善悪の判断をするな。或いは詳細に判断しまくれ
湿度より不快指数を上げる宗教ババア
不快指数というのは単なる気温の数字だけでは測れず、湿度が高ければ体感気温はもっと上がる。仮に湿度90%、気温が33度であったら、汗は蒸発せず、既に耐えられない暑さだ。そんな暑いさなか出勤する労働者を更に不快にさせるのが「朝立ち」と呼ばれる、朝に駅前でカラオケじゃなかった政治演説をする幸福実現党のババアだ(たまに共産党のジジイもいるよ!新川崎駅は地獄だぜ)。お前らがどう考えようが自由であり私の知ったことではないが、暑苦しい朝を更に暑苦しくさせるのは犯罪、少なくとも迷惑防止条例違反だと思っている。
今回は何やら香港のデモについて一言二言、反・中国共産党にかこつけて自分は「香港市民の側」に付くと薄っぺらな表明をしていた。
よく言った!自由香港万歳!私は香港市民を応援しますってか!じゃあ一緒に香港が誇る映画産業の産物、カンフー映画でも見よう!主人公のカンフーマスターが「悪い日本兵」をボコボコにするやつを見よう!っていうかカンフー映画ってそんなのばっかりだけど!鑑賞後にもう一度「自由香港万歳!」と言おう!
私のお薦めカンフー映画はドニー・イェン主演「イップ・マン」シリーズです。ブルース・リーの師匠筋にあたる人物で、実在人物ですが映画のストーリーはほぼ創作です。
しかし詠春拳と聞いて私のような世代が思い浮かぶのは、ビデオゲーム「バーチャファイター」シリーズで詠春拳の使い手として登場するパイ・チェンであり、パイが弱いキャラだった為に詠春拳?なんか弱そう、と思う偏見をひっくり返す、ドニー・イェンの「強さに説得力ある」演技が素晴らしいと思いました。
それでお前はどうなんだ?”どっち側”なんだ?
私は別に香港のデモについて思う所はなにもない。というとお前は薄情だとか、中国共産党の手先だとか言われそうだ。しかしそのような批判はぜんぜん当たっていない。なぜなら問題に「どちら側」も存在しないからだ。
1997年の香港返還以降、香港は「中華人民共和国香港特別行政区」として50年の間、軍事と外交以外の幅広い自治が認められている。この事実に照らし合わせてみれば、争点となった逃亡犯条例は「一国二制度」を考えると、微妙な所もある。しかし香港で反中国共産党の本を売っていた書店店主が「行方不明」になったり、中国のビジネスマンが香港で「行方不明」になっている現状を鑑みれば、「逃亡犯条例が濫用されるかもしれない」と香港市民が懸念を抱くのも当然だと思う。
それだけだ。私は「どちら側」でもない。新川崎駅前のクソババアは、政治を「原始的な部族主義を司る脳を鼓舞されるスポーツ観戦」か何かと勘違いしており、「自分がどちら側の人間なのか」を最初に決め、それで問題への態度を決めているだけなのだ。問題には原因があり、それを調べて判断するしかない。しかしあのクソババアがやっているのは、問題解決で一番してはいけない「問題の政治問題化」であり、自分が便益を受けている中二病宗教が掲げる旗印を読み上げているだけなのだ。
そこであのクソババア(結構若そうな見た目だったけどね。残念な脳ミソであることには変わらない)が本当に問題を議論するだけの頭があるのか、テストしたいと思った。
主人公のカンフーマスターが「悪い日本兵」をボコボコにする香港映画を見よう。鑑賞後にもう一度「私は香港市民を応援する」と言おう。
私はそのような映画を見ても「マジこいつ悪いよなあ日本兵。この日本人俳優、ちょっと前に<実写版ときめきメモリアル>に出ていた奴じゃないのか。でもサモ・ハン・キンポーに武術指導されるっていいなあ」とか思うだけで、何とも思わない。私は日本出身だが「悪い日本兵」でもなければ、日本の帝国主義を推し進めた人間でもない(帝国主義の是非についてはひとまとめで判断せず、個別に判断しろと別記事で書いた)。
