抜群に上手いことは私でも容易にわかるが、キャラクターとして魅力的かというと、そうでもないよな、というのが当時の私の感想だった。オロとかネクロとかなんとかトゥエルブだとかQだとか、コレ受けないでしょ?というようなキャラを突っ込んでくるのは、ストIIIのサブタイトルが示すように、ニュージェネレーションでもあろうけど、いくらなんでもなあ…と思っていた。

そのデザイナーから聞いた色々な話で、その当時のカプコン・デザイン部の内部事情というのが伺いしれたのだった。が、あきまんと元嫁のプライバシーに関わる話なので書かない。その他の話を書く。

一ヶ月くらい家へ帰れない

その当時はようやくPlayStation(PSX)が発売された頃か前後なので、ゲームの絵といえばまだぜんぜんピクセルアートだった。新人がドットを打つ。あきまんは、これはダメだと全部その絵を消す。また新人がドットを打つ。またNG…で、一ヶ月くらい家へ帰れないとかそういう話を聞いた。

ストリートファイターIIIのスプライトの動きは当時、気持ち悪いほどよく動くなあと思った。あの時点で既に、アニメーションだけを見てもゲームはアニメに勝っていたのだ。今でも「ウォーザード」から「ストリートファイターIII」あたりまでが、ピクセルアートの最高峰だと思っている。それは家へ帰れない、過労死寸前の努力の結果だった。
カプコンでガンダムのゲームを作ったきっかけで、カプコンのデザイナー達は富野由悠季と知り合いになり、そこからターンエーガンダムとか、キングゲイナーなどの富野アニメのキャラクターデザインをするようになった。それらアニメのスタッフロールに「西村キヌ(カプコン)」とか、あきまんの本名をみかけるにつけ、子供の大衆文化の頂点はアニメからビデオゲームに取って代わったのだな、という思いがした。その頂点の頂点、キング・オブ・キングスが当時のカプコン・デザイン部*だったということも思い出した。

*「部」だったか「室」だったか忘れたけど多分、「室」だった。マックスが英語で言っている“Art Division(芸術部)”。

もし私が同じ目に遭ったらどうしただろうか?勘弁してくれ、と言って、会社を辞めてしまったのではないか。あの時代のゲームというのはそういう、過労死しそうな現場から出てきた結晶でもあるので、この2021年になって、しかも外国で、当時の仕事を正しく評価してくれる人がいるというのは、当時のスタッフにとっては光栄なことではないだろうか。

絶対にヒットする確信→実際にヒットした

この話、有名なのかどうか知らないけど書きます。

ストリートファイターIIの開発当時、スタッフ連中は開発中にも関わらず「このゲームはいける」という確信があり、どんなに徹夜をしても苦にならなかったそうだ。オリジナルスタッフのデザイナーの話の又聞きです。

それで事実、大ヒットして、今現在までシリーズは続いている。今では莫大な賞金をかけた世界大会なども行われているので、ストリートファイターは、ゲーム史にその名を残すことは確実だ。

そういう、頭がハイになった状態での徹夜開発マラソンというものを、一度は経験してみたかった。いや、したくない。「これはいける」という自信と確信が、今まで自分の仕事に対してあっただろうか?私は事業会社というものに就職したことがないため、自社製品なりサービスなりを開発して、それを提供して何らかの手応えを得る、といった経験がまったく無い。だから、就職先がいきなり事業会社で、そこからキャリアがスタートする人が羨ましくて仕方がない。私は1時間いくらの下請け仕事しかしたことがないからだ。

いつだったかのコミックマーケットで、あの頃のカプコンOB/OGに私は「元同僚の知り合い」というポジションとして挨拶する機会があった。そのとき私はなぜか「ゲーム業界志望のプログラマー」という変な紹介のされ方をしていて、そんなんじゃないけど…と、只のゲーム好きである私は思った。しかしカプコン格ゲーの大ファンとして「雲の上の存在」に会えたというのでウヘヘヘと舞い上がってしまい、何を話したのか忘れた。向こうは、まあ何か、20代ならまだチャンスはあるんじゃないのとか、お前の給料は最大でいくらだ、みたいな事を言われた。え?なんで初対面の人間に私の薄給を申告しなきゃならないの?このひと、ムッシュかまやつみたいな顔だな(女だけど)…と私はその時思った。自分を値踏みされたようで少しムッとしてしまったのだ。
私は別に、そのような過酷なゲーム業界は無理だろうと感じていたため、変な紹介のされ方をしたせいか、あまり会話は噛み合わなかった記憶がある。

そういった次第で、私にとってゲーム開発というのは未だに謎のままだ。今、ネット広告の「アプリゲーム開発者募集」的な求人を見ても、何もときめかない。「今だけSSRガチャ10回引けます」とWeb広告のバナーで表示されるゲームなんでしょう?こんな下らないものの何が面白いっていうんだ、としか思わないからだ。ゲームというのは、勝ったの負けたの、上手いの下手だのが決まらなきゃ面白くないんだ!ゲームはスポーツだ。スポーツがゲームだ。「放置しているだけでレベルが上がる?」みたいなゲームはチンパンジーにでもやらせておけ。

ゲームなんて所詮暇つぶし以外の何の役にも立たない、下らないものだ。しかし「これは下らないですよ」と堂々と言ってしまっては、元も子もないのだ。アプリゲームからは、なぜか「どうせお前らバカどもはこんなモンが好きなんだろ?」という、プレイヤーを見下した態度が許せないのだ。「広告でおなじみのビビッドアーミー」の「意外に暇つぶしになるぞ」という一文がそれを最もよく表していると思う。
では当時のゲーム開発者たちはプレイヤーを見下していなかったのか?というと、当時のカプコンの岡本だかなんだかという部長は、見下していそうな気がするので、これは単なる私の偏見というものだろう。
しかし「バカなガキから金を巻き上げてチョロいぜ」という態度で、一ヶ月家へ帰れないほどの激務をするだろうか?

