不登校者のための人生サバイバル・キット(教養編 2時間目 世界史1)

Hiroki Kaneko
15 min readSep 9, 2019

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Photo by Dario Veronesi on Unsplash

さて、ここから先は世界トップの研究者による世界トップの本やビデオを紹介しよう。つまらん学校でつまらん教科書を読むより2兆倍は興味深い、自分と周囲の見方が変わるような体験ができるものを紹介したい。
もちろん、これから紹介する本に書かれていることが全て真実だとは私も思っていない。書かれていることの幾つかは、今後の研究によって否定されるものもあるのは当然だろう。しかし別の幾つかは、50年後に「世の中の常識」になっているものもある筈だ。更に、これらの本に触発されて別の誰かが今後、更に新しい考えを生み出すかもしれない。
覚えておいてもらいたいのは、世界一の研究者が書いた本だからといって、全てが真実ではないということ。彼らも単なる人間に過ぎないので、間違いも沢山ある。あなたが本を読んで疑問に思ったとき「でも著者はナントカ大学教授、と書いてあるから、納得いかないけどあれは正しいのだろう」などと肩書に惑わされないでほしい。そして疑問に思ったなら、その主張の典拠を調べ、読んでみよう。本の最後には、参考文献が沢山載っている筈なので、興味のあるものから読んでみよう。これが知識を増やす読書の仕方なのだけど、今の若い人にはそれはWebでリンクを辿っていくようなものだ、と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

先進的な考えを知ることに損はない。世の中の大部分の人が知らない「未来の常識」を、いま知ろう。

世界史

サピエンス全史(ユヴァル・ノア・ハラリ著)

文系の歴史、理系の歴史、視線の高度

文系、理系、という言葉がある。大学の学部を分類する言葉であるらしいけど、文系人間、理系人間など、個人の得意分野を指す言葉にもなっているようだ。しかし、本当にそのような分類で人間を区別できるのかは知らない。では美術系はどちらか?文系?そうかな?画家のエッシャーは「自分は数学者に近い」と言っているけど?

歴史学は文系ということになっているけど、歴史にも文系の歴史と理系の歴史があるんじゃないかな。文系の歴史とは、歴史上のある人物に焦点を当ててその人となりを物語として理解することだと思う。NHKのTV番組「その時歴史が動いた」などを喜んでみているような連中のことだ。
一方、理系の歴史とは、この島の地形、気候、生態系にどのような特徴があり、だからこの島に住む人間の文化への影響はこれである、といった観点だ。この観点の先鞭をつけたのはジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」だと思う。その後の著者による「文明崩壊」「昨日までの世界」で、私は「理系の歴史」の面白さに触れ「これだよ、こういう歴史を読みたかったんだよ」と感激した。もしかしたらこれは、文系理系と呼ぶのは適当ではなく観測する目線の高さ違いではないかと思った。人間と同じ高さ、およそ2m以下の目線だと、歴史は個人を中心にした「物語」をとして見えてしまうが、もっと山の上に登ったり、飛行機に乗ったりして眼下を見下ろすと、そこには人間個人というものは見えず、環境などの大きな流れしか観測できない。いわゆる「歴史好き」と呼ばれる人間とは、私は話が合わない。その時、信長がどう思った?秀吉がどう思った?何でも好きに思っておけ。上空1,000mから眺めれば英雄も偉人も王もただの点だ。

