私にとってネットより車の方が新しい文化だ

Hiroki Kaneko
8 min readJul 15, 2019

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未熟故に耳をふさぐ

私は世の中の動きについて疎いと思う。動きというか何というか、芸能人の誰々が結婚したとか離婚したとかいう当事者以外には何の関係もないニュースから、隣の市で殺人事件が起きたという、これまた当事者以外には何の関係もないニュースなどはあまり耳に入れないようにしている。これは私の精進が足りないために、周囲の環境に反応するという動物のような生き方を止められないためだ。

喧嘩を助長する設計

SNSもそうだった。Facebookは基本的に知り合いの近況を知るためのツールなので、これで世の中の動きというのは分からない(FBで繋がっている日本人の知り合いが少ないからという理由もある)。アメリカや新興国(中国を除く)では、Facebookは既に不可欠なツールとなっているらしいが、日本では何か、サークル活動のためのプラットフォームのような使われ方をしているように感じる。
Twitterはどうにも好かない。たった140文字の文章の応酬で、ユーザーが即座に「反応」することができるのだから、「ついカッとなって」終わりのない喧嘩が始まる。あれは設計が完全に失敗した、喧嘩のためのツール、プラットフォームのように思っている。だから嫌いだ。何が悪いんだ?誰が悪いんだ?エヴァン・ウィリアムズか?彼が作り出したもう一方のサービスであるところの、ここMediumは(日本語コミュニティが過疎っているというのが最大の理由だが)、喧嘩のためのプラットフォームにはなっていない気がする。
アメリカで以前、ネットいじめを苦に自殺したティーンエイジャーがいたことをきっかけに、同じくティーンエイジャーがiOS用スクリーンキーボードを自作した(名前失念)。そこでは激しい負の感情と関連のある単語を入力すると、「送信する前にもう一度思い直してみませんか?」などのサジェスチョンがあるという。じっくり考えて、一呼吸置く。Mediumではできるが、Twitterではできない。これは設計ミスである。そしてネットのサブカルチャーにどっぷり嵌った人間は、Twitterをより好むような気がする。匿名でいられるからだろう。自分の名前も明かしたくない人間の言うことなんか、誰が信用するか。読む価値もない。これこそがネットリテラシーだと思っている。偽ニュースが問題だ?問題はそんなものを真に受ける奴らでしょう。となれば、何が問題を解決する方法なのか?SNS上の偽ニュースを削除する?そうじゃない。事実に基づいた思考をすることを一般大衆へ啓蒙することだ。

もう飽きた

技術の進歩で、それまで価値があったものが、相対的に価値が下がる、あるいは価値がなくなる瞬間を、この人生で何度も見てきた。スマホがあればPCは要らないと感じた、というようなことなど。
ICT業界が最先端だなんて誰が言った?容量、速度といった量的な進歩は目を見張る物があっても、質的な進歩は全く無いというのに(量子コンピューターというものが研究されているけど、あれが汎用コンピューターになるとは思えない)。あれのどこが「最先端」なのだ?
そして毎年毎年の流行に右往左往するような生活を10年続けて、今どきスマホの新機種に一喜一憂でもないだろう、とか思ってしまうと、何もすることがなくなる。

「インターネットが大好きです」とか「コンピューターが大好きです」人間集まれ!みたいな求人市場が求める社員像も、白けた目でみてしまう。たんなるサブカルのオタクじゃねえかと。
しかしまあ、自分のスキルを磨いたり就職に有利になるためにそのようなモチベーションが重要だというのは理解できるし実際自分もそうだったけど、人生はそれだけではない、という事に気づいてしまった後、スティーブ・ジョブズが言っていた「バカになれ」るか?なれないよ。こちとら、以前の自分よりも賢くなってしまったのだから。もし自分がバカのままでいたとしたら、そいつは進歩のない人間だ。インターネット?コンピューター?今どきそんなモンに興味があるの?君、流行遅れだね。

