未来が予測できない以上、決断に良いも悪いもない/私たちの40年!!あるぜんちな丸同船者寄稿集を読む

Hiroki Kaneko
Feb 6, 2022

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Photo by Fabien Moliné on Unsplash

Amazon Prime Videoで古い日本映画を見た。何と言ったか題名は忘れてしまったけど、1960年代にブラジルへ移民する女性と浜田光夫扮する主役との恋物語だった。もう半世紀以上前の映画なのでネタバレするが、色々あって女性は家族とともに移民船・あるぜんちな丸へ乗った。仕事でその事を知らされなかった浜田光夫は急いで横浜港へ行ったが、船は正に離岸した後だった。浜田光夫は小さくなっていく船に向かって「バカヤロー!」と叫んだ。終わり。何だこの映画。こんな脚本で観客が納得すると思ってるのか。

ブラジル移民というので思い出したのだけど、一時期私は以下のウェブサイトを読むことにハマっていた:

映画に出てきた、まさにその「あるぜんちな丸」で実際にブラジルへ移民した日本人たちの寄稿集だ。2000年代前半のウェブサイトである為、背景画像が入っていたりと読みにくいことこの上ないのでSafariのリーダーなどで各自、レイアウトを整形して読んでください。結局、読みたいのは文章と幾つかの写真だけなので。

これが、あの、「バカヤロー!」で終わった映画の、本当の「続き」だ。40日掛かるという移民船の中で亡くなった人、アマゾンを開墾していてマラリアに罹って亡くなった人、港で下船して、それきり消息不明になった人…。これは想像なのだけど、最初のうちは日本人同士で割と近い所に住んでいたのではないだろうか?しかし何年か経ち、少し遠い場所に農地を購入したとか、農業は止めて会社勤めをするので引っ越すとか…インターネットもない当時のことだから、連絡用に住所を交換したとしても、そこから更に引っ越したら?その時に新住所を先方に伝えるのを忘れていたら?ほら、もう消息不明になってしまう。これは、21世紀に生まれた人には想像できないのではないか。ICTの未発達の当時、人間同士はこのように簡単に離れてしまうのだ。そう考えれば、今は何と幸せなことか、と感じる。つまり「バカヤロー!」と言った浜田光夫は、その女性が地球の裏側・ブラジルへ行くということは即ち一生会えない、という意味での「バカヤロー!」なのだ。まあ、お前も移民しろよ、とは思うけど、次の「第X+1次あるぜんちな丸航」で浜田がブラジルへ行ったところで、その女性がどこへ住んでいるのかもわからず港で途方に暮れ、そのうち情熱的なブラジル人女性のほうが日本人より良いな、と思うようになり…というのが私の考える「続編」だ。
21世紀生まれの人のために補足しておくと、インターネット以前の「紀元前」の時代においては2人が出会うためにはお互いが場所と時間を予め申し合わせておかなければ会うことはできなかったし、相手の連絡先もわからない場合は、そもそも「申し合わせ」ができないため、会えない、ということになる。今のようにFacebookが自分のアドレスブックやプロフィールを覗き見して「この人は知り合いでは?」とサジェスチョンなどしてくれる前のことだ。

未来のことなど誰にもわからないのだから人生上の決断に良かったも悪かったもない

詳しくは上記のウェブサイトを見てもらえばわかるのだけど、入植後も大変な思いをした人が沢山いる。最初の10年間は電気さえない暮らしをしていたとか、農作物が霜や害虫でだめになったり。
元々は仕事を求めて移住した人たちだったが、その後日本は経済成長して失業率の低下により仕事不足は解消されたのではないかとか思ったりもする。しかし移民をすると決断をした時点で未来のことなどわかるはずもない。だから決断に関しては、それが良かったとか悪かったとか言えないのではないか、と感じる。

「後知恵」なら何とでも言える。単純に仕事を求めているだけなら、地方に住んでいないで東京に出てくれば良い(農業希望者は別)。それは「景気の良い地域の近くにしか仕事はない」という意味だ。2022年の世界経済にとってみれば、「景気の良い地域」とはアジアのことだ。だからそこから遠く離れた南米や、日本人移民はあまりいないけどオーストラリアとかニュージーランドとかアフリカというのは、地理的に離れすぎていて好景気の恩恵に預かりにくい。「サンフランシスコで砂金が見つかった」と聞いたら皆でサンフランシスコへ行くしかないのだ。

