本当に「黙っていることは不正を肯定すること」なのか?
ユニクロのスーツは最高
今年1月中旬、金がなくなった私は実家へ戻り、2月から行ける仕事を探すためにユニクロで安いスーツを作った。私のスーツはすでに着なくなって数年経っており、その間太ったり痩せたり、スーツにカビが生えたりして新調する必要があったからだ。
金のない私であるので、畢竟スーツにかける予算は少ない。どこで聞いたか、ユニクロがイージーオーダーのスーツを作っているというので、ここは一度、ユニクロでスーツを作ってみようと思った。安物とはいってもウール生地の、ストレッチ素材の(自分にしては)上等なものだった。ついでにシャツも2枚注文した。それで運良く2月1日からの仕事にありつけ、それを着ていった。
そして5月も終わろうかという今、そのスーツは箪笥行きとなり、上下は夏用の「感動ジャケット」および「感動パンツ」に半袖シャツになっている。これもユニクロで買ったものだ。
こんにちは。ユニクロの男性用シャツを着ている者です。
そのようなことは思っていないのに、知らない奴から知らないことで、急に悪人扱いされるとムッとしてしまう。
リンク先のYahoo!ニュースはコメント欄で毎日キチガイオリンピックの王者決定戦をしているので、見なくても良い。このような他者への憎悪を撒き散らす場を提供しておきながら何ら対策せず素知らぬ顔をしているYahoo!じゃなかったYahoo! Japanつまりソフトバンクの責任者は罪深いと思う。
今回の問題点。カタカナでエ,シ,カ,ルと書いても何のことやらさっぱり分からず、「道徳的」と訳せば抽象的すぎてピンとこない上記記事の争点だけれど、本当に効果のある行動なのだろうか?
「動物虐待に反対するため毛皮のコートは着ない」は勝手にどうぞだが、自分が菜食主義者だからといって肉屋を襲撃するような奴らが私は大嫌いだ。そこには「自分の善のために他人を力づくで従わせるのは当然だ」という驕りがある。いや違う。彼らは「より大きな善を為すために少々の犠牲は払っても仕方がない」と思っているのだ。その考えが不平等から国家間の摩擦までを生み出していることに気づいていない。
去年の「黒人の命も大切だ運動(BLM)」の最中にニュースでよく聞かれたセリフが「黙っていることは不公正な世の中を是認することである、つまり通りに出て声高にB.L.M! B.L.M!と叫ばないやつは人種差別主義者だ」というのだ。
本当にそうなのだろうか?
ユニクロでスーツを買ったのは、安いからだ。文句があるなら金をくれ。
新疆綿がだめなら、インドの灼熱の中でわずかな金を稼ぐために身を粉にして働いて収穫しているインド綿はどうなのだ?
エ,シ,カ,ルな製品を買わない奴は差別主義者である!というわけだ。それでは高い金を出してパタゴニアのジャケットでも買おう。あそこは「人間は地球の害毒」などとキチガイ発言をしているキチガイ団体であるシーシェパードに資金を提供しているが、世間的にはエシカルなのだそうだ。
人間も含めて全ては自然の産物であり、人間の活動も含めて全てが自然であり、その結果が害毒なのか違うのかを判断しているのは人間の勝手な都合に過ぎない。「自分を中心に地球が回っている」と考えている幼児の思考だ。人間の道徳からいって良くないことをすれば、キチガイな神は人間の行いに怒り出して(自分が作ったくせに)洪水を起こし、その洪水によって他の動植物がどれだけ犠牲になっても一向に構わないのだそうだ(種保存の為にノアが各動物のつがいを方舟に載せたからね。他の選ばれなかった個体は全て死んで良いそうだ)。ただのキチガイじゃねえか、神は。動物も含めて同じ神が創造したのなら、神は霊長目の一種類のみを特別扱いする種差別を行っており差別主義者というわけだ。
何の話だ。つまり「相手を悪人、泥棒、差別主義者、道徳的に劣った人間扱いして自分の善を広めようとすることが善である」とは、私には到底思えないのだ。そこには驕りがあるし、「自分の善」とやらにも、いくつもの疑わしい前提があるからだ。
「新疆には100万人を収容する強制収容所がある」?どれだけの大きさが必要か考えたことある?そんなもの作れるわけないじゃない(作ったら絶対に衛星写真に写る)。はい偽ニュース。新疆綿ボイコット派の言うことも事実ベースで話をしていない。
中国政府がウイグル人の宗教活動を力で押さえつけている?まあやっているのでしょうが「イスラム教は分離独立派の温床であるから弾圧する」と「非エシカル製品を購入することは少数民族の弾圧を支持することである」と、何が違うというのだ。「《我々の善》に従わない奴は《あちら側》の人間であり《我々》の敵だ」と、同じことを言っているのだけど自覚ある?
