不登校者のための人生サバイバル・キット(教養編 2時間目 世界史5)

Hiroki Kaneko
13 min readSep 22, 2019

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Photo by Nathan Fertig on Unsplash

国家と市場経済がもたらした世界平和

「サピエンス全史」も、そろそろ終わりに近づいている。本書の結論は全く的外れな未来予測と仏教のミックスでしかないので軽く無視するとして、経済が平和にどのように役立つのかを説いたこの章が本書のクライマックスであろうと感じる。

著者が注目するのは産業革命以前と以降の、地域コミュニティと個人、そして国家との関係だ。産業革命以前、殆どの人々は家族経営の農業や工房といった家業に就いていた。家族、そして地域コミュニティは、現代では国家が行っている警察、医療、保険、福祉、銀行、教育…何でも家庭で行っていた。病気になれば家族の誰かが看病し、金を貸し、結婚の世話、住宅の建設、近隣者と揉め事が起これば代わりに復讐することだってした。そして地域コミュニティは、皆がだいたい貧しかったので、自分たちが生き残るために他者が困っていれば手を貸した。そうすれば自分が困った時に恩返しをしてくれるからだ。
一方、封建時代の貴族(地主の別名)、領主や国王の役割はといえば、戦争や公共工事のために税や兵力を徴収したりはするが、基本的に領民の生活には口出しをせず、領民も「自分はこの国の国民である」という意識は無かった。つまり王国とは単なる巨大な用心棒組織であった。みかじめ料(税金)を取る代わりに近隣の犯罪組織やチンピラが攻めてきたら領民を守るようなことはしたが、それ以外は一切口出しをしなかった。

「昔は皆が助け合って、いい時代だった」なんて記憶障害を起こしている人がいるようだが、家族や近隣コミュニティに「村八分」にされた個人は生きて行けず、文字通り死ぬしか無かった。生きていくためには、失った家族やコミュニティの代わりになるものを見つけ、その成員になるしかない。ほとんどの人の場合、それはヤクザの組織であったり、売春組織であったようだ。

産業革命以降の近代国家は、意に沿わない強力な家族や地域コミュニティがあると統治にとって不都合なので、徹底的に骨抜きにした。復讐による暴力の連鎖を止めるために、警察と裁判所と刑務所を作った。そしてコミュニティの成員達を誰にも属さない「個人」にした。教育なら学校へ行けばいい。起業したいなら銀行へ行ってカネを借りれば良い。病気になれば誰にも頼らず病院へ行けばいい。健康保険で医療費のほとんどを肩代わりしよう。老後は子供に面倒を見てもらわなくても良いように年金も介護保険制度も用意しよう。
人間は、コミュニティの成員・ナントカ村の下新田の五郎、という地域に紐付いた存在から「国民」にされてしまった。そのメリットは既に述べた。そして崩壊した、地域コミュニティの成員としての個人よりも、国家という想像上のコミュニティの成員つまり国民になれと言う。

消費主義と国民主義は、相当な努力を払って、何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。それは噓ではなく、想像だ。貨幣や有限責任会社、人権と同じように、国民と消費者部族も共同主観的現実と言える。

ユヴァル・ノア・ハラリ. サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 (Japanese Edition) (Kindle の位置№6866–6868). Kindle 版.

なぜ国家が想像上のコミュニティであり、皆の頭の中にしか無い存在だと分かるかといえば、飛行機に乗って窓から下を眺めてみるといい。国境線など無いし、世界地図のように国が色分けされているわけでもない。

そんな実体のないものが、実体のない国境というもののために戦争になったら、命をかけて戦えと言う。なぜだ?それは「国難」だからだ。「国が苦しんでいる」からだと言う人がいるかもしれない。いやいや何擬人化してるんだよ。「アフガニスたん」かよガキ臭え。「国」は生き物ではないので苦しまない。苦しむのは生き物であるところの、前線で戦う兵士だろう。

