金田まひる・倉田まりやのGalge.comラジオを今から聞き始めているのは全人類で私だけなのでは

Hiroki Kaneko
Oct 10, 2021

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Photo by Matt Botsford on Unsplash

2007年

いま、「金田まひる・倉田まりやのGalge.comラジオ」全142回を1回から通しで聞いている最中なのは、全人類の中で私だけなのでは、と思う。

ちなみに私は当時、この番組を聞いていたわけではないので、今回が初見(?)です。上記のように CDも発売していたようですが、現在は絶版のため、聞きたい方はYouTube等で探して下さい。

聞き始めたきっかけは、別番組で「エロアニメの収録現場へ行ったら竿役が元カレの男性声優で気まずい思いをした」という爆笑エピソードを披露した金田まひるなので、つまらない筈はないだろうと。

このネットラジオ(?)が始まったのは、Wikipediaによると2007年7月とのことで、2021年現在から数えて14年前ということになる。この、古いのだけどそう遠い昔ではない、という時代に記録されたものを、中途半端な未来である今、聞くと自分が今いつの時代に生きているのか分からなくなり、なんとも言えない気分になった。

音声の説得力

もしこれがブログなら、当時のMovableTypeによる小さい文字とスマホ非対応の読みづらいレイアウトで、読むことが苦痛になるはずだ。MovableTypeなんて洒落たもの導入してないか?未だに読むのが苦痛なアメーバブログなどだ。どうやって読むのか既に分からなくなったmixiかもしれない。

もしこれが動画なら、当時のデジタルビデオカメラによる荒い映像と、ギットギトのMPEG-4低ビットレート圧縮、低解像度のせいで、古色蒼然とした印象を受けるのだと思う。それは昔でいうところの白黒写真を見る感じであったり、私の世代だとそれがカラー写真ではあるが色あせた銀塩写真になり、21世紀初頭にはそれが「低解像度・低ビットレートの圧縮動画」になるのだと思う。

しかしこれが音声となると、この14年で特に技術的な進歩もしていない。これは音響設備の整ったスタジオ録音であり、昨日録音したのでは?という程の説得力で迫ってくるのが音声の良いところだ。
最近は空間オーディオなどの音声の技術的進歩もあるようだが、スタジオ録音のトーク番組にそのような仕組みは不要であるし、何しろ2000年頃からのデジタルオーディオの躍進の原動力はMP3やAACといったデータ圧縮技術の進歩であって音質の向上ではないからだ(圧縮により音質は劣化している)。「良い音」は、昔も今もそれほど変わっていないと思う。2021年現在、デジタルデータを無線で飛ばしてワイヤレスイヤフォンでエンコードして聞いていて、音質もクソもないだろう、という気もする。要するに人類の大多数は音質について拘らない、ということだ。

その音声特有のリアリティのおかげで昨日の録音のようにクリアに聞こえてくる会話の内容は、2021年現在聞いてみて、特に違和感を感じることはない。ただ話の端々に出てくる小物が、スマートフォンではなくガラケーだったり、秋葉原ではメイド喫茶が流行していたり、日暮里舎人ライナーが開通したばかりだったり、番組の直接収入を得るための手段が番組過去放送の円盤(CD)を手売りだったり消費税が5%だったりするところに時代を感じるだけだ。

このように、そう遠くはない過去の話だというのに、人間だけがあまりに変わってしまったというか、番組で話をしている2人は、既にネット上では観測不可能になっていた。

ちょっとネットで探してみると、金田まひるは、非アダルト系仕事の名義でのTwitterアカウントは2018年頃を最後に更新されていないし、倉田まりやは2015年に一度、所属事務所を辞めて声優業を引退*1、2017年に復帰、とWikipediaには書かれていたが、2021年現在、SNS等でこの名義による積極的な営業活動をしているようではなかった。想像するに「シリーズもののゲームで過去、自分にアサインされた役は引き続き(フリーランスなので連絡先を知っている人限定で)お受けします」といった程度の活動だろうと思う。

*1)別名義でフリーランス仕事をしていたという典拠なしの噂話がネット上にはある

寂しいが、これは当然ではないのか?「当時からエロゲ声優で今も皆でゲームなどする様子をYouTubeで流してキャッキャしています」といった人も一部にはいるが、そのような人は、失礼を承知で言えば「いい年して他に楽しみを見つけられなかったバカ」か、「人生の楽しみを知り尽くした天才」かの、どちらかであり、バカでも天才でもない大多数の凡人は14年という時間の流れの中で、次の目標を見つけたり、単に飽きたり、飽きなかったが仕事がなくなったので辞めたり、理由は色々あるが「声優業どころではなくなった」ために、コミュニティから退場した人たちだ。当たり前だ。凡人で何が悪い!バカよりマシだろう!というわけだ。

