読書ノート:これがすべてを変える 資本主義 vs. 気候変動(下)/ナオミ・クライン著 (1)

Hiroki Kaneko
16 min readJan 29, 2020

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上下巻で下巻から読み始めるのも良くないのだけど、図書館へ行ったら上巻は貸出中だったので不本意ながら下巻から読むことにした。私の直感が、この本上下巻に6000円ちかく払うのはバカバカしいと告げたので、図書館から借りた。そして私の知り合いもこの本を読んでいるとFacebook経由で知った。

ポルトガル語は読めないが副題の’Capitalismo vs. Clima’が’資本主義vs気候’、と読めた為、彼女が何を読んでいるか理解した

あと何より重要なのは「21世紀の啓蒙」でも取り上げられていて、それがかなり否定的な文脈での紹介だった為に、読みたくなった。
著者はWikipediaによると

ナオミ・クライン(Naomi Klein, 1970年5月8日 — )は、カナダのジャーナリスト、作家、活動家。21世紀初頭における、世界で最も著名な女性知識人、活動家の一人として知られる。

だそうで、題名の「これ」はすべて読まないと「どれ」の事か分からないが、気候変動の事だろう。副題の「資本主義 vs. 気候変動」を読めば、著者が資本主義が嫌いな左派の文脈から気候変動問題を捉えているのだろうと分かる。

第7章 救世主はいない

ヴァージン・グループ創立者のリチャード・ブランソンはアル・ゴアの「不都合な真実」に影響されて2006年、今後10年間をかけて代替燃料の開発と気候変動を阻止する技術に30億ドルを投資すると発表したが、その後トーンダウンした。著者は航空機産業を「最も二酸化炭素を排出する乗り物」として毛嫌いしているが、実際は排出量全体の1.5%程度だろう。20世紀半ばの「原子力飛行機」構想が実現しなかったのだから、内燃エンジンを効率化するしか気候変動対策はできず、実際、飛行機の新機種はどんどん燃費が良くなっている。どの航空会社だって燃費が悪い旧ソ連のツポレフとかイリューシンを使って営業したいとは思わないだろう。世界的な航空需要の増加によるヴァージン・グループのCO2排出量増加を、著者は裏切りのような目で見ているように読み取れる。しかし多くの人が飛行機によって世界各地を訪れ、様々な人と交流し、見聞を広めることによって世界がより平和になっているのだとしたら?1.5%程度の代価は払う必要があるだろう。

クラインによって槍玉に挙げられる富豪たち。曰く、ウォーレン・バフェットは石炭石油産業に投資をしている…ビル・ゲイツはCO2排出量の削減より気候変動を解決するための技術に投資をしていると。バフェットは知らんがゲイツは技術による進歩を信じているので当然だろう。この技術は地球工学/Geo Engineeringと呼ばれ、著者クラインは疑問の目を向けている。これは第8章で詳しく語られる。

資本主義がもたらした危機から世界を救うことができるのは資本主義であり、資本主義以外にないという考え方は、もはや抽象的理論ではない。この仮説は現実世界で何度も検証されてきた。そして今、理論は脇においておいて、その結果をじっくり見直すことができる。

気候変動は技術問題であり、その問題を解決できるのもまた技術なんじゃないんですか?資本主義は関係ない、というか産業革命時代のイギリスより21世紀の今の方がよほどうまくやってると思いますが。当時の工場労働者に週5日8時間労働とか健康保険、失業保険、有給休暇とかってありました?制度は改良可能であるという視点が抜けている。一方、共産主義はナイスなアイディアだとマルクスは大英図書館で気づいたわけだけど実践するには至らず、彼のアイディアを継いでいると自称するロクデナシ共が行った20世紀の惨状は彼の死後の話なので、数々の戦争や飢饉をマルクスのせいにすることはできない。
問題は経済の方式ではなく、より深い、人間の本性とも言うべきもので、「皆が利益を最大にするよう振る舞った結果、皆が不利益を被った」という「共有地の悲劇」と呼ばれるタイプの問題が気候変動ではないのか?その対策といえば、「皆が利益を最大にするよう振る舞」えないようにする為の制度づくりでもあろうし、その制度の一つが炭素税の導入の筈だったのだけど、著者はアメリカでの導入を阻止したとか?(後述)。

