再帰は偉いのか?:ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観

Hiroki Kaneko
9 min readJan 10, 2022

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Photo by Nareeta Martin on Unsplash

図書館で借り出した。ちなみに図書館の検索システムでの登録名は「ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観」と、「―(dash)」が一つ抜けていた。
そのためdashを2つ付けたらヒットしなかった。何なんだ。完全一致じゃなければ検索できないって、曖昧な検索でもヒットしてくれるGoogle検索で育った若い世代は何と思うのだろうか?つまり殆どの市町村の図書館に置かれている図書検索システムは書名をそのままデータベースで検索するしかなく、よくてSQLのLIKE文くらいしか使えないということだろう。

著者はアメリカの言語学者で元・キリスト教宣教師。聖書を世界中のあらゆる言語に翻訳することを目的としたキリスト教系基金からお金を出してもらい、アマゾン奥地に住む少数民族・ピダハン族の集落でフィールドワークをする。そこで起きた様々な苦労の体験談が第一部に書かれており、こちらは文化人類学者のフィールドワークのように読める。そして第二部はピダハン語を研究した言語学としての切り口になり、まるで違う本を2冊読んでいるような印象を受ける。

第二部での大きなテーマは「ピダハン語文法に再帰はあるのか?」だが、私には言語学の知識がないため、あるとか無いとかいう断定はできなかった。

文法における再帰というのはこのようなものだろう:「明日は雨が降ると母は聞いたのを私が聞いた」。このような文の入れ子構造により無限に文をつなげていくことができる。一方、再帰がないと著者が主張するピダハン語ではこのようになる:「明日は雨が降ると母は聞いた。私は聞いた」「私」が何を聞いたのかは省略されているけど、話し手も聞き手もそれが「母が聞いたという、明日は雨が降るという天気予報」であることは明らかだろう。こんにち世界中で広く話されている言語では、それが1文になる。ピダハン語は2文になる。その程度じゃないのか?私は文法やら言語学に詳しくないので、その程度のこととしか理解していない。

急にコンピューター科学の話をします

なぜ言語学者であるチョムスキーやピンカーが再帰、再帰と騒ぎ立てるのか私には上記の理由から理解できない。そしてそれは言語学だけではなくコンピューター科学者も「再帰」は重要だと説く。2010年代になり、関数型言語が「再発見」されるようになってからは特に注目されるようになった。

多くのプログラミング初学者が理解できない概念が2つある。C言語などで出てくる「ポインタ pointer」と、ほとんどのプログラミング言語が実装している機能である「再帰 recursion」だ。ポインタは変数を格納するメモリ上の先頭アドレスのこと。再帰は自分自身を呼び出すこと。それだけなのだけど、なぜ初学者が躓くのかというと、これは私の考えだけど「それらの機能の使い所が分からない」からではないのか。私もC++を学ぶ時、ポインタの使い所は理解できたが、再帰は良くわからなかったので教科書の該当部分を読み飛ばしてしまった。

コンラッド・バルスキは著書「Land of Lisp」の中で「再帰をいつ使うのかって?いつでもさ!」と書いている。この言葉も尚更、初学者を困惑させる。いったいいつ使うのかって聞いてるんだよ!

* (defun fact(x) ;関数factは引数xを取る
(if (zerop x) ;もしx = 0なら…
1 ; 1を返して関数は終了する
(* x (fact (1- x))))) ; 0以外ならxに1を引いた数で自分自身を呼ぶ
FACT
* (fact 4) ; x = 4で関数factを呼ぶ
0: (FACT 4) ; x = 4, fact(3) 引数3で自分自身を呼ぶ
1: (FACT 3) ; x = 3, fact(2) 引数2で自分自身を呼ぶ
2: (FACT 2) ; x = 2, fact(1) 引数1で自分自身を呼ぶ
3: (FACT 1) ;x = 1, fact(0) 引数0で自分自身を呼ぶ
4: (FACT 0) ; x = 1, 再帰停止。関数は1を返す
4: FACT returned 1 ; 再帰停止で関数factは1を返す
3: FACT returned 1 ; 3回目の再帰で関数factは1を返す 1 * 1 = 1
2: FACT returned 2 ; 2回目の再帰で関数factは2を返す 2 * 1 = 2
1: FACT returned 6 ; 1回目の再帰で関数factは6を返す 3 * 2= 6
0: FACT returned 24 ; 0回目の再帰で関数factは24を返す 4 * 6 = 24

