子供時代は夢だったのではないか?と思う時がある
大磯ロングビーチというのがあって
最近やたらと子供の頃のことを思い出す。夏休みといえば、近くに住む親戚と一緒にプールへ遊びに行ったことが、何か自分の中のとても楽しい思い出として、今も忘れずに覚えている。
当時、母の勤め先では夏になると、業者が大磯ロングビーチの割引券を配っていた。一番近場のプールと比べて随分入場料が高いところだったから、確か午後から行くと安くなるというので午後から行ったんだ。
入場料の他にも、屋根つきの休憩スペースを1日借りようなどと思ったら1万円はしたのでそのようなところは借りられず、もっぱら炎天下にゴザを敷いて流れるプールで流れていた。流れるプールやら、波のプールやら、当時はそんなものでも十分新しくて、随分高給な場所だなあ、と思ったものだった。更衣室のあるクラブハウス的な建物も随分広いなあと思っていたし、家から一番近いプールの男子更衣室なんて、ただのコンクリートの壁に向かって見ながら並んで立ち小便をするような仕組みだったので、子供ながらに嫌だなあと思っていた(中国の田舎に行くとあるという、これもニーハオトイレの一種なのでは?)。ところが大磯ロングビーチはどうだ!エアコンの効いた屋内、広くて清潔な更衣室、小さなゲームコーナーには「アフターバーナーII」も置いてあって、ここは夏の楽園だと思っていた。
いつの夏だったか、夕暮れ過ぎても遊んでいた私達きょうだいと親戚姉妹は、帰りの駅行きバスに乗るのが遅れてしまい、8時頃にようやく大磯駅前へ付いたときがあった。当時も今も駅前に食べ物屋といえば喫茶店ぐらいしかなく、私達はどこかの喫茶店へ入り、さして美味しくもないエビピラフを食べた思い出がある。そのエビピラフは確かに冷凍食品のような味で、いや、最近の「電磁冷凍による美味しい冷凍食品」などでは断じてない、本当にまずいエビピラフだった。さすが郊外のやる気のない喫茶店、と小学生ながらに思ったものだけど、なぜか「夜遅くに子どもたちが喫茶店で食事をする」という非日常が楽しく、私の子供の頃の楽しい思い出の一つだった。親戚姉妹の妹さんは、今では2児の母として毎日を忙しく暮らしているそうだけど、たまに会うと当時の話になり、やはり彼女もあの「たいして美味しくないエビピラフ」を一緒に食べた思い出の事を語ってくれるのだ。その場所で何を話したのか全く覚えていないけど、確かに楽しかった、ということは私も親戚も同意見だったことが、本当に嬉しかった。あの夜は夢ではなかったのだと。
今、ネットで調べても当時の喫茶店は存在しないようだ。駅の売店では、夏になると冷凍みかんが売られていたような時代だった。ペットボトルがあまり無く、飲み物は缶ジュースか、変な尿瓶みたいな容器でお茶を入れていた(携帯茶というらしい)、そんな時代だった。
古久家の思い出
藤沢市民はだいたいお世話になったことがある、ローカルな地元チェーン店「古久家」というのがある。中華料理店だ。藤沢駅前には名店ビルという魔窟のような古びた複合ビルがあって、そこには昭和を煮しめたような店舗たちがこの2020年にも元気に営業中なのだから頼もしい。
ラーメンというと1000円そこそこでグルメ気取りになれるというので皆が食レポをネット上に公開している「流行り物」ではあるけど、古久家はそういう流行とは全く関係なく営業している。客層は年季の入った常連、要するに老人ばかりだ。私もその老人の一人になるかもしれない。
最近はさすがに無いかもしれないけど私が子供の頃はテーブルに星占い機?があり、100円を入れて自分の星座を選ぶと、あなたの運勢が小さな紙になって出てくる不思議な機械だった。
ラーメンはというと、自家製麺のコシが他の店とはちょっと違っていて私は好きだった。この名店ビルの上では当時、バレエスタジオがあり、姉がバレエの練習の帰りに私と母が落ち合って、ここでラーメンを食べた思い出がある。そこで何か、姉がこの「ルーレット式おみくじ機」に100円を入れて遊んだと記憶している。
それから古久家へはもう20年は行っていない。何か、最後に行った時に、あまり飲食店では歓迎されないタイプの虫がいたからだ。もちろん今ではいないだろうし、いても私は気にしないだろう。
そのバレエスタジオに通っていた姉の友達の実家は藤沢駅北口で喫茶店を経営しており、テーブルはテーブル筐体ゲーム機というこれも昭和を冷凍保存したような店なのだけど、映画「20世紀少年」で登場したらしい。いつか映画も見てみたい。
この歳まで生きてくると、あの子供時代はまったくの夢だったのではないか?と思う時がある。鏡に映る自分の顔を見て、これが、あの子供の今の姿かと信じられない思いではあるけど、今のアパートに鏡など無いから問題ない。