痛みを数値化できれば後はコンピューターが全人類の幸福を最大化してくれるのでは?

Hiroki Kaneko
May 5, 2022

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Photo by Towfiqu barbhuiya on Unsplash

私はあなたの腕を切り落としません。だからあなたも私の腕を切り落とさないでください」という提言には、両者がどのような国籍、性別、信条、宗教を持っていようが合意できるはずだ。

ここで重要なのは「私があなたの腕を切り落とす」というのは現実に起こりうることに限っているところだ。あなたと私が同じ宇宙に住んでいて、同じ物理法則が働いているのなら、物理法則に従った合意を取るのは簡単なことであり、これは相手が異星人であっても両者が同じ宇宙に住んでいるなら通用するはずだ(相手がタコのような異星人で、足を切り落とされてもすぐに再生するといった能力を持っていない場合に限る)。

ところがこれが「創作、空想、虚構、作り話、概念、思想、宗教、政治、信条」といった「現実ではないこと」になると、とたんに合意を形成することが難しくなる。「私の信じる神とお前の信じる神は異なるのでお前を殺してやる」というわけだ。合意できないって?当たり前だろう、神なんていないのだから、「お前のフィクションと私のフィクションが異なっており、どちらが真実なのか?」と言われても「両方とも不正解」に決まっているからだ。合意など永遠にできるはずがない。同様に、現実には存在しない国境について争っても無駄でしかない。そんなものは、契約書という名の、紙に書いたインクのシミでしかない虚構の取り決めであり、現実ではないからだ。そうなると国境に関する合意も難しく、何の証拠もない本人の思い込みで「ウクライナ人とはちょっと変なロシア語を話すだけのロシア人だ」と言ったり「琉球語は日本語の方言にすぎない」と言ってはばからないからだ。もし「偉大なローマ人の子孫」を自称するイタリア人がフィンランド語やバスク語以外のすべてのヨーロッパ言語を「ラテン語の方言にすぎない」と言ったら鼻で笑われるか、空き缶を投げつけられるのではないか。たしかにそうかも知れないが、そこには各国の文化に対する敬意が欠けているからだ。

「何がその言語のスタンダードなのか?」は政治が決めることであり、言語に中心など存在せず、「沖縄県は琉球語の中心」であり「山形県は山形方言の中心」だ。「東京方言は日本語の標準」とか「北京方言は中国語の標準」と決めたのは政治であり言語学ではない。そこには何の「証拠」もない。

ジョシュア・グリーンが著書「モラル・トライブズ」で語った「(合意のための)共通通貨」とは、それはかならず「現実」である必要がある。人々がそれぞれ抱いている虚構に対する合意が取れないなら、せめて物理法則や証拠に基づいた合意は取るべきだ。それが最初に書いた「私はあなたの腕を切り落とさない」といった、現実に基づいた合意であり、「証拠もなく神を信じる」だとか「何の物理的証拠もない国家という虚構を信じる」といった「作り話」による合意形成のための努力はすべて無駄なのでは、と感じる。

2013年10月708号医機学 知覚・痛覚定量分析装置 伊達 久
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjmi/83/5/83_456/_pdf

主観でしかない「痛み」を、上記のような分析機*1で定量化できれば、あとは足し算引き算割り算だけで人類全体の幸福を最大化する計算ができるのではないか?現実問題を数学問題に変換するのがプログラマーの役割であり、それさえできればあとはコンピューターが「計算」する。こんな、小学校の算数レベルでできそうな計算を技術音痴どもは「AIによる支配」などというかもしれないが、そんな奴には、鼻で笑うか空き缶を投げつければよい。

このようなことを書くと、すぐに「足し算、引き算で幸福の最大化を決めてしまうと、そのうちPepperみたいなロボットがお前を橋の上から突き落として暴走トロッコを止めるぞ」などと言われるかもしれない。しかし、そんなことは「計算で求められた幸福を執行するために人間以外の物理的な力を借りない」と決めれば良い。

*1 この装置は人間の腕に電流を流してその反応を見ているわけだから、あらゆる痛みを定量化できるわけではない

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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