“動物をペットとして飼うのは動物を殺して食べるより意味がないことだ”と千石センセイが言ったので飼い主として責任を果たした話

Hiroki Kaneko
3 min readFeb 29, 2020

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在りし日のクロちゃん(2006年頃)

TL;DR 15年くらい飼っていた肺魚が2年間の闘病の末、死んだようなので、埋葬した。

追伸:

TBS系テレビ番組「わくわく動物ランド」や「どうぶつ奇想天外!」に出演していた「千石先生」こと千石 正一(せんごく しょういち)という動物学者がいた(既に故人)。

千石 正一(せんごく しょういち、1949年4月23日 — 2012年2月7日[1])は東京都世田谷区出身の動物学者。主に爬虫類と両生類を扱っていた[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E7%9F%B3%E6%AD%A3%E4%B8%80

いつだったか、彼が観賞魚雑誌「アクアライフ」に連載を持っていて、確かマダガスカルとインド洋諸島の爬虫類についての連載だと思っていたけど、ある種の動物がペットとして密猟され、絶滅の危機に瀕している、という話の折に「動物をペットとして飼うのは動物を殺して食べるより意味がないことだ」というような意味の事を書いていたと記憶している。動物愛に溢れた同氏から出た、なかなか薀蓄のある言葉だと思った。

底の浅いベジタリアンが言いがちな「動物を殺して食べるなんて可愛そう、動物を可愛がろう!」では、犬猫を沢山飼ってはいるが、猫はともかくとして犬はオオカミを人間の都合で家畜化したものだ。殺して食べるか、番犬として飼うか、愛玩動物として飼うか、用途は別にどうでもよいが、人間がなにかの目的を持って利用しているのには変わりはない。それは全く、人間の一方的な都合であり、犬に「すみませんが(殺して食べたい|番犬になってほしい|可愛がりたい)のですがよろしいでしょうか」と許可を得て行っているわけではない。なので、千石先生の薀蓄ある言葉は、子供の頃からペットを多く飼っていた私や同士の観賞魚雑誌読者たちの心に響いたのではないか。

人間自体は自然の産物であり、その産物の行うことに良いも悪いも無い。道徳とは人間が勝手に決めた、人間集団で自身が生きていくための単なるルールであり、その人間の勝手なルールに従って宇宙が動いているわけではない以上、何をしてもよい。しかし動物側からすれば、殺して食べるより意味のない事をされている以上、死ぬまで飼うのが飼い主の責任というものでもあろう、とその時強く感じた。それ自体も人間の勝手なルールであるのだけど、屁理屈で動物を飼っているのだから、屁理屈で満足しても良いと思う。

日本の肺魚コミュニティについて

1990年代末頃にネット上で盛り上がった肺魚愛好家コミュニティは、doloiさんの「肺魚地獄」Webサイトやmixiを中心に活動があり、「肺魚忘年会」なども開催されたようだ。最近はネット上から活動を観測できない(それまで散在してお互いに知り合えなかった超ニッチな趣味人が、ネットを通じて知り合うことが出来た、インターネット初期の現象ともいえる)。
オスかメスか分からないミステリアスな肺魚は、死んだら解剖して雌雄判定するのが肺魚マニアというものだけど、うちのクロちゃんはどっちだったのでしょうか?

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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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