後半アメリカ政治の話に変わっていた:ヒトは〈家畜化〉して進化した/ブライアン・ヘア著

Hiroki Kaneko
Jun 18, 2022

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6月、ついに日本語訳された本書をさっそく読んでみる。この本は人類学教授であるアメリカ人学者によって書かれた、人の道徳の進化について「自己家畜化仮説」を元に説明しようとするものだ。家畜という言葉を使うと、どうしても受け入れがたいと感じる私のような読者がいるかもしれないけど、ここでいう「家畜」とは、「他者に対して友好的なオスと友好的なメスの子供は友好的である」という進化というか適応が平和をもたらすと同時に「自グループ外の他者に対して残酷に振る舞える」適用も同時にもたらしてしまったのではないかと語る。それが本書のサブタイトルである「私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか」を説明する。原書の題名は Survival of the Friendliest なので「最も友好的なものが生き残る」という意味だろうか?

日本語版の出版社は白揚社。クリーニングの白洋舎ではない。失礼ながら私は聞いたことがなかったので、割と小規模な出版社だと思う。それにしても本書のカバーデザイン…まるで「1990年代前半にはじめてPhotoshopを触ってみて、チュートリアルどおりにアルファチャンネル合成を試してみました」といった風情なのは、とても2022年の本とは思えない。はっきり言って素人の仕事だ。ひどい。帯の「自己家畜化仮説が明かす、人間の進化と繁栄、そしてその代償とは?」というのも素人くさいキャッチコピーと感じる。がんばってください。

第1章 他者の考えについて考える

人が指差しをして食べ物が入っている場所を指し示すというジェスチャー、人間なら生後9ヶ月から理解するそうだが、人間に最も近い親戚であるチンパンジーはこれを理解しない。チンパンジーの認知について研究していた著者は同僚に「これ、うちの犬は理解するのにね」と言ったら同僚「ンなワケねえだろ犬なんて便器に溜まった水をガブガブ飲むぐらいバカなんだぞ」「いや、アイツわかってるんだって!ウチ来て見てみろよ」となり、彼の犬が指差しジェスチャーを正しく認識する事実に驚く同僚。これが「自己家畜化仮説」の発端になる。つまり相手の意図を認識する能力は頭の良さではなく家畜になった事が原因ではないか?と著者は感じる。

第2章 友好的であることの力

相手の意図を理解する能力の発端が家畜化であるなら、犬の親戚であって家畜化されていない動物はどうだろうか?キツネを調べることになった著者はシベリアで「実験で家畜化されたキツネ」を調べる。人間を恐れないオスとメスの子供を選り分けて「作出」したこれらの家畜キツネは、友好的な態度の他に外見も犬のようになっていた。すなわち巻き尾、頭や歯が小さくなる、色素が抜けてブチ柄になる、という家畜化に伴う変化が生じているというのだ。
そこで話が犬に戻るとオオカミはどのようにして犬になったのか?の仮説を著者は論じるのだけど、石器時代の人類が凶暴なオオカミを家畜化させるために何世代にも渡って「実験」するはずがない。オオカミは「自ら進んで家畜になった」という。つまり、人間のゴミ捨て場の近くに寄ってきて残飯を食べていた「人間を恐れないオオカミ」同士の子孫を何世代か重ねて、犬の原型のようになった状態になってはじめて人間は犬を飼い始めたのだという。これは納得。そして「自己家畜化」という誤解されやすい言葉の意味がここでようやく理解できた。やはり家畜という名前が悪いような。それは「他者に対して友好的な者同士の子孫」という意味だった。

第3章 人間のいとこ

ここでボノボとチンパンジーの違いについて説明がある。この2種は約100万年前に共通の祖先から枝分かれして、ボノボは食べ物が豊かな森で争いを好まない種類になった。これは仮説に従うと「自己家畜化」したと考えるべきだろう。一方チンパンジーはアルファオスが別のオスの子供を皆殺しにしたりと、暴力と恐怖が支配する、あまり暮らしたくない社会を何万世代も続けてきた。地獄だ。
そしてもし、人間も自己家畜化したのだとするなら、その証拠が行動以外のどこかにないか?と考える。