(略)
では、あるものが現実のものかどうかは、どうすればわかるだろう?とても簡単だ。「それが苦しむことがありうるか?」と自問しさえすればいい。人々がゼウスの神殿を焼き払っても、ゼウスは苦しまない。ユーロは価値が下がっても苦しまない。銀行は倒産しても苦しまない。国家は戦争に敗れても本当に苦しむことはない。苦しむと言ったとしても、それは比喩でしかない。それに対して、兵士は戦場で負傷したら、本当に苦しむ。(略)
もちろん、虚構を信じているから苦しむこともありうる。たとえば、国家や宗教の神話を信じていたら、そのせいで戦争が勃発し、何百万人もの人が家や手足、命さえ失いかねない。戦争の原因は虚構であっても、苦しみは100%現実だ。だからこそ、虚構と現実を区別するべきなのだ。
(略)
だから、物語を目標や基準にするべきではない。私達は物語がただの虚構であることを忘れたら、現実を見失ってしまう。すると、「企業に莫大な利益をもたらすため」、あるいは「国益を守るため」に戦争を始めてしまう。企業やお金や国家は私達の想像の中にしか存在しない。私達は、自分に役立てるためにそれらを創り出した。それなのになぜ、気がつくとそれらのために自分の人生を犠牲にしているのか?
ホモ・デウス/ユヴァル・ノア・ハラリ著
位置№3359

このあたりは本書ではなく続刊の「ホモ・デウス」に詳しいので詳細はそちらに譲る。
とまあ、近代国家や宗教のデメリットとして覚えておいて欲しい。これは学校では絶対に教えない、君と僕だけの秘密だ。こんな事を皆が考えるようになったら、「想像上の国家」が崩壊してしまうから。国によっては、危険思想だ、逮捕しろ、というわけだ。宗教によっては、神を冒涜する奴は殺してやる、というわけだ。

ではこのサルの部族同士の戦争のような頭の悪い行為が想像上の国家という巨大組織になり、戦争はますます酷くなるのかというと、どうもそうではないようだ。国民主義者がいくら頑張ったところで、「国民部族」は現代に台頭しつつある「消費者部族」の前に影響力を低下し続けている、というのが著者の見解であるようだ。例えば私は1992年からアップル製品を贔屓にしている「アップル部族」という消費者部族の中のサブコミュニティであると定義できそうだ(皆がiPhone持ち始めてからこっち、天の邪鬼の私はもう飽きたけど)。

第1に,「ヒトには国家にアイデンティティを求める本性がある」という主張は粗悪な進化心理学的主張だ.「宗教に属する本性」の主張と同じようにそれは脆弱性と必要性を取り違えている.人々は確かに自分の部族への団結心を持つ.しかし「部族」が国家である必然性はない.国家は17世紀以降の人工的概念に過ぎない.実際に認知的な部族,イングループ,同盟は抽象的で多元的なものだ.血族,故郷の街,生まれた国,育った国,宗教,民族,卒業校,学寮,政党,会社,スポーツチーム,愛用ブランドまで何でも対象になるのだ.もちろん政治セールスマンは宗教や国家を基本的なアイデンティティとして売り込み,洗脳と強制を付加できる.しかしそれはナショナリズムがヒトの本性であることを意味しない.同時にフランス人でありヨーロッパ人であり世界市民だと考えることは可能なのだ.
Enlightenment Now/スティーブン・ピンカー著
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/08/04/133055

現代の平和

第二次大戦終結後の70年以上、私達は人類史上類を見ない平和な時代に生きているという。というと、何を言ってるんだ。ベトナム戦争を見よ、イラク戦争を見よ、シリア内戦を見よと言われるかもしれないが、これは時代別の戦争による死亡者数を比べてみると、現代ははっきり減少している。そして上記の戦争はその例外とも言える。こう言うとまた、これらの戦争で死んだ人々を無視している、と言われるかもしれないが、無視などしていない。今は数の低下の話をしているのだ。

死者数で比較するなら、戦後における上記の戦争は例外的であり、近代以前の世界は常に戦争と暴力に満ちていたが為に、伝統的な宗教(の神)もこれを無くそうとは思わず、最後の審判の日まで戦争は続くだとか、人間の知り得ない神の壮大な計画の一部が戦争であり仕方がない、などと言ってごまかしていたようだ。

またもや記憶障害者が思い違いをしているが、近代以前は暴力に満ちていた。くだらない事で決闘、警察や裁判所がない為に報復の連鎖を誰も止められない等。また西欧インテリが好きそうな「狩猟採集時代は人々は仲良くやっていた」という幻想もあるが、アマゾン密林に住む少数民族は警察も軍隊も無いために、男性の1/4~1/2が、財産や女性や名誉のための暴力で命を落とすという。

