喫茶アルフィーの思い出
ネットで検索できないものは存在しないことになってしまう=1990年代中盤以前は紀元前
この年末年始はどのように過ごしましたか?と言われたら、「わき道にそれて純喫茶2」を読みまくっていた、と答えるほかない。
今やお洒落なカフェや世界的コーヒーショップ・チェーン店によってその絶滅が危惧され、2020年のコロナ禍によりますますレッドデータブック入りしそうな「純喫茶」を求めて全国を旅しているエムケイさんの情熱には恐れ入るけど、私には「懐かしい」といった感情以外は特に無かった。エムケイさんは純喫茶に味を求めているわけでもない(ここで百凡の食べ歩きブログとは異なる)し、「懐かしい」といった感情以上の「侘び寂び」を求めている求道者のような感じがした。
そこには、当たり前だけど現存する純喫茶しか載っていない。今はもう無い喫茶店については、当たり前だけどネットを検索しても載っていない。そこで、誰が得するのか分からないけど自分の記憶の中だけに存在する喫茶店を一つ紹介しようと思う。それが「喫茶アルフィー」だ。
喫茶アルフィーは、南藤沢、スーパーマーケットオーケーの向かい、今は「シーガル」という古着屋さんになっている場所にかつて存在していた。店の前を通りがかる度に、自分の中では「誰かお客さんが入っているのだろうか」という感想と、しかしどうにかして開店しているその喫茶店は、私には知り得ない仕組みによって未来永劫続くと思っていた。しかしその喫茶アルフィーが、いつの間にか古着店・シーガルになり、サンタフェのアドービ建築のような壁に、ネイティブアメリカンの人形が店先にいつも座っているという風景がすでに自分の中で定着してからというもの、喫茶アルフィーのことはすっかり忘れてしまっていた。
1970年代の喫茶店然としたその薄暗いファサードからは、カウンターがかろうじて覗ける程度であった。喫茶店というと、コーヒーが一杯400円くらいして、子供だったり無職だったりの自分には高すぎて、とんと縁のない場所だった。いつだったか、姉と話をしているときに喫茶アルフィーの話題になり、一度行ってみようと来店したことがある。実はその茶色で薄暗い店内は思いの外居心地がよく、今の言葉で表現するなら「おこもり感」とでも呼ぶのか、居酒屋の半個室のように、適度に他者からの視線を遮られるように設計されたボックス席にいつまでもいたいと思わせるような店内だった。そこで何を注文したのか忘れてしまったけど、店内も飲み物も満足して帰ってきたことだけ記憶している。
なんだ、こんな快適な空間なら以前からもっと通えばよかった、などと思ったのだけど、用事のない自分は、その後一度も行くことはなく喫茶アルフィーはいつの間にか閉店していた。
ところでアルフィーって何だろうか。これだろうか。多分これだな。いかにも店長の趣味で付けましたといった名前が昔を感じさせる。
別にそれが悪いわけじゃない。自分の店なのだから、自分の思い通りにやって何が悪いのか。コンビニのフランチャイズ店長をしたって、自身の店の賞味期限間近の食品の割引販売だってできないんだ。
私の年齢では、喫茶店の黄金期に成人していたわけではないので、喫茶店が社会の中でどのような役割を担っていたり、自分の人生の中で何か特別な思い出を作ったきっかけになった、ということはあまり無かった。母に聞くと、あまり裕福ではない母のことだから「昔はコーヒーが一般的ではなく特別な飲み物だったから、喫茶店でコーヒーを飲む、というのは何か特別なことに感じられたけど、それにしても高かったからあまり行かなかった」と言っていた。私がたまに読む、地方都市でコーヒー豆販売店を営む男性のブログを読むと、同じような事が書かれており、また、当時はエアコンが一般的ではなかったので、夏の暑い日などに涼みがてらに客先と商談をするため、会議室代わりに使う地元会社の人たちなどで繁盛したようだ。
それが1990年代に国内大手コーヒーショップチェーン店の進出、2000年代になって世界大手コーヒーショップチェーン店の進出などがあり、個人経営の喫茶店経営はだんだん難しくなっていったようだ。そのような状況もあり、ブログ作者の家は母親が作った喫茶店を畳み、コーヒー豆販売のみに切り替えたようだった。
今、思いついたのだけど、これは日本だけの状況なのだろうか?それとも世界的な状況なのだろうか?
2年前に台北へ行った時は、喫茶店に限らずまだ個人商店が元気という印象を受けた。もちろん地元のチェーン店も沢山あるのだけど、大通りの両脇に4,5階建ての建物が連なっており、1階は商店、2階より上は住居、というヨーロッパのような使い方の建物が沢山あり、1階はチェーン店のように洗練されていない、何を売っている店なのかもわからない曖昧な店舗が沢山見受けられた。
もちろん台北にもスターバックスはあるが、店の前に高級車が止まっていたりして、何か金持ちが行く所といった雰囲気だった(台湾地元のお洒落コーヒー屋だって、メニューによっては日本より高い場合があるのにスターバックスが高いか?という疑問はある。これがタイへ行くとスターバックスのコーヒー一杯は一食分の外食費になるので、これを出せるのは金持ちのみになる)。
そんな喫茶店を懐かしむ風なことを言った私ですら、コンビニで淹れたてコーヒーが飲めるようになってからはこっちの方が安いとばかりに外出時はコンビニで買うか、豆を買って自宅で飲むくらいのことしかしないので偉そうなことは言えない。鉄道が廃線になると途端に惜しむ鉄道ファンと同じだ。惜しむようなことを言う資格はない。
追記
喫茶アルフィーの入り口は、現シーガルの右隣の扉が入り口だったと思い出した。では現シーガルの前のテナントは何だったっけ…?