全て作り話だ

前置きが長くなったけど、「サピエンス全史」は、日本語版ではこのような大仰で偉そうな題名が付いているけど、英語版の題名は「人類史概論」。この本は、人類史、特に人類が文明を築いていった原因を「言語の発達により、そこにいない空想、虚構、物語を他者と共有できるようになり、他の動物ではなし得ない協力が出来るようになったから」だとしている。人間が「ある」と信じているもの、神話、宗教だけに留まらず、通貨、企業、法律、人権、国家、全てが実体を持たない虚構だという。この主張は、ある種類の人達にとってはとてつもなくヤバい「危険思想」だ。その人達とは、為政者や国民主義者であり、たとえば中国なら発売禁止になってもいい程ではないか?中国語翻訳版は出ているけど、今度中国へ行ったら、本屋へ行って、この「人類簡史(中国語版の題名)」が売られているのか確認したい。もし売られていたら、中国の規制当局者はこの本のヤバさを理解できないバカでもあるし、もし私が習近平だったら自分の既得権益を守るため、著者のいるヘブライ大学に売るほどある長距離ミサイルを残らずブチ込むだろう。1万発も発射しておけばアイアンドームも無効化できるかもしれない。
貧しくて病気が蔓延して寿命が短く女性は教育を受けられなかった過去のほうが今より良かった、と記憶障害を起こしている首相を始めとする日本の国民主義政府もそんな本を「文部科学省検定済教科書」にするわけがない。この本は、すべての近代国家に喧嘩を売っているのだ。
人間社会のほとんどをひっくり返すような本は全くのデタラメだろうか?私が読んだ限りでは、”狩猟採集生活は楽園説”(後述)以外はまったく筋の通った話であり、読書後はモノの見方が全く変わって見えるようになってしまった。この本が出版されるまで生きてきて、本当に良かったと感謝している。この本を読まないまま死んでいたら、私は人間社会についてまったく理解できず、自分の頭で物事を考えず多数派の意見に同調するだけの人間ばかりの社会を居心地悪く思い、自己憐憫に浸り、周囲を妬み、金持ちは全員死刑にしろと喚く、単なる愚か者として一生を終えていた筈で、それでは死んでも死にきれない。不登校者という文脈で言えば、「行かなければならない学校」に、そもそもそんな権威など無かったという事が理解できて、安心した(既に別記事にまとめてある)。

つまり私はこの本を、学校へ行かないあなたにこそ読んでほしいんだ。何の疑問も持たずに学校へ行ってる凡人どもは大人しく「文部科学省検定済教科書」でも読んでいなさい。

リスク無いなら起業しようぜ

本書は第1章で最初期の人類種たちを手短に説明し、過去に色々な人類がいたが、現在残っているのは我々ホモ・サピエンスだけである、そしてなぜホモ・サピエンスだけが繁栄しているのかというと、虚構を共有できるからだと結ぶ。
そして第2章が、いきなりフランスの自動車会社、プジョーの話だ。プジョー社は、同社が製造する自動車を全て廃車にしても消えはしない。社員を全員クビにしても、また資金をかき集めて人員を雇い入れるだろう。オフィスビルと工場を全て破壊しても同様に復活する。経営陣を全てクビにして、株式を全て売却しても消えてなくならない。創業者のアルマン・プジョーが死んでも別の誰かが会社の経営を引き継ぐ。という事は、企業とは人でもなければモノでもないという事が分かる。しかし判事が解散命令を出せば、プジョー社は消えてしまう。これが意味する所は、プジョー社は物理世界とは結びついておらず、人々の想像が生み出したそれは虚構であり、法律用語では「法的虚構(法的擬制)」と呼ぶらしい。知らなかった!大企業の巨大な本社ビルを見れば、あれこそが企業そのものなのだ、と勘違いしていた。そしてこの虚構は「有限責任会社」と呼ぶ、と。

