私、これじゃないのか?いや、そこまでとは…/空気が読めなくても それでいい。: 非定型発達のトリセツ

Hiroki Kaneko
May 1, 2021

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Amazonの命ずるままに

Amazonが命ずるままにお薦めを購入した。そのうち私も「Amazonから物品を購入することは倉庫労働者に対してペットボトルに小便をすることを強制させるような非人道的な体制を支持することだ」とか何とか批判されるのだろう。「声を上げないこならお前も<そっち側>の人間だ」とか言ってあちらとこちらに壁を作り難癖をつける奴、大嫌い。
Kindle電子本で購入。

発達障害と非定型発達との違い

漫画家と精神科医の共著。本書の漫画家を非定型発達であると診断した精神科医が、非定型発達とは何であるのかと漫画家に説いてゆく内容。大まかに言って、最近よく聞く「発達障害」は日常生活に支障をきたすほど重度の症状?を指すものであり、「障害」とまでは言わないけど大多数の人と少し違う設計の脳をもって生まれてきた人の、グレーゾーンというかグラデーションの薄い方の人を指すのだそうである。つまりこれは「個性」であり「病気」ではない。なので、この薬を飲めば治ります、といった性質のものではない。「個性」が強すぎて日常生活に支障をきたす人の個性を「障害 disorder, ASDのD」と呼んでいる。「障害」までいかない人のことを「非定型発達」と呼び、そのグラデーションの薄い方の人のことを「場の空気が読めない奴」と呼ぶ。そしてアジアの集団主義文化圏に属する集団は人間関係の波風を立てないこと=場の空気を読むことを重要視され、私のように日本人だが考え方が西洋的な人間を空気が読めない奴といってハブる傾向がある。

非定型発達という言葉を最初に知った記事

最初にこの記事に出会った時、100回ぐらい読み返してしまった。今でも時々読み返している。その中のASDに関する説明の「空気読むのが苦手、強いこだわり、執着がある」というところで「あれ?これって私のことでは?」と思った。しかしこの記事では、非定型発達はどのように生きたら良いのかまでは言及されていなかった。

仕事をしない自閉症社員と仕事をしない私の話

以前通っていた客先会社の社員で自閉症の人がいて、まあそういう大企業は100人いたら何人かは障害手帳ホルダーを雇わなければならない的な法律があって雇っていたのだろうけど、そのような事情により雇用されたであろう彼はスーツを着て毎日社内をうろつきまわり、何をするでもなく定時に帰るという会社生活をしていた(←私と同じだ)。

その会社は歴史ある大メーカーであるので社屋が古く、流し台も、昔の小学校で見たことのある石造りの流しであり、蛇口が10個くらい付いているものだった。刑務所かよ。その蛇口というのも首振り式であり、その10個全ての蛇口の首を全て右側に向けるというのが彼の日課だった。整列した秩序に対する美しさへの拘りが自閉症の特徴であるらしい。

たとえばこだわりのある人の場合、電車が定時に駅に到着することの美しさに対するこだわりがあれば、電車遅延すると途端にどうしたら良いのかわからなくなる。これはこだわりではなく、イレギュラーな自体に対応できない、という。私は、遅刻だな、まあいいか。連絡しよう。私のせいではない、と思うからマシなのだと思う。

思い当たることだらけだ

衝撃に弱い、周囲に合わせる生き方ができない、なので自己肯定感が低く、うつ病など二次障害になる。

ではどうすれば良い、というところだが、本書はあまり参考にならなかった。非定型発達者に向いた職業として、ポスティングや流れ作業などが紹介されていたが、それらの仕事の賃金では暮らしていける程は貰えないだろう。

右利き社会の左利き

また、非定型発達の反対として、いわゆる大多数の人々(定型発達)との違いを例えるのに「空気の薄い所で暮らしていた」などと表現しているのは、例えとしてはよくわからない。「猫ばかりの社会に犬がいる」も、ああそうですかと思っただけだ。ここは「右利き社会の中の左利き」といった表現の方が分かりやすいのではないだろうか。どちらが有利だとか偉いわけではないけど、世の中が多数派である右利きに向けて作られているために、急須の取っ手が右手で持つように作られているだとか、駅の改札では右手でSuicaカードを持って装置にタッチしなければならないといった不便に遭うというものだ。

数日待ってください!

「非定型発達者の特徴としてショックを受けやすい」との記述にも、私に思い当たるフシがあり、ハッとさせられた。しかしその対処法として「1,2日大人しくして回復する」としか書かれておらず、もし仕事で取引先から怒られて「今すぐなんとかしろ!」と言われた場合「1,2日待ってください」とはとても言えない。取引先が私の「個性」について理解がなかった場合はどうしようか。参考にならなかった。

なぜ非定型発達の系統が生き残ったのか

生きるか死ぬかのギリギリの線で生きていた人類の祖先は、集団の足手まといになる可能性のある性質を持った非定形の人間は殺していたのではないだろうか?しかしこの系統は現代まで生き残っている。ということは古代の人間集団の中で何らかの役に立つ人間であったのでもあろう。例えば技術者として優れていたとか、定型発達の人間にはできないことができたので集団内で重宝がられ、子孫を残すことができたと考えるのが、ダーウィンからこっち、自然な考えというものだ。

現代に生きる生物は皆全て、全ての瞬間が生きるか死ぬかの激烈な競争を生き残ってきたサバイバーだ。そこには運の要素も多分にあるが、隕石が衝突して恐竜が絶滅した、といった地球規模のイベントでも無い限りは人為選択というのも十分に考えられる。そこで非定型発達者は、定型発達者が持ち得ない能力を発揮して集団の一員として認められ、子孫を残すことができた。
トランプみたいなサイコパスだって、(ゴロツキ共の)集団をまとめ上げたおかげで、隣村との戦争に勝てたというメリットがあったので現代まで生き残った系統なのだろう。その意味で現代を生きる人間は皆サバイバーであり、このぬるま湯のような社会を生存競争のジャングルに戻すため、特定の民族集団や性質を持った人間を人為的に排除しなければならないと主張した、ヒトラーからやまゆり園の連続殺人者まで、ダーウィンの言う自然選択というものが全く理解できないあいつらはバカということになる。人為的な排除は既に完了していたのだ。

だとしたらどうする

自分の長所というものを、どうにかして見つけて生きていくしかない。
義務教育で教えるべきは、自分が何者であるのかを気づかせるための心理検査と、その「自分の個性」への対処法ではないのか?

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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