M.Hiroi さんのコードを参考にした。

結局、再帰のメリットは「複雑な状況を1文で表せるなら少しだけ単純になり、それが長文になればなるほどメリットが大きくなる」なのだろう。これは英語や日本語などの再帰文法を持つ自然言語だけでなく、プログラミング言語でもそうだ。自分自身を呼び出すことでコードの行数を圧縮できるならそうすべきだし、なくても「この処理をコードとして表現できない」というわけではない。書き方が少し冗長になるだけだ。そしてそれが長大になった時、人間では処理を負えなくなりバグの原因になる。

「サピエンス全史」でユヴァル・ノア・ハラリが「言語が人間の特徴たらしめているのは再帰があるからだ」と書いていたが、これは歴史学が専門のハラリが、チョムスキーあたりを流し読みしてコピペしただけだろう。あの人の本は、彼の専門である歴史以外は信用ならないと感じている。なぜって、あの大学教授センセイでなくても、私のような者でも「再帰なしでもコードや言葉は構築可能」だと分かるからだ。

お前、見たんか?

著者は聖書のピダハン語訳を作成し、それによってピダハン族に、キリスト教の「福音(全人類にとって良い知らせ)」をもたらしたかった。それは決して上から目線の「西欧的価値観」を「文化的に遅れた人たち」に押し付けようという傲慢ではなく、自分の恵まれなかった若い頃にキリスト教で人生を持ち直した経験からだった。しかしそれは、ピダハン族から見れば単なる「ありがた迷惑」であり、自分たちは周囲の環境に適応して幸せに暮らしており、外部の文化からなにか新しいものを取り入れる必要は無いと否定されたのだった。

ピダハン族に宗教はなく、ゆえに「神」を表す単語もない。色を表す単語もなければ、右も左もない。捕れた魚の数を「数字」という抽象概念に置き換える習慣もないので、計算もできない。過去や未来に思い悩むこともない。「今、この瞬間を生きる」とは、仏教が「苦」から逃れるための重要エッセンスとして教えていることでもあるが、ピダハン族はすでにそれを実施しているので、キリスト教も仏教も必要ない。

では彼らは楽園の住人なのだろうか?病院もないジャングルの奥地に住んでいるため、薬を飲んだり病院で治療をすれば治る病気や怪我で簡単に死んでしまう。誰かが死にかかっていても、誰も看病などしない。看病をしていたら自分の食べ物を採取する時間がなくなってしまうからだ。これは薄情なのではなく、「現状を在るがままに受け取っている」だけであり、それで思い悩んだりしない。家族が死ねば悲しいが「そういうものだ」と割り切る。
私は病気になったら病院へ行ける場所に住んでいたいと思う。

今、ここ、自分が見たことしか信じないピダハン族の文化であるから、何千年前に、聞いたこともない地域の、居たかどうかも分からないオッサンが言ったことなぞ聞く耳持たないのは当然だ。著者はピダハン族から「お前はイエスを見たのか?」と言われ、宗教の信者としてではなく科学者として「証拠がなければ信じない」を思い出し、キリスト教の教義に疑念を持ち、無宗教となった結果、宣教師の娘として育った妻とは離婚してしまったそうだ。

ここに私は違和感がある。科学者なら「証拠を見せろ」は当然なのだが、自分の目で観測できることが全てではないだろう。最近になってようやくブラックホールの存在を確認できるようになったが、それまでは「理屈で考えれば、そのような超大質量の星は自らの重力で潰れる」と、理論だけでその存在を予言し、あとから証拠が付いてきたのだ。アインシュタインは自分でブラックホールを見たのか?見ていなかったとしたら、彼は科学者ではなかったのか?

だから、「証拠もないのに神の存在を信じることはおかしい」と思う一方、科学者としては「観測できることだけが真実の全てではない」という一見矛盾する考えも覚えておく必要があるように思う。

西欧の考えや宗教だけが真実なのではないし、人類全てがそこに向かっているわけでもない。その中から真実(物理法則など)だけを取り出し、歴史のいたずらで生き残ってしまった「2500年前の道徳」などは、いい加減捨ててしまう頃ではないのか。「神は妄想である」。ピダハン族はそれを、言われなくても知っている。だからといって彼らは西欧人が美化したがる「聖なる野蛮人」などではない。縄張り争いで殺人も犯す。私たちと同じ、単なる人間だ。だとしたら、ピダハン族に必要なものは「2500年前の旧大陸の作り話を唯一絶対の道徳として押し付ける」ことではなく、医療や食料、教育だろう。一方、西欧文明の恩恵を享受している人間たちはピダハン族の文化から、人類の文化、価値観の多様性について凝り固まることなく考えることの重要性を学べるのではないか。

言語学の本であるはずなのだけど、文化人類学の本として読んだ。人間の生き方は一つではないと、新年から目を見開かされた。とても幸せな読書体験だった。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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