救いようのない技術音痴の“専門家”と幼稚でウブなエンジニア
‘21 Lessons for the 21st century’を買おうかどうか。ちょっと読んでみたい気はするけど、目次を眺めた限りでは、主張する内容は「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」で書かれたものの焼き直しのような気がする。
日本の出版社が本を売るために「ハラリは新たな知の巨人だ」とか何とか広告を出していますけど、私には「技術音痴の歴史のセンセイが<AIが支配する>とか見当違いの事を書いているな」としか思えない。少なくとも前作「ホモ・デウス」を読んだ限りでは、そうだった。
私、いちおう、技術音痴ではないので、こういう人たちが言う「AIが(略)」のような言説が的外れであり、到底起こりようもない事は分かっているので、それにわざわざ金を出して読むのも癪に障るなあ、とも思う。ハラリの彗眼は「人類躍進の原動力は『虚構を共有すること』であった」と見抜いた点であり、もっと具体的に言えばそれは言語の時制と再帰構造、たとえば「明日は雨が降ると天気予報で言っていたのを私の母が聞いた、のを私が聞いた」を理解することで今、ここ、に無いものの情報を共有し高度な協業が可能になった、ということだろう。それが今、ここ、に無いものである先祖の霊だとか、神だとか、そういった現実には存在しない抽象的な概念conceptの共有とチンパンジー由来の部族主義「うちらチームは5人、あっちは3人、理由はないけどとりあえず殺しておこうか」の暴力性が融合してそれが文明も築いたし戦争も起こした。それこそが人類の歴史の全てである、と種明かしをしてくれた。
そこまで分かってしまえばもうこの著者から吸収するべきものは何もなく、ハラリ先生ありがとうと一礼してテルアビブ大学だかから退散するだけであり、その後は著者の極個人的な信念である菜食主義と同性愛者の権利保護と仏教思想が繰り返されるだけで、そういうのはテメエのブログにでも書いてろよ、と思う。そしてこららの本がきっかけで色々な本を読むようになった私は、ホモ・デウスに書かれていた「虚構と現実を区別する方法は、それが苦しむことがあるか?と自問することだ」という一節も、ああ、ベンサムの功利主義が言う、道徳の及ぶ範囲として定義した「それが苦しむことがあるか?」を人間以外の動物にも範囲を広げて適用したのが著者の菜食主義になっているのだな、というところまで理解できた(恥ずかしながら功利主義を知らなかったので「それが苦しむことがあるか?」はハラリのオリジナルだと思っていた)。
技術音痴の人間が主張する「AIが(略)で大量失業時代が/ロボカリプスが起きる」と言われても「起きねえよ。駐車場の管理人が自動券売機に変わったのもAIとか言うのではあるまいな」と思うだけで。AIとは特定のアルゴリズムを研究する学問領域であり、アルゴリズムとは単なるコンピューターへの命令方法、算法でしかなく、そのコンピューターとは0と1、つまり電気の通っていない状態と通っている状態しか理解していない、というところまで分かっている私にとっては笑止なのである。世の中には、そういう技術音痴で現状認識がまるで的外れの癖に自分のことを弁護士だの政治家だの官僚だのと言って威張っている奴らが大勢おり、そいつらが政策立案をしているのだからプゲラファックと言わざるを得ない*1。
一方、技術音痴ではないエンジニアどもはどうか?こいつらがあえて「AIが(略)」と発する場合、それは無知な金持ちから金を巻き上げてやろうと画策しているか、技術に関して何も知らない三流エンジニアがQiitaあたりでイキるためにプロフィールに「AIに興味があります!」とよく知らないくせに書いて食い扶持を探しているか、どちらかだろう。しかしこいつらエンジニアも「技術が世界を変える」というような、とてつもなくウブなアイディア、ジョン・レノンの「イマジン」並のアイディアを本気で信じる程の世間知らずのお坊ちゃん、それらは技術音痴の弁護士や官僚や政治家と比べてどこが優れているというのだろうか?それは単なる、SNSのアバター画像にアニメの女の子の絵を貼り付けている(黒縁メガネのキショガリの癖に。変身願望か?)、趣味はアニメかビデオゲームだけという視野が狭くて特定範囲の知識だけが深いオタクのボクチャン達であり、私はそういう奴らの言動に対しても興味をなくしてしまった。というか40も過ぎて「技術が世界を変える」などと、人間の本性を無視したセリフを吐いているのなら、ただのバカだろう。
