不登校者のための人生サバイバル・キット(教養編 2時間目 世界史4)
第14章で見て欲しいところがもう一つあった。「科学は死に打ち勝ちつつある」というのが著者の視点であり、確かに人類の平均寿命は延びつつあるけど、その延長線上に「不死」がある、とまで考えるのが続刊の「ホモ・デウス」だ。しかし私はしっくりこない。スティーブン・ピンカーはEnlightenment Nowの中で寿命と不死についてこのように書いている。おそらく「ホモ・デウス」に対して言いたいことがあったのだろう。
この問題についての私の見解は「それは修正版ステインの法則に従う」というものだ.ステインの法則はこう言う.「永遠に続かないものはいつかは終わる」 そしてデイビスの系はそれをこう修正した.「永遠に続かないものでも,それはあなたが考えるよりは長く続くことができる」
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20180406/1522966868
ピンカーが言いたいところは、要は、エントロピー増大は宇宙の法則であって、それに逆らう(不死になる)ことはできない、という所なのだろうと感じた。
話はサピエンス全史に戻る。近代の宗教とイデオロギーは、すでに死と死後の生を計算に入れなくなっている。自由主義、社会主義、フェミニズムのようなイデオロギーは死後の生への関心を失っており、「共産主義者が死後行く天国」などは無いのだ。
近代のイデオロギーで、依然として死に重要な役割を与えているのは、国民主義だけだ。国民主義は、詩的な瞬間や切羽詰まった瞬間には、国民のために死ぬ者は誰であれ、その集合的記憶の中に永遠に生き続けると約束する。とはいえその約束はあまりに曖昧なため、国民主義者の大半も解釈に窮している。
ユヴァル・ノア・ハラリ. サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 (Japanese Edition) (Kindle の位置№5114–5116). Kindle 版.
私の住んでいる国では、戦死すると兵士は魂という素粒子より小さな物質になりそれは時間・空間・重力にとらわれないため、11次元の膜宇宙を通ってワームホールで戦地と繋がっている靖国神社の中で集合的意識は量子脳になって意識情報は宇宙に在り続ける、というエセ科学オカルトの存在を信じているので玉串料に税金を投入するのは理にかなっている、と信じる「教育の程度が低い」残念脳ミソの奴らが沢山いるようだ。
「教育の程度が低い」とは学校へ行かないことではなく、理にかなっていないオカルトを信じることである。教育があれば、幽霊は見えなくなる。
拡大するパイという資本主義のマジック
さてと残念脳ミソを小バカにしたところで本当に知ってほしいのは資本主義の仕組みだ。この例え話は文章で説明されているが、図にした方が分かりやすいと思う。なので、図にした。登場人物は3人。銀行家、建設業者、起業家だ。
まず建設業者が、仕事の報酬として得た100万ドルを銀行に預金した。ストーン氏の銀行口座には100万ドルが入金され、銀行が保有する現金も0から100万ドルになった。
マクドーナッツ婦人は、この街でベーカリーを開けば儲かると確信していた。しかし店を開設する資金がない。そこで銀行から100万ドルを借りる。
ベーカリーを開くため、マクドーナッツ婦人はストーン氏に工事を依頼した。工事費は100万ドルだ。ここでストーン氏の残高は200万ドルになった。
その後、この工事の予算は想定外の出費のため、200万ドル掛かることが分かった。マクドーナッツ婦人は、仕方なくまた銀行から金を借りた。
マクドーナッツ婦人はストーン氏にもう100万ドルを渡す。この時点で、ストーン氏の口座には、
1. 別件で儲けた100万ドル
2. マクドーナッツ婦人から貰った100万ドル
3. 追加でマクドーナッツ婦人から貰った100万ドル
の合計300万ドルが入っている。しかし銀行が保有している現金は、1でストーン氏が入金した100万ドルのみ。銀行がマクドーナッツ婦人に融資した合計200万ドルもの現金は、銀行は保有していない。では銀行はどこから融資のカネを出したのか?これをヤニス・バルファキス風に言うなら「どこからともなく、魔法のようにパッと出す」だ。
銀行は、存在しないカネをあると言い張って他人に貸し付け、その利子で儲けようとしていた!グリーディ氏は詐欺師なのだろうか?全ての銀行は詐欺なのだろうか?そうかもしれない。しかし現代の経済というのは、このように「今は存在しないが、未来のある時点では存在する想像上の利益、想像上のカネを、未来から取り出して現代の人間に貸す」ことで回っているのだ。銀行とはタイムトラベラーだった!
