他人の話が理解できない私は元々頭がおかしかったのではないのか?と思う
他人の話がよく分からない
私が子供の頃の80年代、公立小学校は、素行不良とかでなければ成績なんてあってないようなものでした。漢字などは練習して覚えるだけで、算数も特に難しい問題も出なかったので躓きもせず、バカな私はバカゆえに楽しい小学校生活を送っていました。「たいへんよくできました」「よくできました」「もうすこしがんばりましょう」の三段階の成績のうち、ほとんどが「たいへんよくできました」だったのですから、バカな私は、もしかして自分は頭が良いのでは?と勘違いをしていました。
この苦しみが始まった思春期
そんな勘違いを根底から覆されたのは中学校に入ってからのこと、数学担当のお婆ちゃん先生の言っていることが全く頭に入ってこなかったのです。それまで数学に苦手意識などなかったのに、日本語での授業が全く理解できませんでした。当然、最初の数学のテストは赤点であり、私はひどくショックをうけました。「自分は頭がよい」は単なる思い違いであり、平凡どころかだいぶ下ではないか!小学校はあんなに楽しかったのに、中学へ入ると皆はテストの点数と高校受験の話ばかり。おまけに勉強だけでなく部活動などという糞の役にも立たない活動も始まったし、強制ではないのにこれを拒否すると「内申点が下がるよ」と、まるで警察の「任意同行→拒否すれば強制」のような事を言われて、他人の足を引っ張ることばかり考えているつまらないクラスメイトも、わけのわからない教師たちも、くだらない部活動も、生まれが1年違うだけで中坊ふぜいが先輩だの後輩だの軍隊のような上下関係も、もう何もかもが嫌になってしまった。その発端が、あの数学赤点事件ではなかったのか。
中学時代の何十年後になって、同じ中学のOBであり現在はオーストラリア某大学で准教授をしているという私とは似ても似つかぬ人生を送っているS氏と出会った際、あの数学のお婆ちゃん先生の話になり、S氏も「あー、あのI先生ね、あの先生の授業は適当だったね」と言っていたので、客観的に見てもあまり質の高い授業ではなかったようだ。私は当時、割と好ましく思う先生の担当する教科はテストで学年何位だかに入っていたので「全ての他人の話す意味が理解できない」わけではなかった。ただ、「ある喋り方」をする人の話は全く頭に入ってこなかった。それが何であるのか、当時は理解できずに悩んでいた。
数学赤点事件が発端になり、それが思春期に差し掛かったこともあって、急に自己評価が「けっこう頭が良い」から「けっこう頭が悪い」に変わり、現代の言葉で言う「生きづらい」と感じるようになり、私はわたしとその周囲に耐えられなくなり、そのままドロップアウトしてしまった。10年くらい後、この社会不適合者がなんとか職を得て、社会復帰を果たすのだけど、放り込まれた仕事の現場で、やはり「仕事の段取り」というものが分からなかった。
仕事というのは、ただ与えられた役割をこなすだけではなく客先、上司、部下などとの折衝が大事になり、そこでは自分の主張を押すべきところ、引くべきところがあり、状況により使い分けなければならない。そのようなコミュニケーションは皆、今までの半生の中での経験で身についているように思われ、私のような引きこもりは決定的に経験不足だった。
「コミュ障」などというインチキ言葉があるが、コミュニケーションは障害ではなく経験だ。だとしても私にはその経験すら足りなかった。
相手が何を話しているのか理解できない人間が仕事なぞできるはずがない。そのような中で私が、一応仮にも16年間前職を勤められたのは周囲の皆さんの支えがあってこそだと感謝している。
私が理解できない話3つ
- 文に主語がない
何について話をしているのですか?多くの人は日本語の主語がなくても、前後のコンテキストからそれが何を指しているものか理解するようだ。 - 急に仕事のルールが変わる
すぐに変更したルールを理解できない。まずはゆっくり考えて、自分が腑に落ちるまでの脳の試行錯誤の時間が必要になる。 - 複数の話を並行にする
私の脳のCPUには割り込み処理機能はありません。AとBという2つの話が進んでいて、今はAを話しているのに急にBの話になると途端に分からなくなる。BはAの話が終わったあとにお願いします。
私は学習障害だとか発達障害だとか多動性障害といったものなのだろうか?このような話を調べるのにインターネットは不利であり、殆どが「お前医者でもないくせに知ったふうな事を言うな」と言いたくなる低質な記事が見つかるだけだった。公的機関が発行したパンフレットなど読んでみたが、結局自分は何であるのか、私は精神科医のような知識はないので「診断」はできなかった。
このような診断は白か黒かで決まるものではなく、症状はグレースケール8bit(256段階)ぐらいのグラデーションなのであろう。グラデーションの比較的黒い方に位置する人たちは、日常生活すら困難なほどで、例えば電車の乗り方が分からずパニックになる、といった症状を見せるだろうし、仮に私が「グラデーションの白っぽい方」に位置するのだとしたら、それが病気であるとは他人からは分からず、「話の通じないヤツ」だとか「仕事をサボっているヤツ」という評価をされ、本人はそれに悩み、精神科に行けば現在の気分の落ち込みのみが診断され「軽い躁鬱」であろうと睡眠導入剤かデパスかソラナックスでも処方されて終わる。
上記のように考えると、私の思春期以降の半生、なぜこうなってしまったのかの説明がつく。私と同じような脳の設計を持って生まれた人は、100人に1人だとか(数字に根拠なし)、そのくらいの結構な高頻度で社会にまんべんなく存在しており、彼らは病気であるという認識は本人も含めてなく、今日も会社や学校などで「話の通じないヤツ」だとか「仕事をサボっているヤツ」であると鬱陶しがられ、本人はそれに落ち込み、落ち込みを精神科医に話すと「軽い躁鬱」であると診断されて根本原因にはたどり着けず…。
自分の生まれを呪っても仕方がない。思春期以降、私は自分のことを「普通よりかなり劣ったヤツ」だと評価しているのだけど、だとしても生活費を稼がなければならない。