疑似科学だけでなく現代ではちょっと許せない表現もあった: Power up Your Life

Hiroki Kaneko
12 min readMay 25, 2019

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Photo by Jose Luis Sanchez Pereyra on Unsplash

著者最低の本

最近私は著者の本をAmazon Kindle Unlimitedに加入すると読み放題であるのを良いことに読みまくっており、著者にAmazon経由でせっせとお布施をしているのですけど、本書を半分読んだところで思ったのは、私はこの本とは相性が合わないという事だった。この本のテーマである「カルマ」というのは要するに、物事の原因と結果、それを人生の前と後にまで広げて考えると、仏教の輪廻転生の思想が出来上がる。
私は生まれ変わりなど信じていないので、読み進めるのが非常に苦痛だった。人間はサルより頭が良くなった結果として、物事の結果には原因がある、というところまで理解した。しかし、その原因を突き止める方法(現代ではそれは科学という)が確立されていなかったので、雷が落ちる、という自然現象に対して、北欧神話では雷神トールの怒りだと考え、日本だと風神雷神の仕業が「原因」であると、どちらも超自然現象が原因であると想像した。

そのように考えれば、仏教も「原因と結果」を人生の生まれる前と後にまで広げて考えたのは、古代哲学としては良いのだが、この自然現象の原因を正確に突き止められる道具(科学)が発達した今、古代人の素朴な「原因と結果」を信じろという方が無理だ。雷は神の怒りではない事が分かっているからだ。

仏教の、こういう「非・科学的」なところを取り除いて、宗教ではない仏教にしてほしいと思う。著者は様々な本で「仏教は宗教ではなく心の科学」というような意味のことを繰り返しているが、「生命、宇宙の真理に気づいたのは仏陀が最初である」という考え方は宗教そのものだと感じる。それを言ったらマホメットだって「私も神を経由して全てを知った」と言うだろう。宗教とは何か?といえば、ユヴァル・ノア・ハラリの言を借りれば、

(前略)したがって宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度と定義できる。
サピエンス全史 第12章 宗教という超人間的秩序

とう事らしいので。以下、引用は特に明記がなければ全て本著から。

ブッダは、時空に限りがある知識を好きなだけ伸ばして見ることができました。能力の伸ばせる量にリミットがなかったのです。それは人間の領域を超越した智慧です。仏教用語で「神通」と言います。
ブッダによると「知ろうとするならば、どこまでも知り得る」、「見ようとするならば、どこまでも見える」のです。

それなら仏陀はついでに未来まで見て「2600年後のインド亜大陸から遠く離れた島国でインチキ霊能力者とか大川隆法みたいな奴が<前世の因縁だ>とか言って無知な大衆に高額な壷など売ったり極右政党を立ち上げている姿が見えるから、これは言うのを止そう」とは思わなかったことが非常に残念です。

(略)ですから、「具体的な過去の因縁話は、仏陀一人にだけできる能力だ」というのが仏教の立場です

オイ聞いてっか大川隆法?

命の世界でも法則は同じです。命は一個の個体ではなくシステムです。物理のシステム(身体)と心のシステムの二つが共同作業をしています。

それが一神教の言う「魂」であり、仏教の言う「心」だ。どう呼んでも同じ事だ。その「人間の本質」とでも呼ぶべきものが、永遠なのか、刻一刻と変わり続けているか、という解釈の違いだけで、肉体とは別個に存在すると思っているところは一神教も仏教も共通している。
脳が人間の意識や「心」と呼ばれるものを司っているのは山程証拠があるというのに、脳科学者でさえも「意識はどのように発生するのか」などと言っている。「我思う故に我あり」というやつだ。なぜ体と心を別個に考えるのだろうか?心臓と脳に、一体何の差があるのだろうか?

意識については、下記の記事が今のところは一番的確に説明しているように感じる。餌を得る為に周囲の環境への認識が必要になり、それが高度になって余計なことまで考えるようになったと。しかしそれが食物摂取と繁殖をどのように効率的にするのかを考えているだけだとしたら、それは余計なことなのだろうか?脳ですら所詮、上記のような生物の2大テーマを満たすための器官なのでは?