この番組にゲストで出演した歌手をWikipediaで探してみると、2011年の東日本大震災で父親が行方不明になったと書かれていた。14年という時間の長さを感じる。

10年に一度くらい世界的な大ニュースがあって、2021年に生き残ってこの文章を読んでいる人は、それだけで「生き残り」ではないのかという気持ちになる。
2000年代はそれがNY同時多発テロであったり、2010年代なら東日本大震災であり、2020年代はコロナ禍がそうでもあろうけど、そのような社会状況の中で、自分は特に何の関係もなかったり、周囲の人間が死んだり、自分が死んだりしただろう。幸いにも私はNY同時多発テロの時にワールド・トレード・センタービルにはいなかったし、東日本大震災の時に東北の沿岸部にはいなかったし、コロナ禍にあっても発症せずに二回目のワクチン接種を受けて39度の高熱が出たが、それも収まった。そう思うと、この14年という歳月は何という長さだと感じる。
自分は戦争やら災害やら疫病やらを生き残って、当時の聴取者の多くは据え置きPCの前で聞いていたのでもあろうネットラジオを、ダウンロードしてiPod(この語感の懐かしさ)に入れるでもなく、iPhoneのYouTubeアプリで、格安SIMの4G回線からの垂れ流しでストリーミング再生されるのをBluetoothワイヤレスイヤフォンで聞きながら散歩などしていると、自分だけ未来に来てしまったような気分になる。そして耳から入ってくる音は、昨日録音されたような音質であるにも関わらず、言葉の端々から伝わってくる、微妙に今と異なっている社会状況に時間の流れを感じた。

14年間のエロゲ声優ラジオの移り変わり(全部想像、典拠なし)

この番組?トークショー?の聴取者からのメールを見ていると、エロゲは18禁といっておきながらティーンエイジャーが主な年齢層であったようだ。お便りの中には、通学中に聞いていますだとか、修学旅行へ行ったとか、大学に合格しましたとか、司法試験に合格しましたとか、そういった内容のお便りが多いように感じられた。要するにこれは文化放送あたりで沢山制作されていた通称「アニラジ」と呼ばれる声優のトークショーのネット版であり、「その番組独自の挨拶を決める」だとか「最初に寸劇が入る」といった「アニラジ」のフォーマットを踏襲しているところもそっくりだ。そのようなフォーマットに沿った番組作りは、今となっては多少、退屈に感じられる。
当時ティーンエイジャーだった典型的聴取者層は2021年現在、30歳を少し越したくらいの年齢だろうか?今頃何をやってるのか?私はその年齢層からだいぶ上だけど、相変わらずに感じる。

2000年代に「アニラジのネット版」として狭いコミュニティの中で少し流行ったこのような番組は、その本来の目的である「スポンサー商品の宣伝」にはあまり効果がなかったと判明してしまったのか、2010年代になると急激に減っているように(Wikipediaで調べると)感じた。当時のディレクターの話などを聞くと、宣伝効果についてはラジオ番組の音声ファイルのダウンロード数で測るという、Google アナリティクス万能の世の中にあっては極めて原始的な方法で計測されており、サーバーもクラウドではなくどこぞのレンサバ、声優が「人気があることを示すために“F5(リロード)アタック”でサーバを落とせ」などと発言しているのも時代を感じる。今そんなことやったって、DoS攻撃はロードバランサーがよしなにさばいてくれたり、その時だけスケールするからその程度じゃサーバーは落ちないでしょう。知らないけど。そんな原始的な構成でWebサーバーを運用していた時代もあったなあ、と時代を感じる。