著者は言う。もし創業者のアルマン・プジョーが中世ヨーロッパに生まれ、自分の馬車工場を作るために借金をし、事業が失敗したら全財産を失うだけでなく、子供を奴隷として売らざるをえなくなってしまう。一生かかっても返済できない借金を背負わされることになる。この仕組が起業家精神を長い間抑え込んでいた。しかし有限責任会社なら、企業が倒産しても起業家は出資額以上の借金を負わない。このリスクの低さが人々に起業を可能にし、数々の革新が起こったと。
アルマン・プジョーは自分の名字を冠した有限責任会社を作ったものの、プジョー社はプジョー本人とは独立している。裁判沙汰になっても、告訴されるのは会社でありプジョー本人ではない。会社が返しきれない借金を抱えて倒産しても、プジョー本人は債権者に対して何も支払う義務は持たない。
そう考えたら、あなたも起業してみようと思わないだろうか。有限責任会社の有限たる理由は私も知っていたものの、昔と比較して起業リスクは少ないと説明されると、大発明だ!と思わされる。あなたがもし、学校に行かなければ、卒業しなければ誰も雇ってくれない。そうしたら生活費を稼ぐことはできず、死ぬしかない、と思っているなら、死ぬ計画は先延ばしにして、自分で商売ができないか考えてみよう。幸いにして今の世の中は有限責任会社という仕組みもあるし、自分で小さな事業を始めるのにこれ以上環境の整った時代は、人類史上かつてなかった。Uber EATSなら、自分を値踏みされる「面接」すら存在しない。もし、あなたの目標が「世界一の大企業を作る」だった場合、私から言えることは「難しいと思うけど頑張って」だけだが、もし、あなたの目標が「自分一人分の生活費を稼ぐこと」であった場合、その目標は必ず達成できる。そしてそれこそが「ビジネスにおける成功」であり、つまりあなたは必ず成功する
この本のような優れた知見に触れると、生きる希望に繋がる。これこそが読書の最大の利点だと思う。

最後に著者はこう結ぶ。想像上の虚構、頭の中にしかない有限責任会社・プジョー社は、どうやって現れるのだろうか?それは今も昔も変わりない。キリスト教会では司祭がパンとワインをキリストの肉と血に変える(と信者たちは信じている)ように、現代の司祭である法律家が何やら難しい呪文を文書に書き込み最後にプジョーが署名をすると、何もないところから有限責任会社が突然現れる。もっと具体的に言うと、この会社設立の儀式を執り行うことによって、何千万フランス市民が、「会社設立のために必要な司祭――法律家ともいう――が正規の儀式を行った」ためにプジョー社は存在すると「信じる」。そこには「儀式を執り行う資格を持った人間が」「正規の手順で」行わなければ市民は納得しない。例えばキリスト教司祭ではない資格のない私が、「このビールはキリストのオシッコである!」と非正規の手順で儀式をしても、信者は納得しないだろう。会社設立も、司法書士という儀式を執り行う資格を持った人間が、法律に則った正規の手順で儀式を行うと、何もなかったところから、会社という概念が皆の頭の中に生まれる。これは魔法だろうか?そうかもしれない。

会社設立などというと、近代的で理性的な、宗教や儀式という古代じみたものとは何の関係もないと思ってしまうが、本質的なところでは宗教と何ら変わるところはない。宗教、法律、思想信条その他は、この虚構の物語を如何に他人に信じ込ませるかに掛かっている。
「ある虚構の物語を信じる共同体を作ることが出来ることこそ現生人類の強みであり、その物語のWebが作られたり、解かれたりすることを歴史と呼ぶ」筆者の歴史観は、このようなものだ。
人類はお互いにウソの物語を信じ込ませ合う、詐欺師の集団だったのか?しかしこれこそが、生物的な進化を何千万年も待たずして社会構造を変革できる、これこそが人類の強さだと著者は語る。サル山のボス猿は必ずオスだが、決起したメス猿が「ボス猿がオスばかりなのはおかしい!万国のメス猿たちよ団結せよ!」とは言わない、と。

夢想家の猿

この本によると、7万年前に何かがおきて、人類は飛躍的な進歩を遂げたそうだ。おかしな石版に触れたからか?いや違う、脳のどこかが変わったからだ。それが脳のどの部分で、何を引き起こしたのか本書には書かれていないが、下の記事によると、それは「前頭葉野の発達を遅らせる突然変異」だという。これは本来、生存に不利な特徴になる筈だったが、特に子供のうちに、この発達の遅い前頭葉野を訓練することにより言語上の空間、時制、再帰の概念を理解し、協力が可能になった。
なぜ脳の仕組みが7万年前に変わったなどと分かるかというと、打製石器など人間が作る道具は何百万年も姿が変わらなかったのが、その時期を境に急に洗練されていったからだと。