なぜ、DNAが兄弟の一人を強い体にして、一人を弱いからだにするのでしょう。DNAは化学物質で(略)しかし、なぜそのような組み合わせになったのかということは説明できないと思います。科学的に説明できないものだからと言って、宗教的に捉えて「神のみぞ知る」という無知の駄目押しをしてはいけません。遺伝子の組み合わせに「心」が決定権を持っていたことは、科学では発見できません。

遺伝子が複製される時にランダムにエラーが発生して、それが個体差となって生まれます。そこに目的のようなものを見出したいとなれば、アメリカの無知な大衆が言っている「インテリジェント・デザイン」と何が違うんだ。

偶然でなにかが起こるなら、科学の説明は要りません。その言葉で、科学者は自ら科学を否定しています。

「ランダム」が嫌いなら、「DNAのコピーエラーは、放射線や外部の原因で起こることが分かっています」といえばよいのか。
それに、自然界の本質は確率で決まるという量子力学は実験によって正しいことが証明されている。「生まれ変わり」は、実験によって再現できません。物事の原因と結果を形而上学的に考えただけのように感じた。頭がハゲたら髪の毛を食べればハゲが治る、と言っているのと同じ理屈だ。

赤ちゃんを観察するとこの世に慣れるまでいかに戦っているかを推測できます。(中略)泣いてばっかりです。まったく手に負えません。それは、赤ちゃんが生まれたばかりで、この世のことにまったく慣れていなくて、納得がいかないことがいっぱいあるからです。過去生への思いが強烈なのです。

泣いたら親が面倒見てくれるからだよ。「生まれ変わる」としたら、どの瞬間から胎児に「前世からの魂」が入るんですかね?受精の瞬間でしょうか?これは今アメリカで揉めている中絶政治問題と同じだ。証拠のないオカルトを持ち出して、「胎児の命を守れ」と言って、今生きている医者や妊婦を殺したりする。人殺しが許されるならお前らの「命を守れ」って、なんなんだよ?閑話休題。

インドの独立憲法をつくたのはB.R.アンベードカル博士という優れた知識人で、彼はハリジャンの出身でした。イギリスで教育を受けた彼は、カースト制度に大反対されたインドで唯一の人物(ブッダ)を信仰して、ヒンドゥー教を棄てました。

「金持ちの家に生まれたのは前世で良い行いをしたから」
「美人に生まれたのは前世で良い(略)」
「高いカーストに生まれたのは前世で(ry」

「貧乏の家に生まれたのは前世で悪い行いをしたから」
「不細工に生まれたのは前世で悪い(略)」
「低いカーストに生まれたのは前世の(ry」

この考えが「カースト制度に大反対」なのか?人間社会を超人間的秩序によって特権階級に支配の正当性を与え、階級社会を固定しようとしているだけに思えるのだけど。これこそがアーリア人がインド亜大陸を支配して、元から住んでいたドラヴィダ語族を支配したカーストなるシステムそのものじゃないか?「お前は不可触賤民に生まれたから一生不可触賤民だ」という。
日本でも、骨董品を3つ持ってりゃ支配の正当性があるとか、外国人から見れば意味のわからない事を今月始めぐらいに言っていたようですが、そういう虚構を前提にする話で騙されるのは子供くらいなもので。私は子供の頃から虚構が大嫌いでした。

こんな人がいることをTV番組を見て知った。彼の日本での生き方など見ると、どうにも胡散臭いものがあるとは思う。彼のインドでの仏教布教は、不可触賤民とされて社会で様々な差別に遭っている人たちに対して「神はいない・前世も来世もない=だからあなた方が不可触賤民と差別されるいわれはない」と布教していた。著者から見たらこんなもの仏教じゃねえよ、と背中から飛び蹴りを食らわせたくなるでしょうが、カースト制度を振り切るには「前世のカルマ」などと言っているうちは無理なのです。