要するにダウンロード数で分かるのはダウンロード数だけであり、それが目的である「Galge.comからのダウンロード販売数に直結しているか」の指標には程遠いものがある。今でこそゲームソフトはダウンロード販売が主流になり、なぜそうなったのかというとこれはアメリカなら「居住地からトイザらス(アメリカでは潰れた)までが遠い」だとか高速ネット回線の普及だとか色々な理由はあるけど、アメリカに限った話で言えばゲームソフトのダウンロード販売サイトが、旧作を投げ売りのような価格で販売するからではないのかと思う。日本ではそれがどのように進行したのか、私はまったく知らないので想像だけど、日本ではPCゲームは主流ではなく一部の熱心なフリークによって支えられているだけの狭い市場だったから、ダウンロード販売サイトは黒字にならなかったのではと思う。世界的に見ればビデオゲームは「PCで動かすもの」であり、例外的にここ極東の島国だけが、ゲームコンソールを製造販売しているNintendoやらSONYやらの本社所在地であるという地域性から「ゲームといえばゲームコンソールで遊ぶもの」が主流の考えになり、これらプラットフォーマーが動くまではダウンロード販売が主流になり得なかったのではないかと思う。

加えてエロゲに限った話で言えばゲームコンソールで発売できず、2010年代に急速に普及したスマホ用アプリとしてもマーケットプレイスに登録できず、PCのみで生き残るしかなかった上に内容も「何十年も変わらない紙芝居をゲームという体にして8800円+税にしたら高すぎじゃないのか」と言われ続けそれを変えられずに沈没した。
その理由といえば開発スタジオに金を出していたのは小売店やら流通会社やらだったのでダウンロード販売にかじを切ることもできなかった…と、エコシステムの構造的な理由であり、ノベルティグッズの抱き合わせ商法で消費者のコレクター心理をくすぐることでパッケージ販売の現状を何とか凌いでいたが、2021年現在はそれも無理になっておそらく業界全体が死に体だと思われる。ゲームソフトというのは基本的に毎回の博打であり、今作がヒットしたからといって次作がヒットするとも限らず、そのような不安定な収益では社員に毎月給料を払うことはできないからだ。

以前、アメリカのゲームソフトの価格と生産数を牛耳っていたトイザらスはAmazonに負け、潰れた。ゲームソフトの流通はダウンロード販売が主流になった。日本ではどうなったのか?流通業者は潰れたのか?よく知らない。私が知っているのは「ゲームソフト小売店」というのは駅前から消えていったことだけだ。

流通⇔開発スタジオ⇔小売店⇔消費者、という業界エコシステム内での金の流れが途切れたので、この商流のどこかが金を出して販促のためにラジオ番組をやろう、と番組制作会社と声優に金を出すことはできなくなったのではないか。
そもそも当時のラジオ番組が、それ自体で収益を生むには「過去放送CDを手売り」しか手段がなかったのだ。過去放送音声ファイルをダウンロード販売していたかどうかは知らない。

そのように、金は掛かる割にメリットなしのラジオ番組を制作する理由がなくなり、2010年代は声優が個人的に動画サイトで似たようなトークショーを制作していたようだが、これは当時、YouTubeではなくなぜか皆はニコニコ動画の方にアップロードしており、私は詳細を知らない。国内外に憎悪を振りまく44歳児「ひろゆき」の息のかかったサイトは見ないようにしている。

そんな国内オタク文化の掃き溜めであったニコニコ動画は「動画配信速度を上げるために太平洋横断光ケーブルを増設する」といった地球規模の設備投資ができるGoogleを親会社に持つYouTubeに勝てるはずがなく、その「精神的後継」は中国の「ビリビリ動画」に譲り当地でアニオタを大量生産して粗野で暴力的な旧来の男性像に代わり、非暴力な「佛(ほとけ)系男子(←草食系男子の中国語訳)」を育てて世界平和に貢献した一方、配信者たちは収益化ができるというのでYouTubeに引っ越していった。

このような昔のラジオを視聴するために先日、ニコニコ動画iOSアプリを入れてみたところiPhoneが異常な熱を持ち、バッテリーがグングン減り、一度スクリーンがOFFになった後に復帰してみると途中まで視聴していた動画が再生できなくなるというクソアプリぶりで、サーバ側はどうなっているが知らないが最初はC++で書いたが(開発速度的に)非効率だったので一時期はScalaだScalaだと息巻いていた人がいらっしゃったようですが、それらの人が退職した後に誰かメンテナンスできていますか?C++は自称“GNU原理主義者”の人が辞めなければお守りをしてくれるでしょう。私はもうC++のメモリ管理なぞやりたくない。C++を書くぐらいなら、C++はなかったことにしたい元ベル研究所の連中が作ったGoの方が1兆倍マシだと感じる。
アプリの方は?省エネできていないところを見ると、適切なハードウェア・デコーダーAPIを呼べていない気がしますがコードを見たわけではないので知らない。数日前に上記のアプリの「程度」を知ったのだけど、こんなにクソだったのか。これでいい気になってニコファーレだ超会議で焼きそばを社員に焼かせるだと言っていたのか。時代的にスマホアプリはなかったと思うけど、おそらく休日出勤で焼きそばを作らせることに辟易した優秀な社員が辞めていったのだろうなあと想像する。焼きそばよりiPhoneの方が熱くなってるんですけど。

