帰りの電車の中
ITパスポート試験とは
何週間か前の話。帰りの電車の中で、大学生とおぼしき二人の男女がいて、男の方が何か「就職活動」についての話を偉そうに女に御高説垂れていた。何でも彼は先日ITパスポート試験に合格したそうで、それは彼の「就職活動」のためだったそうだ。
私はITパスポート試験を受けても合格してもいないので、その資格がどの程度のものなのかはよく分からない。そう思って先ほど過去問題を少し見たが、こんなものが分かったところで何になるのか。理解度というより過去問の記憶力を試しているとしか思えない。こんなもの、記憶していなくても「ググり能力」があれば10秒で解決するのだから、記憶してなくてもいいからコード書いてみろよ、Excel関数じゃねえよ、コードだよ、という印象を受けたが、繰り返すが私はITパスポート試験を受けても合格してもいないので、その栄光は彼の方にある、という事が言える。
女の方も、大手銀行や商社などの内定を受けるために、色々な就職活動をしているようだった。おそらく同級生であろう男は、「理系の優秀な奴は面接にスーツではなくヨレヨレのTシャツで来る。常識がない」と言っていたのが印象深かった。ということは、この男は「理系の優秀な奴」ではない可能性が高い。面接にスーツを着てくる可能性が高い。しかしそれは「常識」なのだろうか?私は「就職活動」というものをしたことがないし、彼らが受けている、大手銀行や商社が求める人材というものがどういうものであるのかも知らない。そこでは、もしかしたら、服装自由と言っておきながら、スーツを着てこない奴を落としているのかもしれない。そんな事は銀行や商社の採用担当者が勝手にすれば良いことなので、私はそれが良いとも悪いとも思わない。
引っかかったのは、男がその行動を「常識」と言ったことだ。私は天の邪鬼な性格なので、人が右と言えば左、白と言えば黒と答えるのだから、男の発言から想像される行動原理というものを、嫌だな、と思った。
自閉だか多動だかが必要な時代
今の時代、求められているのは「シャツのボタンも自分で掛けることができないが、2000年先のカレンダーまで完璧に覚えているような奴」のような、新しいものを生み出せる人材ではないのか?レオナルド・ダ=ヴィンチも、アインシュタインも、今の診察基準からすれば自閉症だか多動だかの病名が付いてしまう、とする研究もある。しかし、だからといってこのような人々を「常識のないやつ」だと言って切り捨ててしまっては、人類全体が前に進まない。だから人間社会には「常識のないやつ」が必要なのだ。
もちろん、何か新しい発明や発見というのは、不世出の天才が独力で成し遂げるものではなく、先人の知恵、周囲の環境あってこそだ。だとすれば、一人ずつ違う意見があって、全体としての答えが、一人では成し遂げられない成果になればチームとして成功だ。その時、「他人と同じ事をすれば正しいと思い込み、自分で善悪の判断をしないことが行動原理である大学生の男」がこのチームに必要だろうか?いや、私は大手銀行や商社が何を求めているかは知らない。もし私が社長なら、こんな奴は採らない、と思っただけだ。