なので私は、偶然にも私が生まれた地域の「人々の頭の中にしか存在しない地図上の領域」に対する何ら責任も負わないと考えている。もし私が原因で葉家族の食べ物が無くなり、結果として彼の子供が死んだとしたらそれは私が悪いので相応の罰を受けるのも仕方がないとは思う。(素早いパンチからの下段足払いでダウンを取られる、くらいじゃ済まないだろう)
これで「日本人が悪役になるのはけしからん」と考えている奴、お前その「悪い日本兵」なの?違うでしょ?なら別にいいじゃない。でもその気持ちが頭に浮かんでくるのは理解できるよ。私もなんだか居心地が悪い気分がする。それが何故か教えてあげよう。
人間の脳は内集団びいきをするように設計されているから。なぜ内集団びいきをするのかというと、生きるために他集団との競争に勝たなければならないから。他集団を人間とは見なさず、悪魔としてブチ殺しまくった「英雄」が子孫を残したので、子孫もその考えの傾向をもつ割合が多くなったから。歴史は人殺しのクソ野郎が作り、私達は人殺しの子孫である。非暴力を唱えた賢明な人間もいたかもしれないが、脳筋マッチョに殺され、子孫を残すことはなかった。
…という雑なダーウィニズムだか進化心理学だかで説明できる。
狩猟採集生活社会ならこれで良かったのかもしれないが、グローバル化する社会ではこの「本能」は、邪魔でしかない。人間はわたし対わたし達の、自集団内の問題を解決するよう脳が進化してきたのであって、グローバル化する社会における国際問題、即ちわたし達対彼らの問題を解決するようにはできていなからだ。つまり脳は原始時代のままなのに社会だけが急速に変化してしまい、付いていくことができない。
ではこの本能が消えるまで、また何百万年も世代を重ねなければならないのか?そうではない。理性的に考えれば、この「本能」は間違っていると認識できる。なぜならこの本能は、理論的に筋の通るものではないからだ。例えば私はクモが嫌いだ。しかし理性的に考えるなら、毒グモでもない限り恐れる理由はない、と頭では理解している。でも怖くて仕方がない!これが本能だ。人間を、毒のある生物から遠ざけるために「遭遇したクモが毒グモである確率が100回に1回だったとしても、残りの99回の無駄な怖がりにもメリットが有る」となってしまう、という「粗悪な偽進化心理学」で説明したくもなる。
つまり脳は「結果として自分が生き残って子孫を残せるなら世界を間違った認識で過ごしても構わない」と考えている、厄介な存在だ。ドーキンスの言う「利己的な遺伝子」って、そういう意味なのか?
人は誰でも生まれてくる国と親は選べない。自分が移民ではないなら、この、ユーラシア大陸の東の果ての更に海の向こうの島に生まれたのは、単なる「誕生ガチャ」の結果でしかない。それともあなたは、生まれる前に雲の上で、杖を持った白いひげのおじいさんと話し合った末に、雲の切れ間から見える島を指差して「私はあそこで生まれたい」とでも言ったのか?そうではないでしょう。ならなぜ自分が偶然生まれた国を自分と同一視しているのか?自分と、自分が偶然生まれた結果を同一視する、何か理性的な理由が思いつくか?無いでしょう?しかし私は生まれた国と同一なんだ!私はクモが怖いんだ!理由は分からないが、とにかくそう感じるんだ!だからこの思いは正しいんだ!
それは自分の脳に騙されてるんだ。いい加減気づけ、愚か者。
“中国の政治状況についてなにか一言お願いします”
「この部屋にはまだ毛沢東の亡霊がいる!悪霊退散悪霊退散!セイッ!」