私生活を切り売りすることの難しさ:インド夫婦茶碗シリーズをAmazon Kindleですべて読んだ
Amazon Kindle Unlimitedで「インド夫婦茶碗」全24巻を読み終わった。エッセイ漫画って、どうして女性作家が描くと面白くて男性作家のそれはどうしようもなくつまらないのでしょうかね?
著者の2人の子供を主人公として19巻頃まで子供の成長記録になるのですが、子供が難しい年頃になったので、その後は自身の身の回りの出来事をネタにしつつ、それが数巻続いて終わりのシリーズでした。最後の方のパワーダウンは仕方がないとしても、よくやったなあ、という思いの方が強い。これで連載中にもし、子供が亡くなるような出来事があったら連載は終わってしまうだろうし、夫婦が離婚したらそれでも終わるような気もする。エッセイ漫画というのは私生活を切り売りしているようなもので、それを20年ちかく続けた事が偉いと思った。
Keep on struggling, My kids!
作者の自伝とも言うべき漫画「昭和のこども」では、小学生のリンコちゃん(作者)は遊んでばかりで成績の悪い、問題児であった。自身でそれを振り返ると、今、親になり子供に偉そうなことが言えるのか?と自問する。
しかし「ジタバタしている」うちに問題を乗り越えてきた、それが自分の人生観であり、作者の子どもたちにも「困難に負けずに対策を考え、行動し続ければ問題は解決する」と言いたいのだ。
これは著者から自分の子供たちへのメッセージだったが、漫画に描くことで読者へのメッセージになった。
心が弱っている時に読んだから、泣いてしまった。
翻って自分はどうだったのだろうか?「人生上の困難に直面」というより、そのような困難が必ず訪れるだろうという妄想にとらわれて、一歩も動けなくなってしまった。それは生まれついての臆病な私の脳の設計の特性であったのだけど、このような設計になってしまった祖先を恨んでも仕方がない。「もっと美人に生まれていたら」「親が金持ちの家に生まれていたら」と同様、子供の泣き言にすぎない。この特性が自分の人生に有利になるのか、それとも不利になるのかは周囲の環境がどう転ぶのかで決まってしまうため、誰もそれを断言できない。
あなたが恐竜が闊歩する時代の1匹のネズミであった場合、地上の主役は相変わらず恐竜で、彼らはその大きな体躯を活かして生存競争に勝ち抜いていたわけだけど、地球の寒冷化と、とどめの隕石衝突という環境変動では、変温動物である恐竜は生き残れなかった。あなたが定温動物である特性は単なる偶然であり、気候変動を予測したわけではなかった。しかし偶然に環境に適応する特性をたまたま持っていた自分らが、まるで宝くじに当たるように生き残れてしまった。
私は自分の人生に足掻き続けてきたのか?人生の前半生においては自身の性格的な特性により不利を被ってしまったが、戦後の平和な時代に生まれ、親の愛情と周囲の素晴らしい人達との出会いによって「幸運にも」生かされてきた、という思いがある。「逆境を跳ね除ける」だとか「自分の道は自分で作る」といった大層なことは全くしていないように思われる。それができる人間は稀であるし尊敬すべき人物ではあるけど、私はわたしの不利になる特性が-20ぐらいの人生への影響だったとしても、時代と環境の宝くじに当選して+50くらいの良い影響があって、差し引き+30程度の人生を送っているのではないのか?と、自分の不運を恨むより、幸運に感謝する気持ちのほうが今は強い。
この漫画の作者は幽霊だのが出てくるホラー漫画も描くので、オカルトに一定の興味があり占いなども否定しない。著書にインド占星術を取材した漫画があったが、「占星術は科学」という主張は正直どうかと思う。
星の動きは単なる物理の法則で決まっているだけで、人間の体もその星屑で作られているとはいえ、物理法則は人間が「どの職業につくか」「誰と結婚するか」といった些細な問題に頓着するだろうか?まるで古代人が想像した「全宇宙を創造した神が、宇宙の端っこの銀河系の端っこの太陽系の取るに足らない惑星に住む猿の一種の、更に中東地域に住む集団だけ偏愛する」と同じ、知識の足りない古代人の発想だ。
「物事には何らかの法則がある」と気づいたことから人間は科学を発展させていったのだろうが、「人間の運命は星の運行で決まる」は「太陽はヘリオス神の馬車であり地球の周りを回っている」といった神話と同じ「結果→原因」思考の途中段階に過ぎないと思う。
人間が全宇宙の主役であるように考える「人間中心主義」は、人間が自然と宇宙を観察することで、どうやら宇宙と自然と他の生物は、人間が生きるために用意された物言わぬ舞台装置ではない事が分かってきた。自然と他の生命は人間に利用されるためにある、と考える。これがユダヤ教、キリスト教、イスラム教など一神教の弊害であると言われているようだが、人類が狩猟採集生活から農耕生活になるに連れて、他の生命は「人間と対等」から「利用すべき財産」に変わったというだけだ。
そこへ一匹のミツバチが入ってきて、プーの耳のまわ
りでブンブンうなりはじめました。
「おや、このブンブンという音、ぼく知ってるぞ」
プーは思い出して顔を上げました。
「わかった。ミツバチだ! ミツバチの仕事っていったら
みつを集めることだろう」
「でもって、みつを集めるのは、ぼくに 食べさせるために
決まってる!!」
http://www.asahi-net.or.jp/~ka3i-mztn/pohst.HTM
くまのプーさんは人間(熊だけど)中心主義であり、マイケル・サンデルの言うところの目的論的論法(だっけ?)というやつで、学校では、このような考え方をしないように教えられる、らしい。
自然環境は人間という主役を引き立てるための舞台装置であるとか、星の運行は人間の運命に作用するとかいう考え方は、この目的論的論法つまり子供じみた、幼稚な考え方であるように感じた。
地球は太陽から丁度よい位置に存在するため、水が液体として存在し生物が生まれた。地球より近すぎれば水は蒸発してしまうし、遠すぎれば凍ってしまう。地球と太陽の位置は、どのような物理法則によって決まったのだろうか?と昔の天文学者は考えたそうだが、地球と太陽の位置を決める物理法則など存在せず「偶然、水が液体として存在する位置に地球があった」としか言いようがない。物理法則は地球が丁度よい位置に来るように腐心してはくれない。だとすれば、人間の細かな日々の決断と物理法則など全くなんの関係もないとわかるだろう。
「ジタバタしつづけろ」は、人間の人生が運命によって予め決まっているわけではないと言っているようなものだ。そうなると、占いに肩入れする必要なんて無いでしょう流水さん。
あと泣いてしまったシーンは、実家を新築するために、今まで住み続けてきた旧実家を取り壊すところ。私にも、未来のいつか必ず来る実家の取り壊し(それが私の死後なのかは知らないけど)の時にそれを眺めていたら、楽しいことも悲しいことも起きた生家が無くなるのでは、全ての思い出が消えていくようで泣いてしまうだろう。読者にとって「旧流水邸」は、自身の幼年時代を描いた漫画「昭和のこども」でお馴染みだからだ。
その他、流水りんこの漫画でお薦めのシリーズ
これは1巻までしか読んでいないので、2巻以降もKindle Unlimitedで読もうと思う。
著者の若い頃にインドを放浪した日々を描いた「インドな日々」は、さいとう夫婦の「バックパッカー・パラダイス」と並んで旅行漫画の傑作だと思う。残念ながらこれはUnlimitedでは読めない。