寄付に頼り過ぎなアメリカと制度に頼り過ぎな日本;Undercover Billionaire S2

Hiroki Kaneko
Jan 16, 2024

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Photo by DJ Johnson on Unsplash

YouTubeで過ごす時間はディスカバリーチャンネルを見る率が50%の私が楽しみにしていた”Undercover Billionaire(覆面億万長者)” のシーズン2。楽しみにしていたけど、S1より取材期間が短く、27日間でビジネスを立て直すことがミッションになってしまっていた。20分の動画3本にまとめると「危機だ!」→「なんとかしなきゃ」→「なんとかなった。END」だけであって全然面白くない。取材期間が短いと人間ドラマが見られないからだ。

今回スポットライトを浴びるのはミシガン州エリー(エリー湖の側で、デトロイトの南東。20世紀初頭には鉄鋼業でデトロイトと共に栄えたが今は寂れてしまった街)に住むマイケルという人物。貧困家庭に生まれ、麻薬の運び屋をやって8年服役した。出所後は就職できなかったので、元手がなく一人で始められる洗車業をしながら今まで食うや食わずの生活をしていた。しかしその一方で慈善活動にも熱心で、更生施設兼厨房として買っておいた大きな住宅は資金が足りずに手つかずのままになっていた。

そんなマイケルにグレンをはじめとしたその道のエキスパート集団が「非営利組織の収益化」を伝授する。洗車事業は効率的な洗車方法と、より利益率の高い出張サービスの提案、レストラン事業はプロのシェフのレシピを教え、非営利組織に寄付を受けやすくするように財務管理を外部に委託する。

その結果、なんだかよくわからん成功を受けて終わった。なるほど、つまらん。

この27日間で成功と呼べるのは外部の財団が財務を見てくれると約束してくれたことだけだった。洗車ビジネスは?何人か新人が来たようだったけど、その人たちが誰なのか番組内では名前すらわからなかったし、元々マイケルが言っていた「人を雇ってもすぐに辞めてしまうから、自分ひとりでやっている」の答えが「洗車を効率化しよう。利益率の高い事業をしよう」は、違うと思った。そんなことしたってやめる人はやめるでしょう?

慈善事業の収益の柱のひとつと期待していた、更生施設の家賃が1人月1,000ドルというのも疑問だ。困窮している人が月1,000ドル出せるだろうか?それとも階下のキッチンで職業訓練をしながら、その給料を相殺するのだろうか?同じ事業の中でカネが回っても嬉しくないだろう。

寄付に頼り過ぎなアメリカ、制度に頼り過ぎな日本

これを見て思ったのは、効率、効率言うんだったら困窮者を一番効率的に救えるのは制度じゃないの?ということだった。来るかどうかもわからない善意の寄付を頼りにするより、税金を困窮者に支払うのが一番効率が良い。それを「儲けたカネをどう使おうが金持ちの自由だ」と考えるのはおかしくないか?金持ちがどれだけ儲けようが知ったことではないが、それは持たざるものが最低限の生活ができるようになってからだろう。しかしその金持ちが寄付をしてくれるのだろうか?

私が見たところ、かつてのアメリカの金持ちたち — — アンドリュー・カーネギーからビル・ゲイツあたりまで — — は、巨万の富を人類全体の福祉に投資するのが「金持ちの責務」だと考えていたフシがあった。カーネギーは見たこともない中国の貧困者を救うために、北京に病院を設立した。ゲイツはマイクロソフト時代にメリンダ元婦人以外の女性社員にちょっかいを出しつつも(あんなキショガリでもカネもってりゃモテるんだな)、人類全体の福祉に貢献する研究に投資するためのゲイツ財団を設立した。
だからこそ寄付に頼りきりなアメリカの福祉がなんとか機能しているように見えたのだ。
しかし今のアメリカの金持ちはどうだろうか?あのアマゾンのハゲとか、テスラのヤク中アスペは宇宙開発にばかりご熱心で、貧乏人が野垂れ死にしようが知ったことではないようだし、「寄付は金持ちの責務」とは微塵も思っていないようだ。これは現代のアメリカが「恥の時代」として後世の歴史家から名付けられるようになるのか、それとも今後これが常態化するのか?どうも後者のような気がする。だから「他人の善意」など当てにならなず、制度で分配しなければならないのだ。

そして日本は制度に頼りすぎるあまり、制度の網の中からこぼれ落ちてしまった人を救う「制度」は存在しない。だからこそ寄付や非営利組織が必要なのだけど、アメリカに比べてあまり活発ではないようだ。

アメリカで慈善事業に携わる人はもちろん尊敬しているが、キリスト教的道徳観での草の根運動よりも現代の人類は遥かに効率的に弱者を救えるような社会や制度を作ったのだから、そんな非効率なことをいつまでもやってるんじゃないよ、と感じる。マクドナルドだの、フランチャイズと業務のマニュアル化で事業を徹底的に「成功を仕組み化」したアメリカが、なぜ貧困撲滅に同じ「仕組み化」ができないのかまったく理解できない。
神だ救いだと証明できない(=嘘)の宗教を信奉する一方で、実験科学を重視した「証拠を見せろ」の気風がアメリカの産業を発展させたのではないか?だとすれば貧困を撲滅できないのは社会システムのバグであり、それは修正可能だ。

イエスは「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」と言ったのは、貧困は永久に撲滅不可能だと思ったからだろう。
ブッダが「貧困も病も死もあるがままに受け入れよ」というような意味のことを言ったのは、やはり同じように感じていたからだろう。
そのような枢軸時代から2000年前あたりまでの時代を生きた人々からは想像もつかない世界に私達は生きている。
なぜなら貧困は急速に消滅しつつあるからだ。これが証拠だ。

「何十億人もの人々を貧困から脱出させる」などということは、イエスもブッダも実現不可能だった。だから諦めろと言ったのだ。

「貧困からの大脱出」に驚くイエスとブッダ

貧しい人々を貧困から「大脱出」した原因が何かを分かればそれを推進すればよいのだし、貧困問題に関していつまでもイエスやブッダの言葉を当てにしていても仕方がないのではないか?

技術的に可能だがなぜ実現不可能なのか

1994年に、QuickCamというWebカメラがあった。目玉のような形が特徴的だった。画質は白黒のひどいものだったが、インターネットの普及とともに「定点観測カメラ」などで使われていたし、”CU-SeeMe”と呼ばれる初期のビデオ会議システムで、よくカメラとして使われていた。

つまり、技術的には30年前からインターネットを使ったテレワークもビデオ会議も可能だったのに、なぜ私も含めた多くの人たちは、新型コロナウィルスの流行からでしかテレワークができなかったのだろうか?30年前と今とでは何が違うのだろうか?何も違わない。インターネットの速度が速くなり、Webカメラの画質が綺麗になっただけだ。それは本質的な変化ではない。当時の人達は「仕事とは全員が顔を突き合わせてするものだ」と思い込んでいたから、テレワークが普及しなかったのだ(全員出社の方が効率が良いかもしれないが、それは別の話だ)。

貧困の撲滅についても同じではないのだろうか?「技術的には可能」なのに、それが実現しないのは単に実行していないだけだ。「貧困が存在するのは仕方がない」と諦めてしまっているだけのように感じる。

アメリカの良いのか悪いのかよくわからない「慈善事業」の番組を見て、日本人も「制度の網からこぼれた人を救う制度は存在しない」と認識して、もっと非営利組織を活発化すべきだと感じた。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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