私が「サピエンス全史」でハイライトした所

Hiroki Kaneko
12 min readJun 23, 2019

--

Photo by Damian Patkowski on Unsplash

文章が苦手な私は読書感想文などうまく書けず、ハイライトした箇所の引用と、その時に思った事を書き連ねていけば、結構な読書感想文になるのでは、と最近気づいた。

引用元は、特に説明書きがなければ全て「ユヴァル・ノア・ハラリ. サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 (Japanese Edition)」。

企業の世界を例に取ろう。現代のビジネスマンや法律家は、じつは強力な魔術師なのだ。彼らと部族社会の呪術師との最大の違いは、現代の法律家のほうが、はるかに奇妙奇天烈な物語を語る点にある。その格好の例がプジョーの伝説だろう。
位置№601

企業、そして企業を作ったり潰したりする法律は虚構だった、という話。法的な虚構であるプジョー社は、創業者のプジョーが死んでも続く。本社ビルが取り壊されても、工場が取り壊されても、資金を集めてきてまた作る。CEOが首になっても、別の誰かを据える。しかし裁判所が解散命令を出したら消滅する。では企業の実態とは一体何なのか?それがモノでもなければヒトでもないようだ。だから企業は物語であり虚構だ、という話。

自分の社会的ヒエラルキーは自然で公正だが、他の社会のヒエラルキーは誤った基準や滑稽な基準に基づいていると主張する。現代の西洋人は人種的ヒエラルキーという概念を嘲笑うように教えられている。彼らは、黒人が白人の居住区に住んだり、白人の学校で学んだり、白人の病院で治療を受けたりするのを禁じる法律に衝撃を受ける。だが、金持ちに、より豪華な別個の居住区に住み、より高名な別個の学校で学び、より設備の整った別個の施設で医療措置を受けることを命じる、富める者と貧しい者のヒエラルキーは、多くのアメリカ人やヨーロッパ人には、完全に良識あるものに見える。だが、金持ちの多くはたんに金持ちの家に生まれたから金持ちで、貧しい人の多くはたんに貧しい家に生まれたから一生貧しいままでいるというのが、立証済みの事実なのだ。
位置№2535

貧しい家に生まれたが、本人の努力と才覚で一代で財を成したことを、アメリカではアメリカンドリームだとか中国では中国夢だとか言うらしい。そんな人が居ないとは言わないが、ごく少数の、1%の立志伝中の人の例だけ持ち出して、そればかりに注目してその他大勢の、99%の「完全に運である、生まれた家がたまたま金持ちだったので進学塾などに通って受験システムをチートして有名大学に入り卒業後は給料の高い職に就く事」は本人の努力とか才覚はあまり必要ではない。しかしこの「立証済みの事実」を喧伝してしまうと、自分が木の枝に吊るされることになるので隠してるんですよね?それに気づかない大勢の貧乏人も馬鹿だ。ハラリ先生が大学教授なのも、たまたま教育熱心なユダヤ人家庭に生まれたからですよね?兄弟が10人いる、貧しいパレスチナ人夫婦の元に生まれたら、今頃自爆テロでもしてたんじゃないか。

ところが、実際にはその逆が起こった。月日がたつうちに、偏見はますます定着していったのだ。めぼしい職はすべて白人が占めていたので、黒人は本当に劣っていると信じやすくなったからだ。平均的な白人は、こんなふうに言った。「いいですか、黒人は何世代も自由の身でありながら、黒人の教授や弁護士、医師ばかりか、銀行員さえほとんどいないでしょう。それこそ、何と言おうと黒人は知能が低く、勤勉でない証拠ではありませんか」。この悪循環の罠にはまった黒人たちは、知能が低いと見なされたためにホワイトカラーの仕事に就けず、ホワイトカラーの仕事に就いている黒人の少なさが、彼らが劣っていることの証拠とされた。
(Kindle の位置№2652–2658)

これが著者の鋭い所だと思った。現状は過去に起きた物事の結果であり、証拠ではないのだ。これと同じロジックが続刊である「ホモ・デウス」でも使われており、権威の源泉、差別主義者の主張する所として使われてしまっている。そのことについては別の記事で書いた:

そして図まで作った:

ハラリの提唱する、権威が生まれる構造

進化の結果、ホモ・サピエンスは他の社会的動物と同様に、よそ者を嫌う生き物になった。サピエンスは人類を「私たち」と「彼ら」という二つの部分に本能的に分ける。「私たち」はあなたや私のような人間で、言語と宗教と習慣を共有している。「私たち」は互いに対する責任を負うが、「彼ら」に対する責任はない。「私たち」はもともと「彼ら」とは違うのだし、「彼ら」にまったく借りはない。「彼ら」には「私たち」の縄張りに入ってきてもらいたくないし、「彼ら」の縄張りで何が起ころうと、知ったことではない。「彼ら」はほとんど人間でさえない。
(Kindle の位置№3566–3571).

