最近Kindleで読んだ本(漫画編)
一人交換日記(2)・永田カビ (著)
著者の体調不良で絵が割と簡単になってしまっているので絵的にも内容的にもあまりお薦めできず、著者の最新刊である「現実逃避してたらボロボロになった話」の方を読んでほしいのだけど、この本でしか読めない短編マンガ「チカちゃんの憂鬱」は、著者が私事ではない創作(フィクション)漫画を描くとこうなる、というのが分かって新鮮だった。おかしな格好をした2人が謎の組織「世間」から逃げるという内容。短編なので逃げて終わりなのが残念。
私が漫画家なら「世間」なる謎の組織は存在せず、「世間」とは組織どころか社会との折り合いがつかない2人の妄想であり、主人公たち以外の人達には2人は単なるキチガイとして映っていた、という落ちにしたい。「逆・ゼイリブ」というか「実は多数派の方が正常で少数派は異常でした」という。
結局、作者の悩みもそれが原因なのでは?もしこの漫画に共感する人が沢山いるのだとしたら、なんか、若いなって思います。考えが足りないというか。
外国人が書くありきたりな日本人論に必ず出てくる「世間」とか「建前・本音」という概念って、別に日本独特のものではなくて、ヒューマン・ユニバーサルなものだって思いませんか?なぜ人間が他人の目を気にするのかと言うと、人類の歴史の99%以上は狭いコミュニティの中で一生を過ごしていたからであり、コミュニティから拒絶されたら生きてゆけなかったからだ。しかし今はそうではない。家族と離縁しても、コミュニティから村八分を宣言されても生きていける。国が社会保障やら、老後のために積立を推奨したりと生活の面倒を見てくれるからだ。生まれた国が嫌なら別の国に移住したっていい。そうなると「世間」というのは「気に入らない個人を自殺に追い込む無慈悲な組織」ですらなく、当人の頭の中にしか存在しない虚構の概念であったと気づくはずであり、あるコミュニティの「世間」なるフィクション(虚構)が気に入らなければ、別のコミュニティの別のフィクションを信じてもよい。著者はそれに気づかないのだから、しばらく精神科通いをするしかないが、しかし精神科医は「何言ってるんですか、世間なんて存在しませんよ」とは言ってくれない。ある虚構を信じるに足る理由は、別の人がその虚構を信じているからだ。私がシンガポールへ行った時、現地の店は「日本円」という虚構のストーリーを持つ紙切れを信じていなかったようなので、両替屋へ行った。ビジネスディストリクトの入り口にあるその両替屋で別のストーリーを持つ紙切れと交換した後、「上半身はライオンで下半身が魚」の形をした生物が海にいる、というフェイクニュースを元にした噴水が立つ公園へ行った。
妻と僕の小規模な育児(1)福満しげゆき (著)
育児のエピソードについては「頑張って下さい」という感想以外ないのだけど、あとがきが‥こう‥なんというか著者って‥僕と同じくらいの年代じゃないですか‥。それがネット上のブロガーもユーチューバーも、団塊ジュニアぐらいの奴ってすぐ日本は終わりだ的なことを言いたがるじゃないですか‥。高度経済成長期が日本の絶頂だとかなんとか‥ンなワケねえだろボケナス頭共が的なことを僕は思うわけですよ‥。50年前の生活がどんなものだったのか、親に聞けばすぐに分かりそうなものなのですけどね‥。福満しげゆき風の文体を真似ることに失敗したのでもうやめる。三点リーダーを二点にして似せようとしたのに。
50年前の一般的な家は隙間風が吹くボロボロの家で、トイレは水洗式なら御の字でシャワーで尻を自動的に洗ってくれるわけでもなく、マイカーなどというものは社長しか持っておらず、食べるものはまずくて単調で、労働条件だってひどいものだったのに。「景気が良かった」?景気が悪い業界で働いている人のことは全部無視ですか。「家を買えた」?買えなかった人はいなかったとでも言いたげだ。昔は法律がよく整備されていなかったから低賃金で長時間労働しなければならず、家事だってオートメーション化されていなかったので妻は家事奴隷になり、SNSなんて存在しなかったので引っ越したらそこが友人・親類との永遠の別れになり、業務スーパーもないので輸入食品が安く買えるなどということもなく単調な食事ばかりで、Amazon Prime Video もないから映画などの文化に触れる機会もない。それが良かったの?マジで言ってるの?どの口がって思います。
私の母は東北の寒村で生まれて娯楽といえば駅前にあった掘っ立て小屋のような映画館だけだったそうだ。座るとお尻が痛くなる木のベンチで映画を見るしかなく、それでも映画を見るお金がある人は幸せでありお金のない人は節穴から映画を覗き見するしかなかったと言っていた。それが今や、母は専用の薄型テレビと一人用ソファに腰掛けて、Amazon Prime Videoで見放題の映画を見ている。この2つの時代を比べて、どちらが良いのか母に尋ねるまでもないだろう。
「失われた20年」?経済成長しなくても技術革新による生活物資の価格が下がり、デフレ分以上により多くのモノ・コトが買えるようになったじゃないですか。自分の親に昔の卵の値段を聞いてみろ。
50年前にスマートフォンと同じ便益を受けられるものを買うのにいくらかかりますか?いくら金を積んでも買えないんだよ。そんなものは存在しなかったからだ。150年前、世界一の金持ちだって家にエアコンとシャワートイレと映画が見放題の薄型テレビなんて持っていなかった。経済成長率だけ見て生活水準を語ることの愚かさとは、そういうことでしょう。皆さん昔の悪いことは全部忘れて、健忘症なのですかね?そんなに好きなら“日本の黄金時代”である高度経済成長期の映画でも見たらどうでしょう。Prime Videoでいくらでも見られますよ。こ汚い街角で、なにかあるとすぐ殴りつける乱暴者ばかり出てきて、女は男の所有物、みたいなくだらない映画ばかりで、見ているとこの21世紀に生きていることに感謝の念が湧くだろう。それでも昔のほうが良かったの?
福満しげゆきの、この「卑屈な下から目線」は彼の作風であり魅力でもあるのだけど、事実とは異なることに対して卑屈になったところで、それは単なる妄想なのだから面白くないだろう。