金持ちであるとはどのようなことか/What is it like to be a rich?
業務スーパーという、スーパーマーケットチェーンがある。輸入食材を安く買えることができたので重宝していたが、最近訪れたところ、ドイツの板チョコが1枚198円になっていた。数年前まで、それは92円であり、サイズももっと大きかったはずだ。いつから業務スーパーは成城石井(高級スーパーマーケット)になったのか?
メルセデス・ベンツGクラスというオフローダーがある。オフローダーといっても、ほとんどのオーナーは舗装道路の上をこれみよがしに走っているだけであり、本来の目的とは別の、今は単なる金持ちのステータスシンボルになってしまった。昨今の円安の影響で、新車を買えば2000万円くらいするだろうか。そんなに高いクルマであるのに、道を見渡せばGクラスを見ない日はない。私の近所でも、Gクラスだの、フェラーリだのがガレージでもない、露天に平然と駐車されている。外国人はこれを見たら驚くだろう。盗まれないのか?というわけである。さあね。
少し考えてみる。例えば、高給取りのサラリーマンがいたとする。彼は投資銀行だか、会社の重役だかのポストに就いている。年収は2000万円だったとする。といってもこれは額面であり、手取りではない。手取りはそこから、保険料だの、市県民税だの、累進課税になっている様々な税金が掛かるので、実際に受け取る額はそれより遥かに少ないだろう。あと高給取りは消費税も払わなければならない。いや、昨今は年収1000万円以下の自営業者も消費税を払うのだから。
そうなると、売価2000万円也のクルマはそもそも買えないし、仮に買えたとしても全額をクルマに費やしてしまっては、その中では生活ができないので、困ってしまう。当たり前だが、他にも生活費が必要だ。つまり年収は2000万円クラスの高給取りにも本来は買えないクルマなのだ。
では、オーナーは高給取りではないとしたら、どのような人間があのクルマに乗っているのだろうか?想像でしかないのだけど、寝ていても金が入ってくるタイプの人種がそれに乗っているのだろう。
なぜ彼らは寝ていても金が入ってくるのかというと、それは土地なり株の配当金なりが入ってくるからであり、なぜそのようなものをかられが持っているのかと言うと、それは彼らがそれらを所有しているからであり、なぜ彼らがそれを所有しているのかと言うと、買った、ということもあるだろうが、ほとんどの場合は「庭を掘ったら石油が出てきた」つまりそういった土地持ちの家に、単にそいつは生まれたから、がその理由になる。それは彼の手柄ではない。当たりくじを握ったまま生まれてきただけだ。
ここで私は「格差」という、貧困を語る上で間違った概念を話すわけにはいかない。今、私が説明したことは「金持ちvs私」の「相対的貧困」であり「絶対的貧困」ではないからだ。問題にすべきは「198円の板チョコを高いと思う私」ではなく、その日の食べるものにも事欠く人たちであり、それの解決には「生活水準の底上げ」が必要なのであり「金持ちを引きずり下ろすこと」ではないからだ。金持ちへの課税を上げて、それを「絶対的貧困」の解消に使うなら、そうしたらいい。もし、まったく別の方法で絶対的貧困を無くせるなら、その時は、金持ちはいくら稼ごうが知ったことではない、ということになる。私のような「貧乏人の僻み」からすれば、金持ちなぞ全員死ねばいい、と思っているので畢竟、「格差」という間違った概念に飛びついてしまいがちになるが、そこは理性を働かせなければならない。
What is it like to be a bat?
金持ちというのは一体どういう気持で毎日を過ごしているのだろうか?その、Gクラスだかフェラーリだかのシートというのはそんなに居心地が良いものなのだろうか?ネットカフェの個室の方が広い気がするが、「包まれ感」などという都合の良い言葉で狭さをごまかされるのだろうか?というか、クルマがあり、それに乗って週末はどこぞかへ遊びに行く、というのはどのような気持ちなのだろうか?Gクラスだかフェラーリだかの、幅ばかり広い高級車にお乗りの方々は、日本の狭い道や駐車場で何度も切り返しをしなければならないという素敵な「特権」をお持ちで、それに数千万円の価値があると考えているのだろうか?
いつも考えてしまう。金持ちになるというのは、どのような気分なのか?何をすれば金持ちになれるのか?有名大学を卒業するとか?私の友人のDさんはアメリカのトップ大学を出たが、今のところ普通のサラリーマンだ。となると、高い学歴は高給取りになれる可能性を高めることはできるものの、絶対条件ではない、ということになる*。
*あとはクラスメイトの友だちの親が会社社長で、自分が何か事業を始めた時にそういったツテで最初から大きな仕事ができる、といった、いわゆる「高学歴コネクション」を作る場所でもある。
今、Dさんは「もっと他人や社会に貢献できる職業に就きたい」と考えているらしい。彼の望みは「もっと高い給料がほしい」ではなかった。ちなみに彼のクラスメイトは元々、台湾の外交官の家に生まれたお坊ちゃまであったけど、彼はその「アメリカのトップ大学」を卒業したあとは、モンゴルの砂漠のど真ん中の学校で英語教師をしているらしい。給料が高いはずもなく、それどころか砂漠の街で、水のシャワーも数日に1度しか使えないらしい。しかしそれは彼が望んだ人生の選択であり、彼らの人生のトップ・プライオリティは「もっと金を稼ぐこと」ではなかった。
「台湾の外交官のお坊ちゃん」は知らないが、いや、知らないというか私も会ったことがあるので知っているが、彼がどれほどの金持ちだか、私は知らない、という意味だ。Dさんの両親は小学校の先生であり、共働きではあるものの、公務員の給料を考えれば、それほど金持ちの家庭だとは思えない。
金持ちの家に生まれるというのは、どんな気分なのだろうか?「なぜ皆あくせく働いているのか?もっと人生楽しもうぜ」とか思っているのだろうか?人生ゲームのタイトル画面でゲーム難度を”EASY”で生まれてきた人と、”SUPER HARD”とか”NIGHTMARE”とかを自分の意志ではなく選択されて生まれてきた人と人生の感じ方が異なるのは確かだ。
そういった人は、人生、楽で楽で仕方がないだろうな。このようなことを書くと、またぞろ「苦労して大成した人もいる」といったような意味のことを言いたがる人が出てくるのだけど、そのような人は金持ちの中の1,000人に一人か、10,000人に一人であり、そのような「例外」だけ担ぎ出して、さもそれが真実である、といったような事を言われても、小学校から算数をやり直せとしか思わない。金持ちは単に金持ちの家に生まれたから金持ちなのだ。
楽で楽で仕方がない人生とはどのようなものか?