差別は、人間の脳にプレインストールされて出荷されていた!とんでもない事だ!今どきは製造物責任法があるぞ!こんな不良品、誰が作ったんだ!神か?神に損害賠償させろ!
この主張は、ジャレド・ダイアモンドの著書でも触れられていた。これも、詳しくは別記事に書いた。

このように、一神教は秩序を説明できるが、悪に当惑してしまう。二元論は悪を説明できるが、秩序に悩んでしまう。この謎を論理的に解決する方法が一つだけある。全宇宙を創造した単一の全能の絶対神がいて、その神は悪である、と主張するのだ。だが、そんな信念を抱く気になった人は、史上一人もいない。
(Kindle の位置№4222–4224)

著者一流のユーモア。全知全能の神はなぜ、不完全なこの世界と人間を作ったのか?という一神教の問に対し、二元論は「この世は善と悪の対立により生まれた」と答えるが、ではその善と悪を作り出したのは誰なのか?という。そして現在の一神教は、相反する教えである二元論(神と悪魔)も、多神教(世俗的な望みを叶えてくれる聖人達への崇拝)も取り込んでいると分析する。

仏教の中心的存在は神ではなくゴータマ・シッダールタという人間だ。
(中略)
彼は自分の教えをたった一つの法則に要約した。苦しみは渇愛から生まれるので、苦しみから完全に解放される唯一の道は、渇愛から完全に解放されることで、渇愛から解放される唯一の道は、心を鍛えて現実をあるがままに経験することである、というのがその法則だ。
(Kindle の位置№4320–4323)

仏教を、これほどまでに簡潔に表現した文を私は今まで見たことがなかった。引用の中略部分も非常に良く出来ているので、ぜひ読んでほしいと思っている。
ではなぜイスラエル人のハラリが仏教にこれほどまでに共感するのかといえば、おおかた坊主から「あなたが同性愛者なのは、あなたの前世の因縁なので不自然なことではない」とか言われて、「女と寝るように男と寝てはならない」の旧約聖書より自分フレンドリーだったから、ではないのですか?想像だけど。なんというか、ハラリの本は「同性愛者で菜食主義者である自分」の主義主張を中心に人類の歴史を語っているので、およそ客観的とは程遠いし、大学教授であるという肩書きに騙されると、いつの間にか証拠も典拠も全く無い、「※個人の感想です」を読まされることになる。つまりこれはエッセイであり学術論文ではないのだ。しかしその博覧強記から来る鋭い視点には注目すべきところがあると思う。

歴史はいわゆる「二次」のカオス系なのだ。カオス系には二種類ある。一次のカオス系は、それについての予想に反応しない。たとえば天気は、一次のカオス系だ。天気は無数の要因に左右されはするものの、私たちはそのうちのしだいに多くを考慮に入れるコンピューターモデルを構築し、ますます正確な予報を行なえる。
二次のカオス系は、それについての予想に反応するので、正確に予想することはけっしてできない。たとえば、市場は二次のカオス系だ。翌日の石油価格を一〇〇パーセントの精度で予想するコンピュータープログラムを開発したらどうなるだろう?石油価格はたちまちその予想に反応するので、その結果、予想は外れる。現在の石油価格が一バレル当たり九〇ドルで、絶対確実なコンピュータープログラムが、明日は一〇〇ドルになると予想したら、商人たちはあわてて石油を買い、予想される価格上昇で儲けようとする。すると、石油価格は明日ではなく今日、一〇〇ドルに値上がりする。すると、明日はどうなるのか?誰にもわからない。
(Kindle の位置№4550–4553). Kindle 版.

二次のカオス系。知らない言葉が出てきた。つまり歴史上の選択や結果は必然ではないということらしい。タイムマシンで過去に戻って、もう一度全てをやり直したら、また違う結果になっていたのでは、という話。

遺伝学者は確率計算を使って、特定の個体群の中で特定の突然変異が広まる可能性を求める。同じような確率モデルは、経済学や社会学、心理学、政治学、その他の社会科学や自然科学にとって重要になった。物理学さえも最終的には、量子力学の確率の雲を使ってニュートンの古典的方程式を補足した。
(Kindle の位置№4859–4862).

