肉を捨てることは菜食主義ではない:南米ヒッチハイク

Hiroki Kaneko
Jan 23, 2022

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ディスカバリーチャンネルの無料放送をYouTubeで見ていた。裸足で歩き、残飯を漁る「環境に優しい生活」をするアメリカ人・ロブと、正反対のきっちりした性格のイギリス人映像作家・ジェームズが無一文で南米大陸を横断する内容。この番組の魅力は「物を持たないことで人生が豊かになる」と考えているロブが、いつも笑みを絶やさないことだ。
そんなロブにも不満があって、何でもきっちり仕事をこなそうとして強引に旅行計画をたてるジェームズと一緒に何週間も過ごしているうちに、二人はついに仲違いを…。

裸足で歩けば時には怪我もする。ガラス片が刺さった足を自ら「手術」して取り出すのは痛そうだけど仕方がないとして、その後野生動物保護施設でカピバラの💩だらけの水槽に素足で入り、掃除していませんでしたか?破傷風ってそういうところからなるんじゃなかったっけ?それがロブのいう「(裸足で歩く)リスクも承知の上」なら、リスクがありすぎる。

第1回目で、ブラジルの路上でヒッチハイクで車が止まらないことに対してジェームズが「お前が裸足なのがまともな人間に見られず、車が止まらないんだ。この国(ブラジル)ではお前のような裸足の人間はいない」と言ったときのロブの返答が「アメリカにもいないよ」だった。すごい。肝が座っている。

二人旅行といってもそこは「リアリティ番組」なので、出演者が死んでもらっては困るから、取材クルーは付いてくる。旅の途中に「それでこの日は結局どこに泊まって何を食べたんだ?」と思うことはしょっちゅうあった。ペルーのクスコだかリマだかで、ゴミ箱からじゃがいもを拾ったときも「その日はホステルに泊まっているわけじゃないんだから、調理しようがないんだけど…」と思った。ペルーかエクアドルだかのホステルに泊まった時は、市場で売り物にならない野菜をもらって作ったスープを、路上で靴磨きをしている貧しい人々に配布したのには感心した。その後、「施しをしている白人二人」を見かけた酔っぱらいだかヤク中だかが金をたかられていたのだけど、善意は有限なのは仕方がないと。

都市部で空腹になったら、フードコートで残飯を食べる。ジェームズは最初恥ずかしがっていたが、空腹には耐えられずに他人の残飯を食べる。
「どうせ捨てるものだから自分たちが食べたほうが環境に優しい」とロブの弁。全くそのとおりだ。しかし現在のコロナ禍において、他人が口をつけたフォークで残飯を食べるのはもう無理だろう。

ロブは現代のヒッピーにも見えるし、インドの苦行僧のようにも見える。ただし宗教めいたことや、いわゆる「スピリチュアル」のようなオカルトは言わない。彼は筋の通った「free ride(タダ乗り)哲学」を持っている。
ガウチョの家にホームステイした時、子牛の「ブランディング」のために耳の一部を切ることを拒否したロブに、ジェームズは「耳はあまり神経が通っていないから比較的痛くないよ」と。返す刀でロブ「自分の耳を切られたときもそう言えるかな?」全くそのとおり。

ロブは基本的に菜食主義者だが、生きるために魚をとることもある。そのくらい融通がきかないとね。フードコートの食べ残しだって、肉が入っていても食べるだろう。どうせ捨てるなら、もう殺された動物なら「自分が生きるために他の生物を殺すのは最終手段だが、既に殺されてしまったものなら、しかもそれが誰も食べずに捨てられるのみなら食べる」は正しいし、菜食主義の哲学からも外れていないと思う。「他の生物を殺して食べるなら無駄にはしない」は、他者への慈しみの心ではないのか?