私はもう徹夜などできる年齢ではないし、そもそも体質的に徹夜すると次の日がまったく動けなくなるので徹夜しても意味がない。それに、一ヶ月も自宅へ帰れないなんてまっぴらごめんだった。子育て中だったり、高齢の親を介護している人には絶対できないだろう。

子供の心と子供の人格のまま大人にになるのがオタク

母親はタランティーノ氏に対して指で引用符を表すジェスチャーをしながら、彼の「取るに足りない作家人生」は終わったと言ったという。

「僕はね、『分かったよ、ご婦人。僕が有名な作家になっても、僕の出世では1ペニーも目にすることはない。あなたのための家もない。お母さんのためのバカンスもエルビスが乗るようなキャデラックもない。何ももらえないよ、そんなことを言ったからね』と話したんだ」とタランティーノ氏は回想。

映画とかゲームとか、娯楽産業は子どもたちの「なりたい職業」だ。なぜなら子供は社会インフラに関わる仕事だとか、営業とか、法律関係だとか、コンサルティングなどに興味はないからだ。子供は毎日遊ぶだけだ。遊びに興味を持つと、その遊びを作る方に回りたいと思うのは自然なことだ。

子供なら誰でも、漫画やらアニメやらゲームやらが好きなのだ。問題はそれを、大人になっても続けられるかということだ。「子供のうちは誰でも芸術家だが、ほとんどの人は大人になるとそれを忘れてしまう」というようなことをピカソが言っていた気がする。ピカソは確かに20世紀を代表する偉大な芸術家でもあろうけど、作品を別にして作家個人を見てみると、単なる女好きのロクデナシだ。
多くの人は、成長するにつけ、子供の頃に夢中だったことより他に興味のあることを見つけ、いつしか子供の頃のことを忘れてしまう。それを大人になっても相変わらず忘れなかった、というか他に楽しみを見つけられずに年だけ取ってしまった奴のことを*オタクと呼ぶのでは?それが偉いのか、脳ミソが子供のままのアホなのか?それはあなたが判断するべきだ。

*最近はオタク=アイドルファン、という意味に変化している気がする

実力と運で、「子供の頃の夢」を勝ち取ったものもいるだろう。しかし、そんなことが偉いか?と思うような年齢に私はなってしまった。

タランティーノ、子供時代に言われた事を未だに根に持っている。いい年して許す心もないのか?大人になれよ。こいつの、人間としての人格は、その程度で止まっているのだ。映画監督としてどれほどのものなのかは知らない。到底尊敬などできない。「実力は認めるが人間的にはクソ」だと作品も見たくなくなる。

タランティーノの背後に、「映画作家になりたかったがなれなかった人間」が何万人いるのだろうか?確率的に言えば、タランティーノ母が言った台詞はそんなに的外れではない。子供のやる気を削ぐような発言は不適当だとは感じるが、かといって「努力すれば夢は叶う」などという嘘を子供に教えてはならないと思う。幼稚な夢を叶えたから、何だと言うんだ。金持ちだろうが何だろうが、どのみちあなたは年をとって病気で死ぬ。そのつかの間の成功がどうしたというのだ。上記CNN記事、良い内容だろうか?穿った見方をすれば、脳ミソ子供のアホが調子に乗っているだけ、もう少し丁寧に言えば「成功者バイアスを通したものの見方であり万人に適用すべきではない」と感じる。「俺が成功したときに何もやらねえぞ」と言い返して、それで成功しなかったら?ほら、これは成功者バイアスだ。こんな戯言に耳を傾けてはいけない。親が、というか人生の経験者から人生の初心者に向けて言うべき言葉は「人生、何が起きるかわからないのだから、一つの目標だけに固執することに意味はない。予想外の出来事に適応できる心構えを持ったほうが立派だ」ではないのか?幼稚な夢に固執して、それが一生続くとでも思うのだろうか?あの当時、’90年代後半に「2021年頃は疫病が流行して世界中で何百万人も死んで、仕事にもいけなくなるぞ」と言って、誰が信じるだろうか?
だから、子供向けというかハリウッド的というか、学習塾の「努力すれば夢は叶う」的なことが書かれている看板をブチ破りたいし、「努力すれば成功する保証はない。しかし成功したものは皆努力している」みたいなセリフも「気まぐれで買った宝くじが当たった人は努力をしたのか?」と言いたい気持ちがするのだけど、そんなの嘘だって何十年か生きていればわかることだ。今、理解できない子供だってそのうち理解する。だから固執するな、が人生の経験者として適切なアドバイスだろう。

あれ?ワナビーさんの遠吠えのように聞こえましたか。そうではなくて、今の私は自分の人格の向上の方が価値があると思って、それが出来なくて四苦八苦しているというだけです。

conclusion

エロい春麗さんを描かせたら、あきまんより西村キヌの方が上。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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