南米は、日本では考えられない苦労もあったろうと想像する。アメリカとえいば北米の南米も銃が蔓延していて犯罪発生率は高いし、ブラジルやアルゼンチンはインフレの物価高で生活も困難になる(ブラジルはハイパーインフレで通貨がクルゼイロからレアルになった)。言葉も文化も違う。農業だって気候も違えば土壌も違うので、日本での農業の経験が役に立たない、など。それでも「移住してよかった」と人生を受け入れるしかないと思う(船上で亡くなった人、移住してすぐにマラリアで亡くなった人などは別で、これは決断が結果として悪い方へ行ってしまったと言えるのでは)。「人生上の成功」とは、何も「金持ちになること」ではない。

上記ウェブサイトも2005年頃の記事ばかりなので、2022年の今はまた状況も変わっているだろう。当時の記事ではボルソナーロが「お騒がせ議員」ぐらいの書かれ方をしているけど、まさかこの後大統領になるとは、など…。

今となっては時代遅れと思われる部分

・ある日本人がブラジル人に対し、日本語を教えると言って「ワタシハオカマデス」と教えたことなど。これ、おじいちゃん世代にとっては冗談の笑い話になっているようですが、おじいちゃん達が若かった頃より今の方が他者への思いやりが増えた、住みやすい社会になってきているので、そのように他人の性的嗜好を笑いの種にするというのは下品な事と思われているのがこの2022年です。よかったですね。

・やたらと日本人であることを誇りに思っている。すべての人間は、生まれる国も、時代も、親も、選べないわけですが。
イギリス人がオーストラリアへ行き、オーストラリア人の振る舞いを見るとそこに「昔のイギリス人」を見るようですが、私も、南米へ移住していった人を見ると、そこに「半世紀前の日本人」を見るようで。
自分は自分であるという理由だけで他者に対して優越する証拠などないのでは?自分が所属する家族、氏族、民族、国を贔屓に、優越すると考えてしまうのは他者、多民族、他国を貶める考えに簡単に転換してしまう。

・皆、なぜかやたらと中国を警戒していること。私が子供の頃は冷戦時代も末期とはいえ日本の「仮想敵国」と言えば、それは真っ先にロシア、じゃなかった「ソビエト連邦」であり、右派は「反ソデー」だか「半袖」だかわからんキャンペーンもしていた、あの1980年代に中国がどうとか言ってたヤツいたか?いないぞ。ニュースで流れるのは中国残留日本人孤児が定期的に日本へ来て、本当の親を探すとかいう「戦後」がまだ濃厚に存在していた時代だった。その孤児達は「育ての親」である中国人夫婦に感謝していたはずだ。まだ「戦後」であったので、日本人だからという理由で学校でいじめられもしただろうが、「育ての親」は彼らを見捨てずに育ててくれたんだ。それが、何だ?テメエらジジイども。私は、実家の近所に住む、92歳になる文学博士と懇意にさせてもらっているのだけれど、彼の妻は「旧・満州」である中国東北部で生まれ、周囲の中国人家族とも仲良くしていたと言っていた。これがいきなり傀儡国家だか、植民地支配だかの是非を言うつもりはない。少なくとも、民衆の個人間レベルでは、そのような憎しみの感情は(兵士に家族を殺されでもしない限りは)あまりなかったようだ、ということだ。
要するに「お前昔そんな事、一言も言ってなかったよな?ソ連が潰れたら次は中国か?あー、常に敵を作らないと自分のアイデンティティを表現できない脳ミソか?」くだらねえ。あの頃はソ連、ソ連、と言っていたくせにな。こっちは無駄に年を食ってるから、お前ら当時何と言っていたか、覚えてるぞ。お前らが嫌いなのって、あの、中国共産党のトップの、「くまのプーさん」みたいな固太りのオッサンだろ?ならそう書けよ。あの「プーさん」だって我が身可愛さに、20世紀中にこれ以上ない程失敗した共産主義を「あれは良かった」と嘘をつくことでしか権力を保持できない「老害」だ。中国が経済成長して豊かになった理由?お前の手柄じゃねえよ。毛沢東が死んだからだよ。また、「プーさん」は「女みたいにナヨナヨした男のアイドル」が中国で人気があるのは「不健全」であると考えているようだ。不健全?テストステロン過剰で、すぐに戦争したがる「野蛮な男の時代」が終わり、平和をもたらすには「男性の女性化」が必要だったとしたら?世界平和のために、さっさと死んでくれよ老害、ということになる。閑話休題。

色々な人達の半生を読むことができるこのサイト、今後も目が離せない。
一番驚いたのは、この2000年代前半を思わせるウェブサイト、まだ記事を更新中ということだ。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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