楽園の王様
私が偉そうな事を言える立場ではない青空文庫前史
青空文庫といえば「著作権の切れた小説や随筆をボランティアが電子化して誰でも読めるWebサイト」として一定の知名度があるようだけど、私にとっての青空文庫とは発起人の富田倫生さんの事でもある。
私はPCで少し読み、その後iPad(初代)が出た時に青空文庫で読んでみて「少し紙の本で読む感覚に近づいたかな」と思った程度なので、読者としても大したことがないし、ましてや運営に関わるなどということもしたことがない。だから、偉そうなことはまったく言えないのだけど私にとっての青空文庫とは富田倫生(とみた・みちお)さんの本に対する考えの集大成というか理想でもあったし、2013年に彼が亡くなったと聞いて思い出したのは青空文庫であり、彼が作詞作曲した「楽園の王様」だった。
日本語版エキスパンドブックというのがありました
1980年代後半から90年代初頭にかけて「マルチメディア」ブームというのがありました。従来のフロッピーディスクの、1枚約1.4MBに比べて新登場したCD-ROMというものは1枚で540MBも記憶できるという。これは事件だ。もともと容量を食う、画像や音声だけではなく動画も入ってしまう。大手出版社などはこぞってCD-ROM百科事典などを出版し、ライオンの項にはライオンの鳴き声なども聞けて便利、というのが謳い文句であったけど、百科事典の一体どれだけの項目に文字以外の「マルチメディア」が入っており、それを全部見聞きした人間は果たしていたのだろうか?百科事典のすべての項目を読んだ読者が居ないように…。
私は早速Apple CD 150というドライブを新宿南口の、名前は何と言ったか忘れた個人商店のような小さな店で買い求めた*1。まだ新宿駅南口に高島屋タイムズスクエアもなかった時代だ。この店の存在は、月間MACPOWER誌の広告で知った。少しでもモノを安く買おうと紙の雑誌の価格表を、目を皿のようにして眺めていた時代だ。確か、6万円くらいしたと思う。
この、Apple CD 150というドライブは今からすると人を殴り殺せそうな「鈍器」とでも呼びたくなる程重い代物でもあったし、CD-ROMは専用トレイに入れなければ読み込まなかったし、SCSIケーブルは人を絞め殺せそうな太さではあったけど、見たことのない映像に心ときめいたものだった。
当時、月間MACPOWER誌で富田倫生さんが連載していた電子書籍に関する連載、その題名は忘れてしまったけど、黎明期から始まり、やがて日本語版エキスパンドブックの紹介になり、その後、現在開発中のT-TimeというWebブラウザのプラグインとしてWebページをアンチエイリアスの効いた日本語縦書きで読めるすてきなアプリケーションの紹介で終わったと記憶している。その後開催されたMACWORLD Expoで、私はまっさきにボイジャーブースへ行き、会場限定で配布されていたT-Time 1.0、それはフロッピーディスク1枚がダンボール紙で包まれていたものだったけど、を一も二もなく買い求めたのだった。
その後のボイジャーは、T-TimeがAzure?になり、BinB?になり、よりブラウザと統合されていったのだけど、詳しくは知らない。
*1 あの頃の店で今も生き残っているMac系店舗ってキットカットとPLUS YUぐらいですかね?
楽園の王様
確かあの当時のMACPOWER誌、付録CD-ROM(この言葉の響きの懐かしさ)には日本語版エキスパンドブックと、それで読める富田さんの連載があり、最後に彼自身が作詞作曲した「楽園の王様」が流れる、という仕組みだった。
それから10年以上が経ち、富田倫生さんの訃報を聞いて最初に思い出したのは、あの「楽園の王様」だった。というのも、この歌をはじめて聞いた当初から、随分死の匂いが濃厚な歌だなと思って記憶に残っていたからだ。
1番
中1の暗い夜は 夜通し考えた
いつか僕が死んでしまうって なんてひどい話だろう
死という文字をノートに 繰り返し書き続けると 底のない空に どこまでも 落ちて朝に辿り着いた
来る日照る日 巡り巡るけど 気持ちいい晴れた空は 点からの贈り物
足を止めて 空見上げればだれも 恵み深い今日の 楽園の王様4番
臨終の父のベッドで 朝まで考えた
か弱いままでただ泣きながら 人は生まれきて
最後はもう一度赤子のように 震え 怯えながら 永久の別れを待つその時に 僕は謳うだろうか
来る日照る日 巡り巡るけど 気持ちいい晴れた空は 点からの贈り物
足を止めて 空見上げればだれも 恵み深い今日の 楽園の王様
こんな歌詞。泣いてしまう。
Webで調べると富田さんには持病があり、30代も後半で仕事はヤングリタイヤしていたようだ。この歌詞はそうした作詞者自身の人生経験が死に近かったところから書かれたのではないかと思う。そして作詞者本人も割と早く亡くなった。彼の前半生から言えば地方の進学校から東京の有名私立大学を経て出版の仕事に就くというインターネット以前の世界(メディアの王はテレビであり出版であった)の絵に描いたような高給取りのレールであり、挫折だらけの私の半生からしたら、これはもう、てんで比較にもならないところだけど、順風満帆に見えた彼のキャリアも病気によりリタイアするしかなかったようだ。
先日、もう二度と聞けないと思っていた「楽園の王様」をYouTubeで見つけ、あの時代、ギザギザ文字に荒いアンチエイリアスが掛かり、縦書きで日本語表示ができただけで興奮し、文字に音声や画像が追加されただけでマルチメディアだのと騒いでいたあの頃のことを少しだけ思い出した。それだけ。