中央アジアの歴史について何も知らないくせに何言ってるの?
アホな日本人が中国政府憎しで「東トルキスタン」という用語を知りもしないで使っているのをネット上で見るにつけ、お前が中央アジアの歴史の何を勉強したっていうんだよ、旅行人の「シルクロード 中央ユーラシアの国々」も読んだことないくせに、岩村忍の本も読んだことないくせに、と思ってしまう。あんなもの、20世紀のテュルク系民族主義者の言い出した妄想だろ。トルコ人が考える自民族の歴史が、その外側から見るといかに事実に基づいていないのかは、その辺のトルコ人に聞けばすぐ分かる。え?あなたトルコ人の知り合いがいないの?私3人くらいすぐ思い浮かぶけどな。中央アジアの諸民族はほとんどトルコ人だとかすぐ言い出すぞ。
それはお前の爺ちゃんが「大東亜共栄圏」と言っていたのと何ら変わらない。その結果「共栄」したか?周辺諸国がいつ、そんなこと頼んだのか?昔、パナソニックへ行ったときに事務所に「共存共栄」と松下幸之助の字で書かれている額を見て「お前だけ栄えてるじゃねえか」と思った搾取されまくりの底辺エンジニアであった。
だから私は、今日も明日もあさっても、快適なユニクロのシャツを着て、搾取されまくりの奴隷労働に勤しむのだ。名前を貸すだけで1秒も働かない、会ったともない会社が数社、私にまとわりついてきて、毎月5万だの10万だの、むしり取っていく。
私は人種差別主義者でなければ民族差別主義者でもない。しかしこの2021年、ほとんどの人類が私と同じようなことを言うだろう。なのに国や民族の対立が収まらないのはなぜか?
全ての人間は自分だけが特別だと思いこむよう遺伝子に組み込まれた操り人形であり、すべての国は悪辣なギャング集団によって作られたものだからだ。全ての国は平等にクズであり価値がない!(ハートマン軍曹論法)。ユニクロのシャツは着る。
中国共産党も、アメリカ政府も、日本政府も、新疆綿ボイコット連中も、
「より大きな善を為すために少々の犠牲は払っても仕方がない」
と考えている。なぜなら自分は特別であり自分が属する共同体、民族、宗教、イデオロギーおよび国家や神は、一人称代名詞「私」が付いた途端それは特別なものになる。私の共同体、私の民族、私の宗教、私の国家、私の神。
「私」が属するものは正義であり間違っているとすれば《私達》ではなく《彼ら》の方だからだ。なぜそう考えるかというとこれは遺伝子に組み込まれているからであり、人間も、犬も、魚も、ミジンコもアメーバも、何の根拠もないのに自分だけが特別だと思っている。いや思い込まされている。それが全ての諍いの元であり犯人は150年前にダーウィンが特定しているはずだ。
《我々の善》なんて、うんざりだ。どっちも滅びろ。
《より大きな善を為す》なんて、誰が頼んだ。
ここに、偽善か善かを見破るリトマス試験紙がある。
「より大きな善を為すために少々の犠牲は払っても仕方がない」
と言っている連中の発言の真意を見破る方法だ。
もし、発言の当事者が、彼の言う「少々の犠牲」のうちに自分が入っているのなら、本当の善だ。自分は弾の飛んでこない所で悠々と過ごしておきながら他人に対して戦争しろなどと言っているなら、そんな奴の言うことを聞いてはいけない。