昔見たテレビ番組に昔行った店が出ていた(BIG・ONEと私の大きな足の思い出)
BIG・ONEと私の大きな足の思い出
1990年代の前半、渋谷駅から歩いて道玄坂を登りきったところの右手にある雑居ビルの2階にBIG・ONEという大きいサイズの専門店があり、足が30cmと大きくて横幅が4Eである私は実家近辺では履ける靴が手に入らず、ここまで行った記憶がある。結局そこで何を買ったのか覚えていないのだけど、ありがたいことに両親に連れて行ってもらって、帰りは新宿からロマンスカーで帰ったのだから、どこの金持ちのお坊ちゃんだという話だ。育ててくれた親には感謝している。その後、さすがに渋谷は遠いというので調べていたらどうもBIG・ONEは横浜元町にもあるというので、後で元町店へ行った。そこではナイキ・エアジョーダン6(後でプレミア価格になっているのを知って驚いた)の黒、30cmのやつを親に買っていただいたと思う。どこの金持ちのお坊ちゃんだ。親は単なる安月給の工員であり、映画「男はつらいよ」なら、さしずめ渥美清に「労働者諸君!」と言われる立場であり金持ちなどではないことからすると、私は本当はこんな高い靴を履ける身分ではないのだけど、安い靴が手に入らないことから息子が窮屈な靴を履いては痛かろうというので、分不相応な靴を買ってやろうと思ったのだろう。
私の大きな足にはいろいろなエピソードがある。
当時、完成したばかりの新横浜プリンスペペに入っていた靴屋には、当時日本に代理店がなかったところから、店舗が独自に輸入したであろうビルケンシュトックの靴があり(確か近所のホームドクターから店の場所を知った)、それは横幅が広く私の足にとてもフィットしたのだけど何せ目玉が飛び出る価格、それは39,800円ほどしたので母親の手前「足に合わない」と嘘をつき、買っていただくのを遠慮した。
現在の私は、スニーカーはナイキの3,980円程度の29cm/4Eのランニングシューズ、サンダルはビルケンシュトックを履いており、大変満足している。自分が稼いだ金で買った靴だ。
あの店には行ったことがあるし、このオンエアも当時見た
ふとYouTubeで見たタモリ倶楽部、それは1993年の放送であったのだけど、タモリが伊集院光(BIG・ONEの常連)と一緒にかの店へ行くという内容だった。確かこの番組がオンエアされた当時も私は見ており、「あ、BIG・ONEだ!」と思った記憶がある。あれから27年も経ってしまった。
ワーカークラスの息子である私は恵まれたボンボンだったのか?
私は90年代初頭に親に連れられてしょっちゅう東京へ行っていた思い出がある。新宿の伊勢丹のある通りにあったCDショップでブルガリアやジョージアの民謡に触れ、伊勢丹美術館ではムンク展を見たし(後年オスロへ行ってまた見た)、渋谷はBIG ONEの他にも東急文化村の美術館でエゴン・シーレやらクリムトやらウィーン世紀末美術などを見て、漫画が欲しければ新宿の甲州街道沿いにあった、あの狭いまんがの森へ行けばマイナーな出版社の絶版本もあったし、古本が欲しければ中野ブロードウェイのまんだらけ(まだ店員がコスプレをしていない頃)にも行った。パソコンなら秋葉原へ行けばジャンク品でも何でも揃ったし、当時まだ存在していたマニアックな商店、それは新宿駅南口から現在のタカシマヤタイムズスクエアの辺りがまだ住宅街だった辺りへ行けばMac用の輸入CD-ROM屋などへも行けた。
なんか、これ「東京住みのそこそこ金持ちの家に生まれたボンボンがその恵まれた環境を生かしてお上品に私立の学校とか行くコース」じゃないか?私はそんなことはないのだけど。だいたい私の実家は神奈川だし、家は金持ちではないし、だいたい私は思春期の頃からうつ病になり、学校など行っていない。私の学校はコンピューターの中であり教科書は月刊MACPOWER誌のC++入門記事だった。ちなみにインターネットなどは存在しない紀元前の話だ。あの頃にインターネットが自由に使えたなら、私はエロサイト巡りに血道を上げてしまい、プログラミングなど七面倒臭くてやってられなかっただろう。だから1977年に生まれたことは僥倖だった。私があと10年遅く生まれていたら?プログラマーとしてのキャリアを歩むことはなかっただろう。
中年になると人生の道程を振り返ることばかりだが“昔は良かった”のか?
良いわけない。光ファイバーケーブルからエロ動画が光の速さで落ちてくるわけでもなければ、30cmで4Eの靴が3,980円で買えるわけでもなかった。電車の運賃は上がったが、通販の発達によりショッピングがそもそも「お出かけ」ではなくなった。コンピューターはそれ自体何ができるというわけでもない、自分が命令を書かなければ「ただの箱」であった。何より引きこもりは社会的に認知されておらず、治すべき病気であり悪魔憑きだった。女性の社会進出に関してはイスラム圏の次くらいに低いのが日本と韓国だけど、当時はもっと低かった。YouTubeで昔のテレビ番組を見ると、コメント欄に「昔はよかった」的な勘違いコメントが散見されるが、良いわけあるか。
ただ、もう戻れないあの日が懐かしく、かけがえのないものに感じてしまうということはあり、それがポルトガル語でサウダージだとでも呼ぶ気持ちなのだろうというのはわかる。
ポルトガル語が公用語となっているポルトガル、その旧植民地ブラジル、アフリカのアンゴラなどの国々で、特に歌詞などに好んで使われている。単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B8
親には感謝の言葉しかない。私の「文化資本」は、学歴以外は「東京住みの金持ちのボンボン」と同じだからだ。