ところがあなたの信奉する仏教では、森羅万象には原因と結果があってそれを因縁と呼ぶそうなので、量子力学の言う「物事は確率で決まる」という考え方は否定するようですが?当然だ。2500年前に生まれた仏陀が、量子力学など知っているはずがない。しかし仏教は「仏陀は自然の仕組みを全て解き明かした。これ以上知るべきことは何もない」というスタンスらしく、仏教などの古代宗教を信奉するならば、社会はこれ以上進歩のしようがない。仏陀は現代にも通用する事をたくさん発見したが、輪廻転生の考えは当時インド社会で流行していたヒンドゥー教が元になっている。ヒンドゥー教に対する仏教というのはカソリックに対するプロテスタントみたいなもので、元は同じ、ヒンドゥー教の分派だ。それは仏陀が「発見」したものではなく、人間は修行の末にアートマンと呼ばれる、神と合一した永遠の存在になるのが究極の目標だ。そのためには苦行が必要である、というヒンドゥー教の考えに異論を唱えただけだ。仏教に帰依するなら、この輪廻転生とかいう古代人の形而上学を信じる必要がある。まっぴらごめんだ。嘘だし。
結果には原因がある。→偉い、よく気づいた。
誕生の原因は誰かの死なのでは?→魂とか心とか言うものは存在しないので、間違い。意識は脳のアルゴリズム。我思う故にアルゴリズムあり。髪の毛を食ったらハゲが治る、ぐらいの幼稚な”原因と結果”の思考。

近代のイデオロギーで、依然として死に重要な役割を与えているのは、国民主義だけだ。国民主義は、詩的な瞬間や切羽詰まった瞬間には、国民のために死ぬ者は誰であれ、その集合的記憶の中に永遠に生き続けると約束する。とはいえその約束はあまりに曖昧なため、国民主義者の大半も解釈に窮している。
(Kindle の位置№5114–5117).

曖昧なの?じゃあ具体的に説明しよう。戦争で死ぬと、体の中にある光る玉であるところの魂が靖国神社へ未知の力で異次元を通って転送され、神社とワームホールで繋がっている境内ではないどこか11次元の別の膜宇宙に安置され「戦争は辛かったし死んでしまった事は悲しいけど、光る玉になっての異次元暮らしも悪くないな」と全員が永遠に思うらしいという量子脳のグロバールストレージの疑似科学の偽ニュースに税金が投じられている。魂は偽ニュース。宗教も偽ニュース。1文字1円のクソライターが書いている。いかがでしたか?

これは理論上は完全無欠に聞こえるが、実際にはすぐぼろが出る。君主や聖職者が目を光らせていない完全な自由市場では、強欲な資本主義者は市場を独占したり、労働力に対抗して結託したりできる。ある企業一社が国内の製靴工場全部を支配下に置いていたり、工場主全員が一斉に賃金を減らそうと共謀したりすれば、労働者はもう、職場を変わることで自分の身を守れなくなる。
(Kindle の位置№6238–6241).

資本主義の根本原理である「無限に拡大するパイ」が実際には実現不可能であると。資本家は強欲であればあるほど、高待遇にしなければ従業員はもっと良いところへ転職してしまう。だから儲けたかったら社員に高い給料を払うしか無い。はいこれで全員幸せ!だった筈が…。

消費主義と国民主義は、相当な努力を払って、何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。それは噓ではなく、想像だ。貨幣や有限責任会社、人権と同じように、国民と消費者部族も共同主観的現実と言える。どちらも集合的想像の中にしか存在しないが、その力は絶大だ。
(Kindle の位置№6866–6869).

共同主観的現実。また知らない言葉が出てきた。虚構だろうと皆がその存在を信じていれば、それは共同主観的現実になるという。紙幣、会社、人権、国家、神などがそれにあたる。トランプの大統領就任式に大勢が集まったという”Alternative fact”は皆で同じ認識を共有していないので、共同主観的現実ではない。
人類の歴史の大部分を過ごしてきた、数十人から数百人からなる部族社会で生きるように人間の脳は設計されてきたから、国家社会、国家間の問題というものに脳がついて行けない。

--

--

Hiroki Kaneko
Hiroki Kaneko

Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

No responses yet