一人で配信をしているので畢竟、スタジオを借りて録音というわけにはいかず、自宅でゲームをしている様子を配信などすると旧来の「ラジオ番組」に変わって映像も付くようになったのは、これは安価なキャプチャーボードの普及など、この10年の環境の変化によるものだと思う。そこからスーパーチャットなどで視聴者から直接の収益を得ることも可能になった。また、「仕事のマーケットプレイス」が発達し、今まで一段下に見られていた「同人声優」という活動を完全に個人で受けられるようになり、所属事務所やら何やらに中抜きされなくても自活できるようになった。営業活動は所属事務所がなくても自分でSNS等で営業をすれば中抜きもされない。
更にはダウンロード販売サイトに自分で音声をアップロードしてそれを販売すれば、誰でも「自称・同人声優」にはなれる環境が整った。いくら資金のない個人であっても、数万円のプロ用マイク・録音機材を買うくらいのお金は用意できるだろう。周囲の音が気になるならいっそ電話ボックスのような防音ボックスを自室に設置して、そこで録音すればスタジオ代も不要だし、どんなに辺鄙なところに住んでいても「声優業」ができるようになった。今まで声優といえば、なんとしても東京に引っ越さなければ仕事はなかった。つまり現代は「お金がないから」「首都圏在住ではないから」という理由で声優を諦めなくても良い環境になった。

そのように考えれば、2010年代と2021年、どちらが恵まれた環境かといえば圧倒的に現代であり、従来、スタジオ代+編集プロダクション代+中抜き事務所+声優ギャラがなければ作れなかったものが、これを全て個人で作ってしまえば、これらのコストは0になる。

なぜ早すぎたダウンロードサイトはプラットフォーマーになれなかったのか?

プラットフォーマーになるには単純に資金の力だけが必要であり、ここ数年で急激に伸びたモバイル決済で、PayPayがなぜ一番になれたのかはもちろん当初に過激なポイント還元による現金バラマキをしたからであり、一度勝ってしまえば勝者総取りで、PayPayなどは今になって加盟店から手数料を徴収し始めている。

もしベクターが当時、ゲームダウンロードのプラットフォーマーになりたかったのだとしたら、ゲームソフトは90%引きぐらいのセールをしまくり、開発スタジオに金を貸し…と、最初の5年くらいは莫大な赤字を覚悟でやらなければならなかったのでは?もちろんそんな金はなかっただろう。

自分の人生をビルの建設のように計画→実行できると思ってるの?

知らないが、就職面接などで面接担当者に「あなたの5年後の目標は?」と聞かれたら、私なら「知るか。糞の役にも立たない質問をするな」と答え、落とされるのではないか。その前にそのような質問に何の意味があるのか?もしかして自分の人生をウォーターフォール開発みたいに「計画→実行」できると思ってるの?へえ、それなら2001年9月11日に世界を股にかけるビジネスマンとしてワールド・トレード・センタービルでバリバリ仕事をしていた人はどうなったのか?2011年3月11日に東北の海辺の寒村で静かに暮らせると思っていた人はどうなったのか?2021年に、マスクもワクチンも拒否した人間がどうなったのか?知らないとは言わせない。

自分の外部環境がどうなるかなんて全く予想などできないし、自分の心境だってガラリと変わってしまう。「初志貫徹」とか「ブレない」が良い意味の言葉として捉えられているようだけど、恐竜は「ブレずに定温動物」だった為に、気候変動で寒冷化した時に絶滅したのだけどこれは立派な態度か?