第4章 家畜化された心

人類が作り出した道具を見てみると、石器などは何十万年も変わらずだったのが、5-7万年ほど前あたりから急に進化する。この時点で何が起きたのか?本書はここで自己家畜化が起きたのだという。昔々、前妻の連れ子を皆殺しにする暴力的な男性を夫にしたくない女性が数世代に渡って存在したのだろうか。理由はどうあれ、ここで人類の頭蓋骨に変化が起きていることに気づく。簡単に言うと男性が女性化しているというか。もしそれが自己家畜化の証拠だとしたら、同時に起こる「他者とのコミュニケーションの活発化」によって道具が進化した理由も説明できるという。
ちなみに現代でも、少し前に言われた「草食系男子」だとか、それが中国語に翻訳され「佛(仏)系男子」だとか言われているのは「暴力的な男性を好まない女性」が増えた結果かもしれず、それで世界がますます平和になるなら結構なことだ。
人類が作り出した道具が急速に発展した原因について、本書は自己家畜化仮説から、まず自己家畜化があり、お互いが友好的になり、コミュニケーションが活発になった結果として道具の洗練があったと説明する。孤立状態になったイヌイットや、タスマニア島のアボリジニは製作する道具の種類が減っていったことを引き合いに出すが、なぜだか私には結論ありきのこじつけのような気がする。

第5章 いつまでも子ども

アホロートルのように、幼生の姿のまま大人になる種類がある。「遊び」は子どもに特徴的な行動でもあろうが、家畜化された犬は一生遊ぶ。他者への友好的な態度も、この「子供っぽさ」が生涯続くことの副産物ではないかと筆者は考える。そのように考えると、いい年してアニメがどうとか言っている連中は平和の世代なのでは?と思う。
そして人間だけが、物理的な距離を超えて「集団内の見知らぬ人」という「仲間」を作り出し、親切にできるのだと。しかしこの考えが他者への暴力に繋がるのだけどそれは後で語られる。

「最も親切な種族が勝つ」という裏付けとして、スティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」や、ユヴァル・ノア・ハラリの著作の引用が章の最後に少しだけ出てくるのも、こじつけっぽい。

第6章 人間扱いされない人

「集団内の見知らぬ人」は、裏を返せば「自集団ではない」と本人が感じる集団や個人もあるということだ。人間の暴力性はここから来ているのではないか。つまり、自分が属している(と証拠もなく勝手に想像しているだけの実態のない)地縁、思想、宗教、国家など。
親切心と残酷さは表裏一体であると例を上げるだけでこの章は終わる。

第7章 不気味の谷

残酷性の共通点は「自集団ではない集団や個人を人間扱いしないこと」であると著者は説く。1930年代のキング・コング映画(巨大なゴリラが白人女性を誘拐する)は当時のアメリカ白人社会が持つ黒人男性への偏見を投影してものでもあろう。

第8章 最高の自由

ここでアメリカ人である著者は2016年アメリカ大統領選挙のことや、その前後のオルタナ右翼の台頭を憂慮しつつ、解決策を検討する。この記事では省略したが、本書の序章には、白人の生徒と黒人の生徒を同じ教室で学ばせることになった1971年当時の話が載っている。当時はお互いが「競争相手」として仲が悪かったのが、「協力して学習する課題」を与えたところ、相手は競争相手ではなく一緒に課題をこなす仲間という意識が生徒たちに芽生えたという成功例を挙げ、問題解決の糸口にならないかと提案する。

第9章 友だちの輪

犬と人間との繋がりをもう一度、自分の飼い犬に重ねつつ「ディンゴは私たちの母だ」というオーストラリア・アボリジニの神話「夢の時代(本書ではカタカナで<ドリームタイム>と表記)」を引き合いに出す。
いかにも愛犬家の著者らしい終わり方だと思った。

この本は、2016年アメリカ大統領選挙の結果を受けて大きく書き直したのだそうだ。そのせいか、本書前半では自己家畜化仮説の本だと思っていたのが、後半ではトランプ政権に伴うアメリカ政治の話に変わってしまっていた。
自己家畜化仮説についても、少し主張が弱いと感じるところもあるけど、動物好きの著者らしい、他者への愛に溢れた本だと感じた。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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