レジェンドの脚本はレジェンド級に残念だった;ブラック・ジャック劇場版
YouTubeの表示するままに「ブラック・ジャック劇場版」というアニメを見て、その脚本の滅茶苦茶な具合に目眩がした。誰だこの脚本書いた奴、と思ったら監督の出﨑 統だった。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 — 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員[1]。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%EF%A8%91%E7%B5%B1
Wikipediaの記事を読むと、日本アニメの黎明期からキャリアのあるレジェンド級の監督なのだけど、脚本を書かせると、どうしてこう、1970年代のB級香港映画のような唐突な話になってしまうのだろうか?
脚本にリアリティが無いというか、これって「ブラック・ジャック」だよね?原作漫画もありえない奇病だとか脳を他人に移植するとか、滅茶苦茶だったので、あれを「医学博士でもあるM.D.手塚治虫だから描けた作品」と言ってしまうと少し違うと思う。思うけど、医師であることはさておいて、「稀代のストーリーテラーである手塚治虫はこんな話は書かない」と思わせるブラック・ジャックだった。もっというと、ブラック・ジャックである以前に、マシンガンで蜂の巣になったヒロインがその後何分もベラベラと喋り倒すのには、そんなわけねえだろと思ったり(喋ること喋って死んだヒロインに対してBJは軽く脈を見てそのまま立ち去ったし)。
意味ありげにふりまいた伏線を最後の10分で急に回収するのだけど、その回収の仕方があまりにも不自然であり開いた口が塞がらなかった:
- 砂漠のプラントにて超人類ウィルスに冒されたヒロインをピノコが一人で看病していた(飛沫感染するのでは?)BJがそれを偶然発見する
- マシンガンで蜂の巣になったヒロインがその後何分もベラベラと喋り倒す
- しかもヒロインは大手製薬メーカーが作った人造人間だった(この設定要る?)
- 大手製薬メーカーのボスがヒロイン暗殺命令を出したシーンあったっけ?(見逃しただけかもしれない)ボスがどのような人間なのかの描写なし、製薬メーカーの今後も描写なし
- 人体実験をした理由として、文明社会は嫌だ的なユナボマーめいたわけのわからん台詞を吐いて死ぬヒロイン
- 超人類ウィルスに冒されたBJ、倒れる
- 意味深に登場した砂漠の遊牧民に助けられる
- 谷に生えている花の抽出物で超人類ウィルスは治る
全ての設定や伏線が唐突すぎて、なにか素人の作品を見たような気分になった。
では出﨑 統とは脚本家ではなく演出家として見ればよいのか?というと、同じカットを3回繰り返したりするのも1970年代香港映画のようで、今更…とも思った。
彼のアニメーターとしてのキャリアは、手塚治虫のアニメ制作スタジオである虫プロダクションから始まったのだから、最初から手塚作品には縁があったはずだ。それが、この出来…。
戦後日本の漫画界を代表する作家である手塚治虫は、絵が上手かったから有名になったのではなく、そのストーリーテリングが素晴らしかったからあれだけの名声を手に入れられたのだと思う(絵も可愛らしくて好きだけど)。その作家の代表作とも呼ばれる「ブラック・ジャック」をアニメ化して、結果がこのくだらない脚本なのだから「原作陵辱」とはこのことではないか。
YouTubeのコメント欄を見ると、好意的な評価ばかりだったので私の頭がおかしいのかもしれない。BJの声は大塚明夫。「絶対に正義側」の声でおかしな脚本の台詞を言われてしまうと、脳が台詞をどのように処理すればよいのかわからなくなってくる。原作漫画のBJは、もっとクールで何を考えているかわからない奴だと思ったのだけど。劇場版BJは、凡人を超人類に変える人体実験にひどく憤っていたが、漫画のBJは人体実験とか結構やってそうな奴だと思っていた。
1996年の映画ということを差し引いても、全体的に古くないか?と感じた。彼は21世紀になってからエロゲー原作の「AIR」「CLANNAD」の監督も務めることになるのだけど、この高度経済成長期の感性の延長線上の、当時60歳前後であった出﨑 統がそれら作品の監督なのだというのだから、一体どんな出来なのだろうかと考えると怖くて見ることができない。キラキラした陰影の付いた絵のいたるキャラ(目がやたら大きくてマントのような変形セーラー服を来たやつ)の止め絵カットが3回連続で表示されるのだろうか?悪夢だ。
私が知らないだけかもしれないが、この、アニメ界のレジェンド(故人)が監督というと否が応でも期待が高まる割に、「ブラック・ジャック劇場版」は、その絵や演出がどうこう言う前にいい年した大人の鑑賞に耐える脚本レベルではなく、何か、その脚本の稚拙さ故に没落した1990年代付近の香港映画と重ねて見えてきてしまった。