そこにいないモノに関する話は、それが「昨日見た、川のほとりのライオンの足跡」から死後の世界、先祖の霊、神、といった超自然的な想像上の存在の話になり、それが宗教を生み出し、ギリシャでは「アポロン神の栄光を称える神殿を作ろう」と人々に巨大な神殿を作らせ、エジプトでは単なる人間に過ぎない王・ファラオは太陽神ラーの子とされ、その死後、冥界を通って復活すると信じられていたので死体をミイラにしたわけだけど、未だに復活する様子も無いのでそれらの神話が全てウソだと分かる。いや、ウソというとちょっと意味が違う。これらは全て事実ではない、人間の想像が生み出した虚構(fiction)なのだ。それが人類の福祉に良い影響を与える場合もあれば、悪い影響を与える場合もある。これは本書のみならず、続刊である「ホモ・デウス」でも述べられている主要なテーマだ。

農耕で人類は貧しくなったのか

続いて狩猟採集生活から農耕生活に移行した人類だったが、なんと、人類の生活水準はかえって下がったという。流浪の生活から定住したことによる人口密集での感染症の蔓延、単一食物に頼ることでの栄養の低下、水やりや草むしりといった重労働に明け暮れる生活によって人間は「植物の奴隷」となった、等。一方、今までの狩猟採集生活は一日数時間働いたらあとは自由時間!どっちが幸せだと思う?と著者は言う。言うが、私には到底信じられなかった。ではなぜ人類は農耕などという悪いアイディアを採用したのか?そもそも農耕は悪いアイディアなのか?これは著者だけの主張ではなく最近の流行りの見識らしいけど、だからといって狩猟採集生活が楽園だったとは到底思えない。スティーブン・ピンカーはEnlightenment Nowの中で「狩猟採集は楽園説」を、さらっと否定していた。

生存のために必要な時間の減少は進歩の1つの指標になるだろう.初期農業は日の出から日の入りまでの労働が必要だった.狩猟採集民は確かに狩猟と採集自体には1日数時間しか使わないが,取ってきた食物のプロセシングに多大な時間を使っている
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/02/09/093134

ですよね?狩猟採集生活にシステムキッチンと冷蔵庫とフードプロセッサーと電子レンジは無かったはずだから。火をおこすにはまず薪拾いからはじめなければ。

このように、本に書かれている事を疑問に思うことがあれば、別の本を読んでみよう。別の本ではその説があっさり否定されていたりするからだ。これが読書で自分の知識を広げてゆく方法なので、ぜひ覚えて実践してほしい。

学校の教科書では「農耕により人類の健康状態は低下した」なんて事、書かれているのだろうか?私が学校に行っていた頃は、歴史の教科書では、文明の歴史は5,000年であり、それ以前は全くの原始時代、歴史などない、という感じだったのだけど、しかし私はそうではないと思っていた。昨日まで穴ぐら生活だった人たちが「さてと、明日からピラミッドを建てよう」なんて言い出すか?必ずその前段階があった筈だけど、教科書程度ではそのような事は載っていなかった。

「農耕の後に町や神殿ができた」とあったけど、11,000年前の、定住化する前で、狩猟採集生活を行っていた人類も既に神殿を建てて先祖の霊か神を祀っていた証拠が見つかってしまったから、私が習った歴史は事実ではないということになった。これが教科書に頼らない、常に最新最高の情報を取り入れることのメリットだと思う。この、自分の知識をアップデートし続ける、ということは非常に重要だけど、学校の教科書作成のプロセスでは、現代の速さに付いていくことができない。だからあなたの「世界一の学校」は、既存の学校を超えて世界一なんだ。

続く。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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