40歳の時に、自動車の運転免許を取得した。運転時間が足りていない為、行動を走るという行為は今の所自分にとってストレスフルな体験だ。これがアメリカの田舎道で、信号もない道路をぶっ飛ばしたら楽しいだろうなあとは思うけど、あいにく自分が住んでいる所でのドライブは渋滞だらけで、歩いたほうが速いような場所だ(市街地のA地点からB地点まで移動するなら、徒歩の方が速いかもしれないし、自転車なら確実に車より速い)。自分にとって車は必要かと考えると、全く必要ではない。車検や保険や税金など、お金が出ていくばかりで生活上のメリットはなにもない。しかしこの庭の飾りと化した車の、中古で購入した時に付属していた9年前製造のタイヤを交換したいと思っている。銘柄は純正指定もされている、ミシュラン エナジーセーバー195/65 R15なんかどうだろうか?中古車ディーラーでYouTuberである、ユーロデザインの今村さんもミシュランを褒めていたし、15インチタイヤならSUVのタイヤのように「4本で20万円」というような値段にはならない。せいぜいが1本1万円くらいだろうから。

私はそのタイヤの売価の上がり下がりをAmazonで監視するのが日課になってしまっている。もっと言えば、この冴えない鉄ホイールを純正アルミホイールに交換したい。ヤフオクで、その4本ホイールセットが2万円程度で出ていた時、あやうく落札しそうになってしまったが、買ってどうする、鉄ホイールをしまう場所など、物置にもないぞ、と考え、思いとどまった。え?車?今どきそんなモンに興味があるの?君、流行遅れだね。

しかし私にとってコンピューターなど子供の時から触っているものであり、インターネットも90年代半ばから、インターネット紀元前のパソコン通信だってやっていたのだから、「ネットのサブカルチャー歴」はもうすぐ30年になろうとしている。だから飽きたんだ。大半の地球人の皆さんは、ネットもPCも、21世紀にはじめて触っただろう。一方、私にとって車のある生活(乗ってないけど)というのは、ここ数年の「新しいブーム」だったのだ。YouTubeで中古車レストア動画に見入って、自動車の仕組みも勉強した(その前に車庫入れを勉強しろ、という気もする。頭から駐車スペースに突っ込む癖をどうにかしたい)。

しかし、車を生業にするというと、畢竟、タクシーかトラックの運転手になるしかなく、今の私の運転技術では歩行者を跳ね殺すのが落ちだろう。しかも今の私にとって運転は非常にストレスフルな作業のため、これを長距離運転するなど耐えられない。
私にとって車とは、プラモデルの車が大きくなっただけのおもちゃと同じ、単なる愛玩品に過ぎない。だから生活費を切り詰めようと思ったら、真っ先に処分しなければならない。今まで、なぜ皆が車を所有しているのか全く理解できなかった。家族で唯一、運転免許を持っていた祖父は古くは米軍基地で物資をトラック輸送し、せっせとベトナム戦争に協力しつつ後になって幼稚園バスの運転手をしていた、そんな祖父は7年前に亡くなり、その祖父が運転免許を返上した時以来、家から車というものは無かった。ドライブの思い出といえば子供の頃、海岸通りに出来た、その頃はまだ珍しかったマクドナルドに祖父の運転で連れて行ってもらったくらいだ。

この、ストレスフルだが面白いかもしれない車を鑑賞したりパーツを交換する、という趣味をいつまで続けられるか分からない。老境になってから「私はガソリン車を自分で運転した世代だ」とか言い出すのかも知れない。その時の世代からは、温室効果ガスを排出したと咎められるかも知れないが、私は全然距離を乗っていないのでその誹りは跳ね返す。

コンピューター。このつまらない趣味!しかしそれが金を生み出すというのなら、そして車の運転手とプログラマーと、どちらが今の自分に向いているのか、と自問するなら、後者を取るしか無い。

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Hiroki Kaneko
Hiroki Kaneko

Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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