以前、私が菜食主義者のドイツ人と喫茶店へ行った時のこと、彼女は野菜サンドイッチを頼んだら店側が間違えてハムサンドを作ってしまった。彼女は「これは肉が挟まっているから食べない」と、それを突き返した。お前よぉー!それ、結局捨てるだけになるんだぜ!?捨てるためだけに殺された豚のことを考えてみろよ!それの何が菜食主義だ、菜食主義とは動物性タンパク質を摂取しない食生活のことではない!その目的は、他者を慈しむことだ!今の行為に他者への慈しみなど無い!菜食道不覚悟!と私は感じた。何も分かっちゃいない。これでヨーロッパ有数の研究大学を卒業?ふーん、やっぱり人間は学歴じゃないな。中卒の私でも見破れる、薄っぺらな哲学。

総じて素晴らしい番組だったし、どう見ても変人のロブの笑顔に支えられた素晴らしい旅だと感じた。他人の優しさで自分が生かされるには、まず自分が笑顔で他人に対して優しくしなければならないことに気付かされた。

YouTubeコメント欄は例によって「キチガイ王者決定戦」状態で、「それって他人に依存して生きてゆくってこと?」などと言うバカがいた。ロブは「他人が捨てるもの」で生きているのでこの指摘は間違っている。そんなこともわからないのか。しかもこの言葉からは「他人に依存して生きるのはよくない」という、生活保護受給者バッシングにも通じる、日本人の文化にある「甘え」という概念への嫌悪感がある。甘えてなにが悪い?お前もそのバカみたいな認識のままで日々を「甘え」て生きてるんじゃないのか?「福祉とはなぜ存在するのか」を勉強しないでも良いと考える「怠惰の甘え」だ。

フリーライダーへの加罰感情“義憤”は脳のバグ

ロブのような「フリーライダー(タダ乗り者)への加罰」はチンパンジーにも見られることから、これが本能である可能性が高い。それは集団での協力を推進するための本能だ。人類も、狩猟採集生活をしていた時に「仕留めた鹿の肉をどのように分けるか?」で、狩りに参加しなかった者が分け前を沢山貰っては、次の狩りに支障が出るというものだ。
しかし、今は狩猟採集生活ではない。この本能が存在する原因は「富はゼロサムゲームである」という考えがある。「鹿の肉」なら確かにそうだ。誰かが多く肉を取れば、誰かの肉が少なくなる。
現代の富とは?カネだ。カネは中央銀行が刷っている、単なる紙切れだ。つまり富は無の状態から生み出せるのだ。銀行は、あなたの将来の儲けを見込んで未来からその「富」をタイムマシンと使ってあなたに貸すことも可能だ。それはゼロサムゲームではない。中央銀行が印刷した「紙」を貸しているだけだ。最近は「銀行口座の数字=ビット」なので、物質ですらない。
お前の「義憤」とやらは、完全に時代遅れの無駄な感情、脳のバグだ。

さて上記を踏まえて「捨てる予定のものを貰って食べている」ロブは「あなたとの次回の鹿狩りに参加せず報酬だけを横取りする厄介者」だろうか?あなたの取り分は取ってないぞ。取っているのは、あなたが捨てたゴミだけだ。ゴミを取られて困るのか?困るぐらいなら捨てるな。
それなのに「義憤」を感じるのだから、それが脳のバグだと言ってるんだよボケが。ダニエル・カーネマンが「システム1とシステム2」と呼んだ脳の二重過程、ジョシュア・グリーンがもっと分かりやすくカメラの撮影モードに例えて「オートモードとマニュアルモード」と言ったそれは、考えなくても瞬時に答えが出てくるのが「オートモード」だ。これは「本能」と呼ぶべきもので、脳に組み込まれているので自分で「考える」必要はない。ただ「感じる」だけだ。「深く考えていないけど、それは正しくないと感じる」。直感に頼って人類は何百万年も生きてきた。だからそれは、当時の生活環境においては「まあまあ正解」だったのだろう。しかし人類は、社会環境を事由に変化させることで、自身の生物としての進化のスピードを追い越した。しかし脳は昔の、狩猟採集生活を前提としたままで…というのが近頃の考え方であるらしい。
なぜ人間の脳に「マニュアルモード」があるのかといえば、じっくり考えてみなければわからないこともあるからだ。じっくり考えれば、「直感=オートモード」よりも正解率が上がるのだ。しかしそれは、面倒で、直感に反し、時に不道徳に「感じる」こともある(有名な「トロッコ問題」で、1人を殺して5人を救う状況など)。
どうでしょう?ロブが誰に迷惑をかけているのか?あなたの「義憤」は、どれほど正当性があるのか?というか道徳哲学のイロハのイも知らねえ癖して的はずれな事言ってんじゃねえよお前がゴミだ、とYouTubeにいちいち書いていても消されるだけだ。

なんというか、日本人の平均ってこんなものなのか?だとしたら残念でならない。それとも私があえて「知能最下位決定戦」を覗いているだけなのか?

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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