不登校者のための人生サバイバル・キット(教養編 4時間目 経済学1)
今回は経済について知ろう。そのためには、下記の動画を見よう。英語が分からなければ、字幕を日本語に設定しよう。終わり。
だめ?分からなかった?私も1回目に見た時は、最初の5分までしか理解できなかった。これも勉強しながら繰り返し見て、内容を自分の言葉で説明できるくらいにまでなれば、理解したと言えるのではないか。
あなたがお金を好きだろうが嫌いだろうが、あなたが人間社会で生きていくには、お金が必要だ。これは現代を生きる上で逃れられない。では一体お金とは何なのか?普段あまりにも当たり前にお金を使っているが、「お金ユーザー」の99%はお金の正体について即答できないだろう。そこで、お金にまつわる基礎知識を知るのは、あなたが生きていくための必須知識となる。サバイバルとしての経済学。テキストは、大学の経済学部で採用している本や、そうでない本を読みながら概要を説明したい。
お金の本質について
歴史の時間でも紹介したが、また「サピエンス全史」に登場願った。資本主義の仕組みについては、下記記事で説明したので読んで欲しい。
いきなりお金の本質について引用する:
(略)したがって、貨幣は相互信頼の制度であり、しかも、ただの相互信頼の制度ではない。これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。この信頼を生み出したのは、非常に複雑で、非常に長期的な、政治的、社会的、経済的関係のネットワークだった。なぜ私はタカラガイの貝殻や金貨やドル紙幣を信頼するのか?なぜなら、隣人たちがみな、それを信頼しているから。そして、隣人たちが信頼しているのは、私がそれを信頼しているからだ。そして、私たちが全員それを信頼しているのは、王がそれを信頼し、それで税金を払うように要求するからであり、また、聖職者がそれを信頼し、それで一〇分の一税を払うように要求するからだ。一ドル紙幣を手に取って、念入りに見てほしい。そうすればそれが、一方の面にアメリカ合衆国財務長官の署名が、もう一方の面には「我々は神を信じる」というスローガンが印刷されたただの紙にすぎないことがわかる。私たちがドルを何かの対価として受け容れるのは、神と財務長官を信頼しているからだ。私たちの金融制度が政治や社会やイデオロギーの制度とこれほど緊密に結びついている理由や、政治の成り行きで金融危機がしばしば引き起こされる理由、ある日の朝、投機家たちがどんな気分かで株価が上がったり下がったりする理由も、信頼が果たす決定的な役割で説明できる。
ユヴァル・ノア・ハラリ. サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 (Japanese Edition) (Kindle の位置№3269–3289). Kindle 版.
ハラリの世界観、歴史観とは「人類は虚構を共有することで発展していった。それは優れた想像力の産物であるが、人々はそれを虚構だと認識しなくなると、下記のような害を及ぼす:
- 借金(…は想像の産物)を返せないから死ぬしか無い
→虚構のために死ぬことはない。努力しても返せないなら破産しよう - 私の神(…は想像の産物)を侮辱するものは殺してやる
→“誕生ガチャ”で偶然生まれた地域でたまたま信仰されていた神が正しくて他は間違っているとなぜ言えるのか、理由を合理的に説明できるのか?それは単なる「自集団贔屓」という脳の不要な仕組みだ - 国家(…は想像の産物)のために戦争に加わり、国境(…は想像の産物)を守るために他国(…は想像の産物)と戦って死ぬ
→飛行機に乗れば分かるけど国境に線など無い。それは人々の頭の中にだけ存在する虚構であり、映画館で見る虚構の物語と何ら変わりはない。そんなもののために自分や他人を不幸にするな
…といったように自分や他人に害をなす場合があるので、虚構は虚構であると認識しよう」というような文章に要約できると思う。しかしハラリのまずいところは、「では、どのような虚構(=制度)なら社会の構成員に害をなさず、利益を与えられるのか?」という答えは一切書かれていないし、そもそも問題提起すらされていないところだ。正直言って私に良い案はない。虚構である名詞を書いたり読んだりする時にいちいちカッコ書きで(虚構)と書けばそれを忘れないのではないか?ぐらいだ。通販番組の「※個人の感想です」みたいなやつだ。「※虚構です。実在しません」とか。
この歴史学者の業績は、「人間は自らが作り出した虚構(カネ、宗教、国家、法律、人権その他)による社会構築があまりにもうまく行ったため、人々はそれが虚構であることを忘れている」と、人類の数千年来だか数万年来の催眠術を解いてくれたことにある。ここから先は次世代への宿題になると思う。このアイディアも著者独自のものではなく、ジェレミー・ベンサムが功利主義を唱えたとき、道徳が及ぶ範囲を「それが苦しむか?」との判断基準を定義したことで、それが彼の動物愛護、菜食主義の基準にもなったのだろうし、更にその概念を広げて、虚構か実在かを判断するときの基準にも適用したと。なのでハラリのアイディアに名前をつけるとしたら「功利主義的歴史観」となるのではないか。
閑話休題。ハラリ曰く、カネとは宝貝や金貨や紙幣ではなく、「通貨に価値があるということにしよう、とお互いが信じること」という手には取れない想像の産物であり、実際に手にとることができる宝貝や金貨や紙幣は、それ自体、貝殻や金属や紙でしかなく、重要なのはシステムであり貨幣はそのメディアに過ぎない、というところに注目して欲しい。
これは巨大なポンジスキーム〔訳註ネズミ講に似た詐欺の一種〕ではないかと思う人がいるかもしれない。だが、もしこれを詐欺と呼ぶなら、現代の経済全体が詐欺ということになってしまう。現実には、これは詐欺というより、人間の驚くべき想像力の賜物だ。銀行が──そして経済全体が──生き残り、繁栄できるのは、私たちが将来を信頼しているからにほかならない。この信頼こそが、世界に流通する貨幣の大部分を一手に支えているのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリ. サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 (Japanese Edition) (Kindle の位置№5803–5807). Kindle 版.
というわけで、この信頼というか信用というものが、どのように経済を動かすのかについては別の本を教科書にして説明しようと思う。続く。