自分も外部環境も、何が起きるのかわからないのだから、その時々の状況に適応するしかないだろう。「ブレない」とか言ってる奴は、ダーウィンの言ったことすら理解していない。生き残った生物は「最も強かった」からではなく「その時々の環境に最も適応できたから」だ。そこには多分に運の要素も入ってくる。6600万年前に隕石が地球に衝突しなかったら恐竜は今も生き延びており、人類の祖先である哺乳類は単なるネズミとして、恐竜からすれば「朝飯にもならない奴ら」であり続けたのではないか。

高給取りの証券会社勤めだったのが、日本でお笑い芸人になったアメリカ人だっている。アイクぬわらは「何年何月何日にNYのチャイナタウンにあるビデオ屋で<元気が出るテレビ>の早朝バズーカを見てお笑い芸人にキャリアチェンジする決心をする」と以前から計画して、それを実行したのだろうか?もちろん違うだろう。証券会社は給料は良いが、データセンターのお守りなんて退屈だ。お笑い芸人の世界の方が楽しいだろう。

一般企業で働くより、声優というかタレント業の方が楽しいだろう。その業界が好きなら尚更だ。昔ならこのような娯楽産業というのは一段下に見られており、これが漫画だったら昔は出版社といえば文学青年崩れが行くところであり、漫画編集部に配属されたら不満だっただろう。アニメだったら、実写映画を撮りたかったが果たせず、アニメ制作スタジオしか働き口がなかった場合、こんな子供だましの何が良いんだ、と不満だっただろう。しかし現代は、漫画が好きだから漫画編集部へ配属されたいですとか、アニメが好きだからアニメ制作会社へ行きたいですといった「嫌々やっています」という人の割合は随分減ったのではないか。だいたい給料が少ないのだから、嫌々やる理由など最初から無い。そう考えると業界全体に皆の幸福度は上がっているはずだが、一生腰を下ろす必要もない。

“百合大好き声優”、倉田まりやは今どうしただろうか?ラジオで言っていた、女性アイドルのマネージャーになれただろうか?地下アイドルのマネージャーくらいならなれるのではないか?
金田まひるは?ラジオの中で自分の将来については「(3年後の2012年には)金持ちになりたい」以外の具体的な話はしなかったが、なにか別の目標を見つけたのだろうか?Wikipediaを見ると、どうも2012–2013年頃に体調的な理由から休業か引退しているようだった。所属劇団のYouTubeチャンネルは存在するが、動画が数本に、金田まひる(の女優名義)が作ったPodcastが掲載されているだけで、それらはどれも8年前のもので、もしこのコロナ禍で劇団が劇場で公演できないとなれば、YouTubeで活動を継続するはずなのでこの劇団は現在、活動していないと見るべきだろう。

何か別の目標を見つけられたら、適当に引退するのは当然だと感じる。
そうなると未だに現役の御園生メイなどは「天才かナントカ」の、限りなく天才に近い部類だろう。
番組でインタビューをした各エロゲ制作スタジオはどうなっただろうか?数年前に田所広成の追悼イベントに参加した時にいた、田所の弟子という人もその半年後に亡くなったようだし、業界の平均寿命は非常に短いような気がする。そこに、まだやりのこした事があったり、残された家族といったものを想像するとこれは悲劇なのだけど、つまらなくて病気がちで金がなくて、しかし寿命だけは長い人生と、お祭り騒ぎで太く短い人生と、どちらが幸せだろうか?
ラジオで取材していた、元プロボクサー志望の人の一軒家会社は調べてみるとまだ残っており、山梨県の奥地に引っ越したようだった。同じくラジオで取材していた、痛車ランボルギーニ社長はどうでもいいと思っているので調べなかった、というか個人的な好みであの頃「ちよれん」とか言っていた連中が嫌いなのです。
会社組織といっても「一人親方」の、プロジェクトごとにスタッフをかき集めるフリーランス連合のような「会社」だとは想像する。だって社員に毎月給料払えないでしょう?フリーランスの人たちだって、仕事上で付き合いがあったアニメ制作会社だとか、出版社に繋がりができてそっちの仕事ばかりしているのではないか。

今は112回まで聞いた

スタジオ録音よりも、たまにやる旅行の方が、旅行番組のラジオ版を聞いているようで楽しかった。長瀞(第45回)や熱川(第100回)へ行くようなことは、自室で口パクだけ連動するCGを写して聴取者のどうでもいい書き込みに反応するだけのVTuberより絶対に面白いというか、「アニラジフォーマット」の「お便り」もそうだけど、聞いてる奴の意見なんかどうでもいいんだよ!と感じる。

Webを見ていて、ページ内広告として表示されるソフトウェア・エンジニア案件リストの中に「ソーシャルゲーム開発(アダルト要素あり)勤務地・神田」などと書かれているのを見るにつけ、どこの会社だろうか?何を作っているのだろうか?誰が作っているのだろうか?と考えることがある2021年の秋だった。おわり。

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Hiroki Kaneko
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Written by Hiroki Kaneko

自営業のソフトウェア技術者。Airbnb TOP5%ホスト。サイクリングと旅行が趣味。

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