成長しても他に楽しみを見つけられなかった連中のことをオタクと呼ぶのではないか:手塚治虫エッセイ集1を読む

Hiroki Kaneko
Oct 25, 2020

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Photo by Tim Mossholder on Unsplash

最高級のオタク

さすが漫画家、文章はあまり面白くない。しかし2020年にこの本を読むなら歴史的資料として楽しく読めた。たとえば戦中戦後の大阪と東京の出版業界の違い、それは大阪の泡沫出版社が粗製乱造していた「赤本漫画」と呼ばれる現行買い切りの単行本があったりとか、新聞で言えば毎日、朝日は大阪が本社であるので云々、大阪は西日本のハブであるので問屋街には広島や四国から買い付けの商人が来る社会構造であったりとか、結局手塚は出版社が多数集まる東京へ移住せざるを得なかった事などを読むと、あれから70年は経っているけど東京の一極集中は解消されないどころかますます酷くなっているように感じる(だからといって大阪の大衆迎合主義政治家が言う大阪都構想がそれを解消するとも思えない。だいたい大阪は昔から商業の都なのに、それを発展するのではなく政治の首都にしようとするのはドイツに倣った地方分権ですらなく、おらが村が一番だという田舎者根性でしかない)。

その後手塚は、漫画で貯めた金を使い、自身の原体験であるディズニー映画のようなアニメを作るためにアニメ制作スタジオを立ち上げ、最終的には億単位の借金を抱えてスタジオは倒産してしまう。子供の頃からの夢だったからといって、そんなこと、する?できる?少なくとも私はできない。そんなことができるのは、バカか天才か、どちらかだ。

“子供の頃は誰でも電車だのアニメだのが好きでも、成長すると他に色々な楽しみを覚えてそれらを忘れてしまう。それを成長しても他に楽しみを見つけられなかった連中のことをオタクと呼ぶのではないか”

これは私の前職の同僚が言った名言だ。楽しみを消費するだけなのがオタクだったとして、それを一生の職業にしてしまい、更に途中でその職業にも飽きずに生涯やり遂げてしまうのは、これは天才だろうし、学者もその一種だと思う。

翻って自分はどうだろうか?私は天才でもなければバカでもない、どこにでもいるつまらない凡人だ。好きなものを一生の仕事にしようとも思わないし、子供の頃好きだったものなど、大人になってしまえば幼稚に思えてしまうからだ。そういう意味で私はオタクですらなかった。

私の人生が煮えきらないのは、そのような情熱が無いせいなのか、軽い鬱だからなのか、その両方なのか、よくわからない。

2017年だったか、日本へ来たドイツ人青年と一緒に箱根のそば屋で昼食を食べていた時、店内にあった手塚治虫の漫画を手にとって「えらく古い漫画だ」と彼が言ったので「バカかテメー、戦後日本漫画界の最重要人物を知らずに<日本のポップカルチャーが好き>だのと言っていたのか、だからテメーは大学を出てもFateが好きだのとナントカオンラインでネットゲームの中で実の妹とキャッキャウフフだとか脳ミソ中2のような事を言うんだ」と言おうと思ったが、私もドイツのポップカルチャーの重鎮なぞ知らないので、言うのを止めた。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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