「隣り合う二政体には必ず、一年以内に戦火を交えることになってもおかしくない筋書きが存在する」という国際政治の鉄則があるようだ。しかし「今日の人類は、この弱肉強食の掟を覆している。戦争がないだけでなく、ついに心の平和が実現したのだ」とある。それは
1. 核戦争のリスクという戦争の代償がとてつもなく大きくなったから
2. リスクの割に戦争で得られるリスクが減少した。今どきは資源のための侵略戦争など起こさない。サンフランシスコを占領してもグーグルの富は手に入らない。その富の源泉は社員の頭の中にしかないからだ。
3. 戦争より平和の方が利益が挙がる。

(前略)平和にたいした得はなかった。十六世紀にもし日本と朝鮮が有効的な関係にあったなら、朝鮮の人々は戦争のために思い税を支払うことも、日本の侵略による惨禍に苦しむこともせずに済んだだろうが、それを除けば、彼らに経済的な利益はなかった。現代の資本主義経済では、対外貿易や対外投資はきわめて重要になった。したがって、平和は特別な配当をもたらす。日本と韓国が友好的な関係にある限り、韓国の人々は製品を日本に売り、日本の株式を売買し、日本からの投資を受けることで、繁栄を謳歌できる。
№7081

国際関係を円滑にするのがお前らの仕事なのにそれが出来ないアホ集団の日本政府関係者と、「韓国と国交を断絶せよ」などと白昼夢を見ている低教育水準お花畑脳ミソ共はここを百回読め。繁栄を謳歌できるのはどちらも一緒。っていうか保護貿易だとか言ってる奴らって「比較優位の原則」って知らないんですかね?こんなモン、経済学の基本の基本の基本だ。

まず何をおいても、戦争の代償が劇的に大きくなったことが挙げられる。今後あらゆる平和賞を無用にするために、ノーベル平和賞は、原子爆弾を設計したロバート・オッペンハイマーとその同僚たちに贈られるべきだった。核兵器により、超大国間の戦争は集団自殺に等しいものになり、武力による世界征服をもくろむことは不可能になった。

ユヴァル・ノア・ハラリ. サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 (Japanese Edition) (Kindle の位置№7062–7065). Kindle 版.

さてこれは日本人的には首肯しづらい所だろう。返す刀で「イスラエル建国の(遠因の)立役者であり後の世の人種主義を忌避させた立役者としてヒトラーにノーベル平和賞を贈ろう」とでもこのユダヤ人に言っておく。

「核兵器が平和をもたらした」はユダヤ系インテリのお題目かと思っていたらどうやらそうでもなく、同じユダヤ系であるスティーブン・ピンカーは著書、Enlightenment Nowの中で「核の平和(パクス・アトミカ)」を否定していた。「フォークランド紛争の時、アルゼンチンの首相は<サッチャーがブエノスアイレスに核ミサイルをブチ込んでくる>危険性は考慮しなかった」というような意味のことを書いてあった。

冷静になれたら,核兵器の残虐な魅力から離脱しよう.核兵器は人類の進歩を体現する科学技術の精華というより,ヒトラーとナチが先に開発するのではという恐怖から生まれたマンハッタンプロジェクトという歴史的な偶然からうまれた技術に過ぎない.そしてそれは第二次世界大戦を終わらせた原動力になったわけでもない.核抑止で長い平和を可能にしたわけでもない.
核抑止力は(両超大国の対になる実存的脅威になった場合を除けば)実際にはぐちゃぐちゃなものだ.核は無差別に広いエリアを汚染し,戦争に勝ったとしても占領地の価値を失わせ,自軍の損傷も引き起こす.何より非戦闘民を無差別に大量殺戮してしまう.これは政治家にとっては耐えがたい結果であり,事実上使用はタブーになり,単なるブラフの道具に過ぎなくなった.フォークランド戦争においてアルゼンチンはサッチャーがブエノスアイレスを核攻撃するはずがないと信じていた.これは抑止自体に意味がないといっているのではない,通常兵器で十分に抑止は可能だといっているのだ.
スティーブン・ピンカー著 Enlightenment Now 第19章 実存的脅威 その4
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/03/20/211216

第19章 文明は人間を幸福にしたのか

くだらないので省略。

第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

くだらないので省略。

全5回で紹介してきた「サピエンス全史」は、教科書の歴史ではとても教えないであろう刺激的な内容に満ちていたと思う。人類史を概観することで、自分自身とその周囲を客観的に見られる視点を身に着けて欲しい。あと、書かれていることをすべて鵜呑みにせず、他の本も読むと別の著者が別のことを書いており、それでどちらが間違っているのか自分で考える習慣をつけて欲しい。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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