長年、人々がブランソンの種々の突飛な計画を、ビル・ゲイツの神秘主義がかったエネルギーの「奇跡」の探求と同様、真に受けてきたのは、私達の文化の中でおそらく最も強力に人を酔わせる物語(ナラティブ)を利用しているからだ — — すまわち、人間活動が及ぼした結果から人間を救ってくれるのは、科学技術だという信仰である。

科学技術でなければ、では何だというのか?技術問題は技術が解決する。制度問題は制度が解決する。そして気候変動問題は、その2つが重なっているのだけど著者は理解しているのだろうか?それに右派も左派も「現代の社会は問題だらけであり根本的に破壊しなければ良くはならない」と同じように信じ込んでいる事こそ、「最も強力に人を酔わせる物語(ナラティブ)」なのでは?右派も左派も、現実が見えなくなってしまうほどに強力な物語を信じ込んでいるように見えるけど。

第8章 太陽光を遮る

ここで「超ヤバい経済学」で登場した、議論を呼ぶ地球工学「地球が熱くなったら冷やせば良い。火山噴火の時と同じ物質を成層圏にばら撒いて太陽光を遮って地球を冷やす方法」が出てくる。本書では「ピナツボ・オプション」と呼ばれ、CO2排出量の削減がどうにもうまく行かなかった場合の「プランB」であると説明されている。

だがピナツボ・オプションの最大の問題は、気候変動の根本原因である温室効果ガスの蓄積には何の変化ももたらさず、温暖化という最も明白な兆候だけに対処している点にある。

だから「プランB」だって言ってるじゃないか、この後の段落で「海の酸性化はCO2の増加はサンゴの白化だけでなく水中生物の食物連鎖全体にも影響が及びかねない」とあるが、なぜ産業全体の脱炭素化とピナツボ・オプションを同時に進めるという考えが出てこないのか?

いや、欠点はまだあった。太陽光を遮断するために、いったん成層圏へのエアロゾル注入をはじめてしまうと、基本的に止めることはできない。

少しずつ放出してみて、問題があったら即止めればよいのでは?ピナトゥボ火山の噴火の後に1993年の冷夏で、日本でコメの不作がありましたけど、1年で元通りになりましたよ。植物が大気中のCO2濃度を下げるほどに吸収したことを確認できたら、エアロゾル注入を止めれば良い。

そんな話に耳を傾けていると、なんとも陰鬱な将来像が浮かんでくる。地球上のありとあらゆるものが、人間が造った当てにならない機械の影響下におかれ、その外には出られなくなる。いや、それどころか「外」に出ることすらまったくできなくなる。頭上にあるのは空ではなく屋根 — — 地球工学によって作られた乳白色の天井が、酸性化した海で生物が死んでいくのを見下ろすばかりである。

あなたが見ている町も、畑も、国立公園も、既に人の手が加わった結果なのですけどそれについてはどうとも思わないくせに「高い煙突から煙が出る」ことには異常に警戒するわけは、根底に「人類の強欲によりその純潔を汚された地球」というイメージがあるからと、「悔い改めない限り環境的な最後の審判を受けることになる」という宗教的な物語を信じているから、でしょう。技術的解決策を「最も強力に人を酔わせる物語(ナラティブ)」と呼んでおきながら、当の本人はキリスト教的終末思想の、別の物語(ナラティブ)を信じているだけというお粗末さ。
あとピナツボ・オプションと海洋の酸性化は関係ない。CO2は植物が吸収するって知らないのか?ピナツボ・オプションは植物がCO2を吸収するまでの繋ぎの「地球ハック(hack=間に合わせに作ったもの)」だし、1993年の冷夏がひと夏限りだったことから、硫酸エアロゾルの放出をやめれば気温は数年で元通りになるでしょう。

ピナツボ・オプションの賛成者たちへの著者からの反論としては、幾つかの研究により、地球上の雲が増えた結果、海水の蒸発量が減り、アジアやアフリカなどで干ばつになる恐れがあるからだ、という。この気候シミュレーションがどういうものなのかよく分かりませんが、既に世界の気温が0.4℃上がっているので、その値を考慮しての話しなのでしょうか?そしてなぜ、悪い方の予測だけを信じ、良い方の予測 — — 大気中のCO2濃度が増えると植物がよく育ち、それを吸収する — — の方は信じないのか?
著者は「リスクを取る」ことを極端に恐れているきらいがあり、ヴァージン・グループのブランソンを攻撃する時も「あいつは過去に脱税で捕まったことのある、リスクテイカーだ」という言い方をする。とったリスクにより人が死んだら誰のせいだ?と言いたいのだろうが、完璧な解決策など無い以上、複数の案を検討し、より危険性が少ない方、効果がある方を選択するしか無い。それにはピンカーの言う「コンテストで豆の数を数える必要」があり、ナオミ・クラインは「物事を定量的に扱う科学も否定している(後述)」以上、彼女が嫌う「宗教的物語(ナラティブ)」に一番頼っているのは当の本人だという事に気づいていない。