そういう次第で、元アセンブリプログラマであるピンカーの最新刊が早く手元に来ないかと、指折り数えて待ってます。
ある若手中国人研究者の懸念
中国のある大学院でオーバードクターをしているというインテリ、若手研究者と話をしたことがある。彼はとても日本語が上手だったので、深い話が出来た。彼曰く「中国政府はカメラなどを使って人民を監視してるんです。こんなの中国人なら誰でも知っていますよ」と言っていた。まあ、そういう面もあるのだろうが、それが即ディストピアになるのだろうか?というか、私の疑問点は技術的にそれが可能だろうか?だった。
たまたま路上を通りがかった13億人のうちの誰かの映像を顔認識して、それを犯罪者や要注意人物とリアルタイムで照合するような仕組みは、向こう数年では作れないだろう。10年先でもどうかな?と思わせる。だから、まあ、大丈夫なんじゃないか?と感じたのだけど、それは言わなかった。
巨大なシステムを作り上げるのは、多分複雑すぎて実現不可能だろう。コーディングというのは、それまで人類が出会ったことのないタイプの複雑さであり、建物やダムを建設する(計画→実行)のとは全く違う難しさがある。何せ、作っている連中にも完成図は見えていないのだ。それを他人と共有して分担するなど、一体どうすればできるだろうか。これにまだ答えは無く、様々なプロジェクト管理技法が流行っては廃れていく、と繰り返しているのが現状だ。アジャイルだのスクラムだの熊とダンスを踊って今は何が流行っているのか?日本の某メーカーは未だにウォーターフォールですが。
それを鑑みると私の答えは「そのような複雑なシステムは今の所作れないし、これからも作れる見込みは、重大なブレークスルーが起きない限りは難しい。ちなみにコンピューターのソフトウェア技術は60年間何も変わっておらず(1960年代のLisp以上の高級言語って今ありましたっけ?)、ブレークスルーは起きていない。今現在の高級言語程度では超巨大システムを開発・管理するには複雑すぎ、人間の手に負えない」だ。
若手研究者の彼はインテリでもあろうが、専門が計算機科学ではないので技術音痴であり、無知が故にテクノロジーに恐怖を抱いたのだろう。これはハラリによる「未来への見立て」と同じだ。
彼の目下の悩みは「Macを使う私とWindowsを使う共同研究者とでどのようにドキュメントを共有するか」であったので、「Apple Pages for iCloudでWeb上での閲覧・編集ができるようですよ」と答えた。「でもクラウド上にファイルを置くのは危険…」「自宅のNASでプライベートクラウドを作ろう」「やっぱりそうなっちゃいますか」「ええ」
ああ、バブルの頃にアメリカが日本を警戒して「日本は第5世代コンピューターを作っているんだ」などとアメリカの技術音痴な政治家どもが騒いでいたけど、実は何も出来ていなかった事が思い出される。あの頃、日本の経済は上向きで実力以上に見られていたのだ。今の中国と同じだ。歴史から学べない奴はただのバカだ。
技術音痴の専門家は無知が故に的外れな見立てを繰り返すし、オタクのボクチャン共は幼稚なアニメ以外に興味は無く夢みたいな事を言ってる。くだらねえな両方とも。大人になれ。
*1 もちろんこの程度の反論を言ったところでハラリの主張は覆らないだろう。彼はホモ・デウスの中で「コンピューターが自身の計算内容・結果を理解していようとしていなかろうと、それの生み出した効用が社会にインパクトを与える以上、社会は変わる」と主張しているのだ。しかし資本主義をインターネット等の分散コンピューティングに例えて、それはメインフレーム(中央集権の共産主義)よりも効率的に動くとか何とか言っているのは、説得的ではないし、単なる聞きかじりのように感じる。コンピューティングのトレンドはメインフレームから始まって、クライアント/サーバになり、インターネットになり、またそれがクラウドサービスにより、AmazonやGoogleといった限られたベンダーのデータセンターに「中央集権化」しているように見えますけど?しかもこれは、どちらが優れているという話ではない。だからハラリの例え話は適切ではない。