グリーディ氏は、将来マクドーナッツ婦人がベーカリーを開けば儲かると「信用」したので、合計200万ドルを貸し付けた。もしこの借金がなければ、マクドーナッツ婦人は店を持てない。店を持てなければ、パンを焼けない。パンが焼けなければ、お金を稼げない。お金を稼げなければ、建設業者を雇えない。建設業者を雇えなければ、ベーカリーを開くことはできず…。著者によれば、人類は何千年もの間、この袋小路にはまったままであり、その結果として経済は成長しなかった。それでは近代に入ってから、人類はどうやって「成長」を手にしたのか?将来の信頼によってだった。それは上記の「詐欺」でもある。もう少し穏やかな言い方をすると「信用(クレジット)」と呼ぶようだ。
こんな事が、なぜ近代になるまで誰も思いつかなかったのかというと、中世以前の人々は、将来の暮らしが今より良くなるとはとても思えなかったからだ。麦や米の収穫量が、今年より来年の方がよくなるとどうやって思えるだろうか?自分が豊かになるためには、他者から奪い取らなければならない。富はゼロサムゲーム(誰かの得が誰かの損になる)だと思われていた。もしマクドーナッツ婦人が中世に生まれていたら、誰も将来がよくなるとは思っていないので、お金を借りられず、また借金できたとしても大抵は「少額で短期かつ高利」という条件付きだった為にとてもそのリスクを引き受けて事業を起そうなどとは思えず、店を開けず、一生雇われ人のまま、厨房の床を磨いていただろう、ということだ。
では、そもそもこの「信用」つまり将来が今より良くなると信じさせる根拠はどこから来たのだろうか。ヨーロッパでは、それは科学革命であり、生産性の向上によって富の総量を増やすことができれば、誰かから富を奪わなくてもパイ自体が大きくなり続ければ良いのだと。
アダム・スミスは「国富論」で、儲けの余剰の得た企業家は、そのお金を使って新たな使用人を雇う。利益が増えれば雇用も増す。企業家個人の利益は全体の富の増加をもたらすと説いた。「生産利益は生産増加のために再投資されなければならない」。これを「資本」と呼び、溜め込むだけの単なる「富」とは区別する。儲けを溜め込み再投資しない企業家は悪い企業家だ!給料の一部を株式投資に使う労働者は良い労働者だ!というわけだ。
靴工場の社長は、利益を得たらそれを使って更に多くの靴職人を雇い、更に利益を増やすだろう。もしこの社長が給料を出し渋り、労働者の休日を減らすなどの「利己的な」行動に出たら労働者はこの靴工場を辞めて、もっと条件の良い工場へ移るかもしれない。靴工場の社長は、強欲で利益を追求するが故に職人たちを高給優遇しなければ自身の利益にもならないのだ。あれ?皆ハッピーになったぞ。
一見完璧に見える理論だが、しかし待てと著者はいう。
君主や聖職者が目を光らせていない完全な自由市場では、強欲な資本主義者は市場を独占したり、労働力に対抗して結託したりできる。ある企業一社が国内の製靴工場全部を支配下に置いていたり、工場主全員が一斉に賃金を減らそうと共謀したりすれば、労働者はもう、職場を変わることで自分の身を守れなくなる。
ユヴァル・ノア・ハラリ. サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 (Japanese Edition) (Kindle の位置№6239–6241). Kindle 版.
アメリカやヨーロッパの右派リバタリアンのお題目は「規制は常に悪。“市場の見えざる手”により、消費者と自由市場は必ず正しい選択をする」と信じているらしいが、これはサンタクロースを信じるくらいに子供じみていると著者は言う。中米のサトウキビ・プランテーションやアメリカ南部の綿花農園で、黒人奴隷は死ぬまで働かされた。農園主は黒人奴隷を憎んでいたのだろうか?いや違う。愛の反対は憎しみではなく無関心*1である。農園主や資本家は、利益や収穫物には関心があったが、黒人奴隷に関心を持たなかったことが悲劇を招いた、としている。
(*1) 英語のLoveを日本語に訳すと「愛」となり、何か意味が違っているように思う。愛の反対は憎しみではなく無関心だとすれば、英語のLoveのほんとうの意味は「他者に関心を寄せる事」となる。
さて、このままパイは永遠に拡大するのか?それとも人類が地球の資源を使い果たしてしまうのが先か?というところでこの章は終わる。
「FACTFULNESS」や「Enlightenment Now」を読んだ限りでは、人類が地球の資源を使い切ることは無さそうだという事が分かる。国連予測によると、世界人口はこの先100–120億人まで増えたあとは落ち着くとある。教育が行き渡ると子供の数は減り、人口は減るだろう。エネルギーも木材→石炭→石油→天然ガスと、エネルギーをより効率よく、炭素排出量も減る燃料を利用するようになっている。かといってそれだけで地球温暖化問題が解決するわけではないが、人類はますますエネルギーの使い方がうまくなっているようなので、地球の資源を使い果たすような事は無いように思う。