ここで著者は、科学をよく分かっていない人や宗教家が大好きな量子力学の不確定性原理だかを引き合いに出したり、バタフライ効果やら、フランケンシュタインを持ち出したりして自然界は根本的に曖昧であり予測不能だと言いたいのだろうが、それならその「予測不能」は、良い方にも悪い方にも振れるわけで、悪い方だけ信じ込むのは、どうだろうか。干ばつや災害で多くの人が死んだとしたら、誰が責任を取るのか、と言いたいのかもしれない。しかし宇宙は一定の法則で動いているようだし、電子の位置が分からなくても確率は分かるのだし、それを否定したがるのは、やはり著者はピンカーの言う「疑似宗教グリーン主義者」 — — 「人類の強欲(略)」で物事を考えたがる人たちでもあろうし、その「直感」が合っているとは思えない。モラルに訴えたところで、「人間の道徳直感はそれほど道徳的ではない」というのが最近の進化心理学者の考え方だ。

実際、地球工学にもし利点があるとするならば、それは最も陳腐な文化的物語に、ぴったりはまるということだ。多くの人が宗教によってこれを教え込まれ、それ以外の人もありとあらゆるハリウッドのアクション映画でおなじみの、どんな惨事が降り掛かっても最後の最後で何人かの人(重要な人)は救われるというものだ。科学技術は現代における世俗の宗教のようなものだから、人類を救うのは神ではなく、ビル・ゲイツとインテレクチュアル・ベンチャーズの超天才ということになる。石炭がもうすぐ「クリーン」になるとか、オイルサンドから生成されるCO2が近いうちに大気中から吸収されて地中深く埋蔵されるとか、さらには、強力な太陽光を調光器付きのシャンデリアさながらに弱められるようになるといったコマーシャルが流れるたびに、この物語のさまざまなバージョンが耳に入ってくる。そして、現在進行中の計画のひとつがうまく行かなくても、間一髪のところまでまた何か別のものが必ず登場するのだ、と。なんと言っても人類は万物の長、選ばれた、「神という種」なのだ。勝利こそ人類のなすことであり、最後には人類が勝つというのである。

これこそがスティーブン・ピンカーの言う「進歩恐怖症」というものだ。「科学技術は現代における世俗の宗教のようなもの」?その言葉はそっくり「グリーン主義者」 — — 「人類の強欲(略)」にお返しします。キリスト教と同じ、終末カルトだ。そしてその解決策は、意味のない犯人探しと、意味のない自己犠牲ということになる。科学は物語ではなく世界を正しく捉えるための手法であり、客観的な証拠がなく、あまり当てにはならない直感のみで動いているのがグリーン主義者…「最も強力に人を酔わせる物語(ナラティブ)」を信じている人たちだ。

彼女たちに欠けている世界観がある:人間社会には問題があり、それを解決すると新たな問題が発生する。それを解決するとまた新しい問題が…と人間社会は、ジグザグだが全体的には前に進んでいる、というものだ。それを数字で示したのが、ここ数年の話題の本…「ファクトフルネス」であったり「21世紀の啓蒙」であったはずなのだけど…。

2つ目の障害は「モラル」の問題だ.ヒトのモラルセンスはそれほど道徳的ではない.それは対象の非人間化,可罰への攻撃性を推し進める.さらにそれは贅沢を邪悪,禁欲を善と決めつけ意味のない犠牲ディスプレイに走りがちになる.多くの文化で人々は自分の正しさのディスプレイに断食,貞節,自己犠牲,さらに動物の生け贄などを用いる.心理学者ネミロフのリサーチによると,現代でも人々は他人の行為について,その利他行為が相手にどれだけの助けになったかではなく,その利他行為のためにどれだけ支払ったかで判断する傾向があるようだ.
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20180613/1528885618

