廃墟はカルトのインチキセミナーよりマシである
何ヶ月も記事を書くことを諦めてしまっていた。では私は何をしていたのかというと、仕事として別のブログサイトに記事を書いていただけだった。その詳細は言わないけど、仕事として依頼されたものではない、自分が書きたいものを書きたい、という欲求がある。
しばらくmediumに記事を書いていない間に、mediumの日本語コミュニティというのはとても小さくなってしまったようだ。なにせ、mediumで日本語タグで検索すると、半年以上記事を書いていない私が「おすすめライター」に出るくらいだ。これは過疎だ。廃墟だ。もう少し日本語コミュニティを盛り上げたいという気持ちが私にはあるけど、他の人が記事を書こうが書くまいが、別にそれを応援もしなければ邪魔もしない、というスタンスで行きたいと思う。なぜなら私はそんなに大層な人間ではないからだ。
mediumの何が良いって、日本語コミュニティの廃墟っぷりは「悪い」の方に入るのだろうけど、おかしな「意識高い系」の奴らがいないことだ。数年前までは、暗号通貨がどうとか、情報商材がどうとか言っていた連中が数名いたものの、儲からないとわかってどこぞへ去ったようだ。当たり前だ。廃墟で「儲かるよ!」と言って何が面白いんだ。ここは廃墟を楽しむところなのだ。
そして私が仕事で記事を書いている某日本語ブログサイトは、記事そのものを有料化できるというので怪しげな「カルトの教祖様とその信者たち」が集まってきており、そのような連中の記事を読むとめまいがする。彼らの特徴を一言で表すなら「意識高い系」だ。
意識高い系(いしきたかいけい)とは、自己顕示欲と承認欲求が強く、自分を過剰に演出するが中身が伴っていない人(言い換えれば、虚栄心が強い)[1][2][3]、前向き過ぎて空回りしている若者[4]、インターネット(SNS)において自分の経歴・人脈を演出し、自己アピールを絶やさない人[5]などを意味する俗称である。本当の意味で意識が高い人の表面的な真似に過ぎないため、「系」と付けられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E9%AB%98%E3%81%84%E7%B3%BB
こんな連中の書いた薄っぺらな記事を読んで、何が楽しいのか?
人生とは、うまく行かずにもがいたり苦しんだりするものなのではないか?それを、やれ自分を高めるだの、人生が変わるだのと薄っぺらなたわごとばかり書いている。
こんなものを読んで、何が楽しいのか?そのくせ彼らは自分が何をしたとは具体的には一切書かない。プログラミング教室に通って、最後に発表しました!ほう、それは良かったですね。では、あなたはそれをどのように作ったのか、記事中には一切触れないのはどういうことなのでしょうか?
「私はこう感じた」ばかりで、自分が何を作ったのか、なぜ書かないのでしょうか?私が知りたいのはそこだけだ。ここまで成果物を「隠している」と、本当は作ってないんじゃないの?と疑ってしまう。
そのような次第で、私はインターネットへの興味が急速に薄れつつある。