年末恒例行事
- YouTubeでディスカバリーチャンネルの無料放送を見る。サバイバル系の番組を見て、自分がいかに文明の恩恵に浴した生活を送っているのか再確認するのが年末の恒例行事
- 「わき道にそれて純喫茶2」という純喫茶探訪ブログを読む。去年の年末年始は、なぜかこればかり読んでいた。私自身は純喫茶に思い入れがあるわけでも好きなわけでもないが、過去への郷愁を思い起こさせる
自分としては珍しく、休みに入ってすぐに確定申告やら、各種会計系の事務仕事を終えてしまい静かな大晦日を迎えることができた。
去年の年末は31日まで仕事で、正月というのは基本的に「食料品を買いに行けない数日」であり、貧しい食生活を送るだけだった。それで、大晦日の閉店間際のスーパーへ寄ったら半額だったので2箱買ったいちごを食パンに乗せて食べながら上記2番組を見ていただけだった。
2021年は、仕事ばかりしていた為に財政状況は改善された。客先では朝から晩まで怒鳴りつける管理職が居て胃が痛くなったり、別の現場では良い人たちばかりで天国のようだと思ったり、また現場が変わったら別のタイプのアレな管理職が居て胃が痛くなったりと、いわゆる「現場ガチャ」に振り回される自分の意思の弱さだった。
しかしアレな管理職で胃を痛くするのは自分の受け取り方であり、瞑想家のような心持ち、あるいは「誰が何と言おうが何とも思わない」という別の病質のような心境を獲得したい。
現在、そこまでの心境にはたどり着けなかったが、昔の私なら辞めたいと誰かに泣きついていたところだ。それをしなかっただけでも進歩なのではないか。もっとも今は泣きつく相手もいない自営業であるし、アレな方から「お前はクビだ」と言われたら「ハイそうですか!おつかれ様でしたー、サイコパス!」と言って次の仕事を探すだけだ。
今年は、結局またソフトウェア・エンジニアに戻ってしまった。それが別に悪いことではないのだけど、以前のような「子供じみた情熱」がなくなってしまったために、別の目標を見つけなければならない。お金のため?それはもちろんだけど、目標や楽しみというのとは違う。
「子供じみた情熱」というのは、要するにこうだ:情報系の大学1年生が課題で実装する程度のデータ構造、リンクリストと呼ぶのだけど、それを「価値がある」と騒ぎ立てたり、素人くさいピクセルアート、これを昔のカプコンで描いたらあきまんが黙って全消しにした挙げ句1ヶ月は家へ帰れなくなるほどの駄作を「価値がある」と言って、技術音痴の金持ちどもから金を巻き上げる。そんな感じだ。
↑手動タイルも、手動アンチエイリアスもかけていない、クソなピクセルアートだ。0点。
そういった次第で、昔の自分より少しだけ脳ミソがマシになると、馬鹿な真似はできなくなるものだ。2022年もお元気で。
宝くじですか?当たったよ!300円!(10枚買ったけど)