さて、ナオミ・クラインもこの道徳直感の罠に嵌って「可罰への攻撃性を推し進め」た結果、せっかくの炭素税導入をフイにするような行動を起こした、という話しがある。

以下はスティーブン・ピンカー著「21世紀の啓蒙」より引用。

気候変動には極左からの反応もあるが、こちらはまるで極右の陰謀論の正しさを立証しようとするかのようだ。たとえば”気候正義(climate justice)”運動。これはジャーナリストのナオミ・クラインが2014年に出した「これがすべてを変える — — 資本主義vs気候変動」がきっかけで世間に広まった運動だが、この運動では、気候変動の脅威を、気候変動を防ぐことで解決される問題として扱ってはいけない。むしろ自由市場を廃止したり、グローバル経済を見直したり、政治制度をつくりなおしたりする機会として捉えるべきだとする。

この本がきっかけで発生した「気候正義戦士」の1人がグレタ・トゥーンベリであると考えるべきであり、彼女の考えの根本にあるのは、現実を見誤った右派や左派と同じく「現状の経済、制度を一度潰して作り直さなければならない」という的はずれな解決法だということが分かる。

環境政策の歴史には摩訶不思議な逸話がいろいろあるが、2016年にクラインが天敵のはずのコーク兄弟と同じ側に立ち、炭素税導入をはかるワシントン州の住民投票が否決されるように動いたのもその一つだろう(デイヴィッドとチャールズのコーク兄弟は石油業界のビリオネアで、気候変動を否定する人々に資金を提供している)。炭素税は、ほぼすべての専門家が気候変動に対処するために必須のものとして認める制作措置であり、もしこの住民投票が可決されていれば、アメリカ初の炭素税導入となるはずだった。しかしなぜクラインは炭素税に反対したのか?それはこの炭素税案が「右派に優しく」て「環境破壊の張本人に払わせるもの」ではなかったからであり、「彼らが故意に環境を破壊して得た不道徳な利益が環境修復のために徴収」されないからである。

何やってんだテメエ、という感じである。環境問題を訴える活動家が炭素税の導入を阻止…頭おかしいのか?あてにならない人間の道徳直感「可罰への攻撃性」で目が曇り、問題を技術的、制度的問題から道徳問題、善悪へすり替えることで、解決策のひとつを自ら潰したことについては、愚かだとしか言いようがない。

次に引用する2015年のインタビューで、クラインは気候変動を定量的に分析にすることにまで反対した。

“わたしたちは数字しか頭にない「統計屋」として、この運動に勝つつもりはありません。相手の得意分野で勝つことはできませんから。しかし、大切な価値観や人権、善悪に関する問題である以上、わたしたちは勝つつもりです。確かに、短い期間でわたしたちも対向材料になるような統計データを集めなくてはならないでしょう。でも人々の心を本当に動かすのは、命の価値を基本に据えた議論です。その事実を見失わないようにしなければなりません。”

定量的な分析を「統計屋」として軽視するのは反知性主義的であるだけでなく、「大切な価値観や人権、善意」をないがしろにすることでもある。真に人命を尊ぶのなら、人々が不本意な移住や飢えから救われると同時に、健康で満ち足りた生活を送れることを願い、そうなる可能性が最も高い政権を支持するはずである。そして魔法ではなく自然の法則が支配する世界の場合、それを実現するには、「統計屋」が必要になる。また、たとえ純粋に言葉上で「人々の心を動かそう」とするにしても、その言葉に効果があるかどうかは大切だろう。人々が地球温暖化の事実を認めやすいのは、どんな恐ろしいことになるかを警告されたときではなく、この問題は政策と技術の革新によって解決できるといわれたときである。

おわかりいただけただろうか。グレタ・トゥーンベリが、気候変動問題を善悪の問題だとして解決策を見誤っているのは、ナオミ・クラインのせいのような気がしている。クラインは地球工学を「魔法」と一蹴する一方、物事を定量的に扱う科学も「世俗の宗教のようなもの」だとして否定しているのだ。じゃあどうしろってんだ。
それで、こんな数字オンチの言うことを、世界中の多くの人々が真に受けて、自分のことを「気候正義戦士」だのと言い、意味のない自己犠牲 — 1年間新しい服を買うのを我慢する — をしているのだ。これではトランプの陰謀論を信じているアホどもと大差ない。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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