・社会が不平等なのは社会というシステムのバグだ。バグを放置する有権者が原因。カルマなどという前世の因縁ではない。
・美人だの不細工だのというのは、人間が(というかその個人が所属する部族が)勝手に思っている基準だ。仏陀が「カルマというシステムは到底人間には理解できない」と言っておきながら、なぜ因果関係に人間という取るに足らない存在の、取るに足らない文化が影響するのだ。これもカルマではない。
・生まれた家の良さ・悪さは本人とは全く関係のない「誕生ガチャ」だ。カルマではない。

(前略)そして、心理を知ることは出来ても、過去のカルマを知り尽くすことは不可能です。
だから、ブッダが我々に示しているのは、「過去の云々は放っておきなさい」という戒めです。

だったら最初から前世のカルマとか言ってるんじゃねえよ。

本著には「障害者に生まれるのも前世のカルマ」というような意味のことが書かれており、今どきそんな事、言って良いのか?駄目でしょう。ここまで来ると宗教も有害だ。

チンパンジーの親戚が増長する

11,000年ほど前のイラク辺りで農耕が始まり、人間の世界観は「自分たちも自然の一部である」から「自分たちは自然を制御できる」へと認識が変わったそうだ(*1)。一神教では、この世の主役は人間であり、その他の生物は脇役、舞台装置に過ぎないのだから殺しても何をしても構わないと思っているのだろう。そのような人間中心主義、自分が一番偉いのだという思い上がりは、後の世に科学が発達して人間を取り巻く環境についての知見が増えた結果、自分たちは宇宙一偉いのでも何でもなく、単なるチンパンジーの親戚に過ぎなかったと思い知らされた。証拠があるので現代に生きる皆様は増長するのを止めていただきたいところ。

単なる個人的な好みで申し訳ないのだけど、私、自分が一番偉いとか思っている奴が大嫌いなので、仏教の世界観すなわち「悪いことをすると来世は動物に生まれ変わる」というのも大嫌いだ。そこには「人間が上、動物が下」というサル野郎の思い上がり、人種差別ならぬ生物種差別が見て取れるし、何か「人知を超えた」輪廻転生というシステム自体も、あまりにも人間中心に考えすぎていて、例えば一神教の聖典に書かれている内容でさえ「2000年前の中東地域に居た部族社会の掟」にしか見えず、そこに普遍的な「真理」は全く見いだせないのと同じで、輪廻という形而上学を垂れたところで仏教が説く善や徳といった人間中心の道徳観念で宇宙や「人知を超えたカルマというシステム」が動いているとは到底思えないからだ。

今ここで地球が消え去っても、宇宙は困らない。月は軌道を外れたりして困るかもしれないが、月に意識は無いので「マジかよ俺どこへ行っちゃうんだよ、マジ卍、マジ・ドゥッカ(苦)」とは思わない。

Wikipedia編集者も著者の本を読んでるじゃねえか。

人間と動物は同じであると主張するなら

考えれば考える程菜食主義にならねばならないような気はするが、とはいえ回鍋肉や八宝菜は美味なので、当分は「肉なしの月曜日」など実施しつつ、肉の消費量を減らしていきたい。

なぜ私は人間中心主義が嫌いなのか

そのような自己陶酔は、幼少期の人間全員に共通する特徴だ。どんな宗教や文化の中で育った子供も、自分が世界の中心だと考え、その結果、他の人々の境遇や心情に対しては心からの関心をほとんど示さない。
ホモ・デウス 第4章 物語の語り手

自分が一番偉いなんてのは子供のたわごとだからだ。

(*1)そのようなテーマのTV番組を見た。何だったっけ?外国のドキュメンタリーではなくて、日本のTV番組だったと思うけど、詳細は忘れた。インドのどこかの民族は、その狩猟採集の世界観から農耕民の世界観へ移行する途中の世界観を持っているとか言っていたような。あとは洞窟壁画では人間と動物は同じ大きさに描かれていたのが、次第に人間が大きく描かれるようになっていったのは人間と自然は別だという意識の現れだとか。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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