読書メモ・WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源
The WEIRDest People in the World vol.1 を読み終わりました。vol.2は図書館で貸出中だったので、vol.1だけの感想を書きます。 著者のジョセフ・ヘンリッヒは文化進化に関する研究の第一人者です。西洋の”WEIRD”は世界の標準ではなく、世界から見れば西洋こそが例外的な社会なのですが、それがどのように作られたのかについて、豊富なデータによる説得的な議論が書かれていました。 まず世界的に見れば、社会は親族ベースで構成されており、それが人類の当然の社会であった。ここでニューギニア高地の共同体は300人程度であるが、それ以上の共同体もある。そこは、他と何が違ったのか?という疑問から、人類の共同体が親族ベースから共通の宗教を元にしていることを発見した。人類は親族ベースの共同体から、宗教を元にした大規模なものになり、それが首長制、そして国家になった。そこには親族ベースではない協調関係が必要だった。ここでは宗教がそれにあたる。
人類学者は南太平洋の島々を調査して、コミュニティが親族ベースの場合、首長制の場合、王国の場合それぞれの宗教を調べたところ、親族ベースのコミュニティが信奉している宗教では、神はそれほど道徳的ではない。しかし国家になるほどの大規模なコミュニティでは、その宗教の神は道徳的であり、死後の世界も信じられているが、それは世界宗教で語られる地獄と天国だった。親族以外のお互いが協調するには何かの社会制度、道徳制度が必要であり、それが世界宗教のような「人間に関心を持つ神」と「天国と地獄」という人間にとっての「アメとムチ」が必要だった。ちなみに日本の神社ではお酒を奉納するが、あれは日本人が農耕を始める前の狩猟採集社会だった頃の「あまり道徳的ではない神」をなだめるために「私たちに災害をもたらしたらお酒をあげないぞ」という「人間から神への脅迫」だった。鎌倉の鶴ケ岡八幡宮にあるお酒の意味を私は初めて知った。
そして著者は、西洋社会が発展するためには親族ベースの共同体を解体する必要があり、それを行ったのはキリスト教の教会だったと主張する。その具体的な方法は「イトコ婚の禁止」だった。同じキリスト教でも、イトコ婚の禁止について積極的ではなかった東方正教会は今の東ヨーロッパだけど、これで西ヨーロッパとの経済格差を説明していた。イタリアでも南北に経済格差があるが、これは南イタリアが11世紀までローマ・カトリック教会に組み込まれなかったことが理由だとしている。 これを説明するために、調査に基づいた相関係数の図がたくさん出てくるのだけど、私は統計学を学んでいないので、意味がわからなかった。
同じ国の中でも、人間の心理に差がある例として、中国とインドの学生への調査が興味深かった。どちらの国も、稲作(灌漑農業)をする地域の学生の心理は集団思考であり、分析的思考が弱く、内集団ひいきをする傾向があった。一方、小麦を栽培する地域の学生は”WEIRD”に近かった。これは、灌漑農業では集団が力を合わせる必要があることが理由と書かれている。 日本も灌漑農業をする地域だけど、日本人学生の調査結果は中国南部の学生とは違い、もう少し個人指向の結果が出たのはなぜだろう? その他にも、人間の経験が心理に与える影響も興味深かった。引っ越しの回数が多い人は、見知らぬ人を信頼する傾向があるそうだ。それを考慮すると、アメリカで暮らしたことのある人は個人指向であり、引っ越さない私は集団思考になる?
この本を読むと、私は集団思考よりも”WEIRD”の考えにとても近いと感じた。しかし私は学校教育を8年しか受けていないので”Educated”ではなく、”Western”でもないので、”IRD”になる。 私が子供の頃から感じていた(日本の)集団思考への違和感は、私の脳は”非定型発達”の傾向があるからだと思う。 私は引っ越した経験がないけど、イングループではない、外国から来たゲストを信用している。 もし私がアメリカで生まれたら、もっと幸せな人生を送ったのか?と考えるけど、そうではないと思う。
この本の主題はこんなところだ:イトコ婚の禁止による親族ベースのコミュニティの崩壊が、西ヨーロッパが発展した基礎になった。それはキリスト教による道徳、親族ではない他者を信頼すること、個人主義、権威に従わない、といった特徴を作り出した。 しかし私がこの本で注目したのはそこではなく、ニューギニア高地やポリネシアでのコミュニティの発展と共に宗教も「進化」したことだった。見知らぬ人同士が信頼して、共同体が発展するには何らかの道徳と社会規範が必要だったけど、それが「共同体の大きさに合わせた宗教」だった。親族ベースの共同体の「あの世」は、「サメに食われた人は死後もサメの体の中にいる」とか、「戦争で死んだ人は今も戦場をさまよっている」といった具合で、そこに天国も地獄もなかった。 神は道徳的ではなく、気まぐれに地震や台風、病気を起こす存在であり、それをなだめたり、古代の日本人のように「人間に悪さをするなら酒をやらない」と脅したりしていた。 いわゆる世界宗教はコミュニティの拡大に伴う「社会の要請」により人間が作り出したものであり、それこそが真実だと本気で信じて、お祈りの方法は手を縦にして合わせるのか、横にするのか、といった細かな違いで殺し合うのは本当にくだらないと感じた。特にガザ地区の惨状を見るにつけ、本当にそう思う。